第百十一話
「——飛鳥さん、鈴乃さん! 次の発生地点、世田谷方面で確認されました!」
由鶴のタブレットに新たな警報が表示されると、飛鳥がすぐさま反応した。
「了解。……鈴乃、行けそう?」
「もちろんです。まだまだ魔力は残ってますから」
新堂鈴乃が、拳を軽く握って気合を入れ直す。
「私たちが先行して現場を鎮圧します。緋雪、真奈、こっちは任せていい?」
飛鳥の問いに、緋雪が頷いた。
「ええ。ゴーストがもう少し回復するまで、こっちで待機してるわ。無理しないでね、二人とも」
「もちろんです。……それじゃ、行ってきます」
飛鳥と鈴乃は、それぞれ風と炎の魔力を纏いながら、夜空へと同時に飛び立っていった。
二つの光の軌跡が瞬く間に遠ざかり、崩れた公園には、緋雪、真奈、由鶴、そして地面に座り込んだままのゴーストだけが残された。
「……それにしても、静かになったわね」
ゴーストは、大剣を杖代わりに地面に突き立てたまま、荒い呼吸を整えながら夜空を見上げた。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、公園には夜風の音だけが響いている。
「無理して喋らなくていいわ。まだ顔色悪いもの」
緋雪が心配そうに寄り添い、由鶴も傍らで携帯端末を操作しながらゴーストの魔力反応を観察していた。
「魔力の残量は、まだ危険域ではありません。ですが体力の消耗が著しい……このまま十五分ほど休息すれば、最低限の行動は可能になるかと」
「……由鶴、あなたもまだ全快じゃないんだから、あんまり無理な体勢で座ってると悪化するわよ」
「これしきの傷、大した問題ではありません。それより——」
由鶴がタブレットから顔を上げ、ゴーストの方をじっと見つめた。
「あなた、これまで一体、どれほどの数の魔獣を相手にしてきたのですか。今回のような大規模な物量戦は初めてでしょう」
「……ええ。こんなの、初めてよ」
ゴーストは短くそう答え、崩れた地面の穴の一つに視線を落とした。
その少し離れた場所で、真奈は落ち着きなく足踏みを繰り返していた。
「あ、あの……ゴースト、さん」
おずおずと、真奈がゴーストに声をかける。
いつもの快活さはどこへやら、その声は明らかに緊張で上ずっていた。
「なに?」
「い、いや、その……初めてこんな近くで、ちゃんとお話しするなって思って……。私、只野真奈です! 土属性のエースやってます!」
真奈は勢いよく頭を下げた。
これまで幾度となく戦場でその姿を見かけてきたが、こうして間近で言葉を交わすのは、実は初めてのことだった。緋雪の口から散々「規格外の実力者」「敵に回したら国が終わる」と聞かされてきたこともあり、真奈にとってゴーストは、憧れと恐怖が入り混じった、どこか雲の上の存在だった。
「……ええ、知ってるわ。土属性で、いつも元気にはしゃいでるエースでしょ?」
「え、ゴーストさんって、私たちのこと知ってるんですか!?」
「まあ、戦場で何度もすれ違ってるからね。……それに、さっき『壮観だね』って言ってたの、聞こえてたわよ」
「うわあああ、聞かれてた……! す、すみません、不謹慎でした……!」
真奈が顔を真っ赤にして両手で顔を覆う。
その様子に、ゴーストは思わず小さく笑ってしまった。
「別に怒ってないわよ。……あなたが住民の避難、めちゃくちゃ早かったのは見てた。四十人以上、よくあの短時間で誘導できたわね」
「あ……ありがとうございます……!」
褒められたことが意外だったのか、真奈は目を丸くしながらも、じわじわと嬉しそうな表情を浮かべた。
「あの、ゴーストさんって、普段はどんな人なんですか! やっぱり、すっごく強くて怖い感じの人なんですか!?」
「真奈、失礼よ!」
緋雪が慌てて口を挟むが、ゴーストは軽く手を振って制した。
「……さあ、どうかしらね、意外と普通よ?」
ゴーストは曖昧に笑うだけで、それ以上は語らなかった。
「え、教えてくれないんですか……」
「戦場以外の私のことを話すつもりはないわ。それに、協会上層部は信用ならないし」
「そ、そういうものなんですかね……」
真奈は少し肩を落としたが、それ以上食い下がることはしなかった。
その様子を見て、ゴーストはふっと小さく息を吐いた。
「まあ、強いて言うなら……面倒事に巻き込まれるのは、あんまり得意じゃないってことくらいかしら」
「た、確かに……! でも、なんかちょっと親近感湧きます……!」
真奈が、ようやく緊張の解けた笑顔を見せた。
最初は畏怖の対象でしかなかったゴーストという存在が、この短いやり取りの中で、ほんの少しだけ『同じ現場で戦う仲間』としての輪郭を帯び始めていた。
「……あなたたち、随分と打ち解けるのが早いですね」
由鶴が、どこか呆れたような、それでいて興味深そうな目でその様子を眺めていた。
「私が最初にあなたと対峙した時は、もっと恐ろしい威圧感があったはずですが」
「あれは、あなたがドローンで追い回してきたり、隙あらば細胞を採取しようとしてきたりしたからでしょ」
「容赦なく攻撃してくる人に容赦する必要はないでしょう?」
「それは、そうですね……」
由鶴が珍しく気まずそうに視線を逸らす。
緋雪と真奈が、思わず顔を見合わせて笑った。
その時、由鶴のタブレットが再び通信を受信した。
「——本部より続報。世田谷の飛鳥・鈴乃、現場に到着し交戦開始とのことです」
「よし、あの二人なら心配ないわね」
緋雪が安堵した表情を見せる。
しかし、続けて由鶴が読み上げた内容に、その場の空気が一瞬で張り詰めた。
「……ですが、新たな懸念事項があります。地脈の魔力濃度の上昇が、当初の予測をさらに上回るペースで進行しています。……このままいけば、今夜の発生総数は、当初の予測を大幅に超える可能性が高いと」
「……つまり?」
「今、この瞬間にも、事態は悪化し続けているということです」
由鶴の言葉に、ゴーストは静かに立ち上がった。
まだ足元はふらついているが、先ほどよりは明らかに力が戻っている。
「……よし。行けそうね」
「無理は……」
「分かってる。でも、もう十分休ませてもらったわ。今は、一秒でも早く、一体でも多く魔獣を倒して市民の安全確保が優先よ」
ゴーストは大剣を握り直し、夜空を見上げた。
遠くに、また新たな地脈の乱れの気配を感じ取る。
「……あなたたちも、無理しすぎないでね。結局この国を守ってるのは、あなたたちなんだから」
その言葉に、三人は一瞬、虚を突かれたように黙り込んだ。
これまで、常に孤高の存在として一線を画してきたゴーストの口から、そんな言葉が出てくるとは、誰も予想していなかったのだ。
「……ええ。あなたもね」
緋雪が、柔らかく微笑んだ。
夜の闇に紛れるように、ゴーストの姿が瞬時に掻き消える。
次なる戦場へと向かう小さな背中を見送りながら、残された三人は、それぞれの想いを胸に、静かに拳を握りしめた。
長い夜は、まだ始まったばかりだった。




