第百十二話
夜空を切り裂くように、ゴーストの姿が闇の中に溶け込んでは現れる。
瞬間移動を駆使し、彼女は次なる発生地点——渋谷区内の商業施設近くの公園へと降り立った。
「——ッ、ここにも!」
現場では、すでに近隣を担当していた登録済みのエース級魔法少女が、単身で複数の土の魔獣と交戦していた。
「大丈夫!?」
ゴーストが声をかけながら参戦すると、若い女性の魔法少女——水属性を操るその少女は、驚いたように振り返った。
「あ、あなたは……ゴースト……!? 助かります、数が多すぎて……!」
「加勢するわ。右から来るの、任せていい?」
「は、はい!」
二人は瞬時に連携を取り、押し寄せる魔獣の群れを次々と打ち倒していく。
ゴーストの闇の大剣が敵の急所を的確に貫き、水属性の少女がその隙間を縫うように氷結の刃で援護する。単独では防戦一方だった戦況が、瞬く間に押し返されていった。
「ふぅ……ありがとうございました! おかげで、この地区の避難誘導も間に合いそうです」
「いいえ、こっちこそ助かったわ。……あなたもあまり無理しないでね」
ゴーストは短くそう告げると、次の発生地点へと闇に溶けるように消えていった。
二箇所目は、江東区の河川敷。
こちらでは、二人組のエース級コンビが、土の魔獣の群れに苦戦していた。
「くっ……次から次に……!」
「もう魔力が……!」
悲鳴に近い声を聞きつけ、ゴーストは瞬時に間合いを詰めた。
「加勢するわ!」
大剣の一振りで、群れの中核にいた個体を纏めて薙ぎ払う。
その圧倒的な一撃に、二人組の少女たちは呆気に取られたように動きを止めた。
「す、すごい……一撃で……」
「感心してる暇があったら攻撃を続けて。まだ残ってるわよ」
「は、はいっ!」
叱咤に近い言葉に、二人は我に返って再び武器を構え直す。
ゴーストの参戦によって、こちらの現場もほどなく鎮圧が完了した。
「本当に、ありがとうございました……! 噂には聞いてましたけど、こんなに頼りになる人だったなんて」
「礼はいいわ。あなたたちも、これからまだ長い夜になる。無事に生き延びてね」
ゴーストはそう言い残し、既に次の発生地点へと意識を向けていた。
由鶴から共有された地図には、まだ無数の赤い光点が点滅し続けている。一つを鎮めても、また別の場所で新たな発生が確認される——まさに、いたちごっこの様相を呈していた。
(……体は、まだ動く。魔力もぎりぎり保ってる。……あと何箇所、回れるだろうな)
息を整える暇もなく、ゴーストは三箇所目の座標へと転移した。
三箇所目は、大田区の工業地帯に隣接した空き地だった。
周囲に住宅は少ないが、それでも数件の小さな町工場が並んでおり、逃げ遅れた従業員たちの姿がちらほらと見える。
「……ここにも、結構な数がいるわね」
ゴーストが着地すると同時に、地面の複数箇所が隆起し始めた。
これまでと同じ、土と根で構成された魔獣たちだ。数は十体前後。これまでの経験からすれば、決して手に負えない規模ではない。
「よし、手早く片付けるわよ」
ゴーストは大剣を構え、真っ先に最も近い個体へと踏み込んだ。
一閃。土の魔獣が崩れ落ちる。二体目、三体目と、これまでの戦闘で培った動きで、機械的なまでに正確に敵を屠っていく。
「……ここも、あと少しかしら」
残る敵は数体。息は上がっているが、この程度なら問題なく片付けられる——そう油断した、まさにその瞬間だった。
「——おや。随分と、手慣れてるじゃないか」
背後から、聞き覚えのない、低く響く声が降ってきた。
人間離れした、しかしどこか艶やかで不気味な響きを持つその声に、ゴーストの全身が一瞬で警戒に染まった。
(——なんだ、この人と魔獣が混ざったような気配。今までの魔獣とは、まるで格が違う……!)
振り返ろうとした、その刹那。
——ズブリッ。
鈍い感触が、ゴーストの脇腹を貫いた。
「——ッ、ぐぅ……!」
激痛が走り、ゴーストは思わずその場に片膝をついた。
脇腹を貫いていたのは、地面から瞬時に伸び上がった一本の木の根だった。まるで意志を持つ蛇のように鋭く尖ったそれが、音もなく彼女の肉を裂いていたのだ。
振り返った先にいたのは、これまで相手にしてきた土塊の異形とは、明らかに一線を画す存在だった。
漆黒の燕尾服を隙なく着こなした、長身の男。彫刻のように整った顔立ちに、銀糸のような髪をきっちりと撫でつけ、その佇まいはまるで名門貴族に仕える執事のようだった。しかし、優雅な物腰とは裏腹に、指先からは細い蔓と根が幾筋も伸び、周囲の地面に絡みついている。
「——人型……?」
ゴーストは脇腹を押さえながら、掠れた声で呟いた。
これまで遭遇してきたどの魔獣とも、根本的に何かが違う。動物的な咆哮も、獣めいた気配もない。ただ、静かに、そして底知れぬ悪意だけを湛えたその姿は、明らかに『人間を模して』作られたかのようだった。
「気づくのが遅いね。……もっとも、君ほどの実力者なら、普通はこの程度の不意打ち、造作もなく防げるはずなんだけどな」
執事姿の男は、愉快そうに口角を吊り上げながら、優雅な仕草で自らの手袋の指先を確かめるように眺めた。その周囲では、地面から新たな蔦が音もなく這い出し、まるで彼の意のままに操られているかのように揺れていた。
「今夜だけで、もう三箇所も駆けずり回って、しかも住民の避難までしてたんだろう? ……いくら化け物じみた力を持っていても、体力と集中力は有限だ。そこにつけ込ませてもらったよ」
「……あなた、他の連中とは違うのね。喋る魔獣なんて、聞いたことないわ」
ゴーストは荒い息のまま、傷口を回復させつつなんとか立ち上がりながら大剣を構え直した。
「ご名答。……僕らは、ただの雑兵とは違ってね。この『祭り』を、もっと面白くするために生まれた特別製なのさ」
人型の魔獣——それは、これまでの戦いとは明らかに異質な、新たな脅威の予兆だった。
工業地帯の夜空に、不気味な笑い声が静かに響き渡る。
三箇所を渡り歩き、疲労の色を隠せなくなっていたゴーストにとって、この遭遇は、まさに最悪のタイミングでの一撃だった。
「……ここで、終わるわけには、いかないのよ」
ゴーストは血の滲む脇腹を押さえながら、それでも真っ直ぐに敵を睨みつけた。
新たな脅威との、予測不能な戦いの幕が、静かに切って落とされようとしていた。




