第百九話
大剣が一閃し、土塊の巨躯が縦に両断される。
ズシャアアアッ!
断末魔の唸り声も上げず、土の魔獣は原形をとどめないまま崩れ落ち、乾いた土くれの山となって地面に還っていった。
ゴーストは大剣を肩に担ぎ、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「……よし、一体目ね」
しかし、安堵する間もなく。
ズズズ、ズズズ……。
公園の別の場所、ブランコの脇の地面が、再び不気味に隆起し始めた。
「——は?」
ゴーストの表情筋が、僅かに強張った。
隆起は一箇所ではない。滑り台の下、砂場の中央、噴水の縁。彼女(彼)の視界に入るだけで、実に五箇所もの地面が同時に脈打ち始めている。
「マジか……」
思わず素の声が漏れた。
一体一体の強度自体は、先ほど倒した個体とほぼ同格。単純な戦闘力だけで言えば、ゴーストにとっては瞬殺できる相手ばかりだ。しかし——問題は、その『数』にあった。
ズオンッ! ズオンッ! ズオオンッ!
次々と地面が弾け、土と根で構成された異形の魔獣たちが、公園のあちこちから姿を現す。
その数、瞬く間に十体を超えた。
「くっ……!」
ゴーストは大剣を構え直し、最も近い個体へと肉薄した。
一撃、また一撃。確実に、着実に、敵を屠っていく。だが、一体を倒すそばから、地面の別の場所がまた隆起を始める。まるで、無限に湧き出る泉のようだった。
(キリがない……! これが『スタンピード』の本質か……!)
これまで戦ってきたのは、常に単体の強大な脅威だった。特A級のヒドラも、Sランクのカルト教祖も、一対一の戦闘であれば圧倒的な力で捻じ伏せることができた。
しかし、目の前で起きているのは、量による飽和攻撃。個々の強さではなく、絶え間ない物量そのものが、確実にゴーストの体力と集中力を削り取っていく。
「——きゃああああっ!」
その時、公園の隅から悲鳴が聞こえた。
振り返ると、砂場の近くに小さな女の子が一人、逃げ遅れて座り込んでいた。母親の姿は見当たらない。おそらく、避難の混乱の中ではぐれてしまったのだろう。
「くそっ……!」
女の子のすぐ傍まで、土の魔獣の一体が迫っていた。
ゴーストは戦っていた敵を無理やり振り払い、地を蹴って跳躍する。
——間に合え!
空中で大剣を横薙ぎに振るい、女の子に迫っていた魔獣の頭部を一撃で吹き飛ばす。着地と同時に、崩れ落ちる土くれの雨の中、ゴーストは女の子を片腕で抱き上げた。
「大丈夫!? 怪我はないわね!?」
「う、うぇぇぇん……! お母さんがぁ……!」
「よし、大丈夫よ。私が公園の外まで連れてってあげるから。……ちょっと揺れるから、しっかり掴まってね」
ゴーストは女の子を抱えたまま、闇の魔力で瞬間移動を発動し、公園の外、避難していた住民たちの元へと一瞬で移動させた。
「この子をお願いしますね!」
近くにいた母親らしき女性に女の子を預けると、ゴーストはすぐさま踵を返し、再び公園の中央へと駆け戻った。
(この調子で一人一人助けてたら、正直……身が持たない)
背中に、じわりと嫌な汗が滲む。
これまでの戦闘では感じたことのなかった、純粋な『体力の消耗』という感覚が、ゴーストの全身に重くのしかかり始めていた。魔力そのものはまだ十分に残っている。しかし、絶え間なく続く戦闘と、その合間に挟まれる救助活動の両立は、いかに特S級の力を持つ彼女でも、確実に体力を蝕んでいく。
ズオンッ!
新たに三体が同時に地面から出現する。
「……ハッ。次から次へと、よく湧いて出てくること」
乾いた笑みを浮かべながら、ゴーストは再び大剣を構えた。
闇の刃が唸りを上げ、二体を同時に薙ぎ払う。しかし、その隙を突くように、背後からもう一体が接近していた。
「——!」
咄嗟に振り向き、大剣で受け止める。土の腕による打撃は重く、ゴーストの足元の地面に亀裂が走った。
(力そのものは大したことないが……この数だと、確実に体力を削られる。長期戦は不利だ)
息を切らしながら、ゴーストは冷静に戦況を分析する。
これまでは常に自分一人で圧倒的に敵をねじ伏せてきた。しかし今、初めて『このままでは押し切られるかもしれない』という感覚が、頭の片隅をよぎっていた。
さらに十数分後。
公園の敷地は、すでに崩れた土くれの山と、地面のあちこちに開いた不気味な穴だらけになっていた。
ゴーストの息は完全に上がっている。全身に無数の擦り傷ができ、纏っているドレスも各所が破れていた。
「はぁっ……はぁっ……まだ、湧いてくるの……?」
これまでに討伐した個体は、優に三十を超えている。それでも、地面の隆起は一向に止まる気配を見せなかった。
その時。
「——ゴースト! 助太刀するわ!」
凛とした声が、夕闇を切り裂いた。
振り返ると、氷属性のトップエース・羽衣緋雪が、抜刀した太刀を構えて公園に飛び込んでくるところだった。その後ろには、土属性の只野真奈、風属性の弓飛鳥、炎属性の新堂鈴乃、エース部隊の面々が続々と到着していた。
「大規模な魔獣発生の報告を受けて駆けつけました! この数……あなた一人で相手をしていたの!?」
緋雪が信じられないというように目を見開く。
しかし、それ以上の驚きを表に出す暇もなく、彼女はすぐさま太刀を構え、迫る土の魔獣を一刀のもとに凍結・粉砕した。
「真奈! 飛鳥! 子供や住民の避難誘導を最優先に! 鈴乃と私で、魔獣の殲滅を!」
「了解だよ!」
「承知しました!」
エース部隊が的確に動き出す。
真奈と飛鳥は素早く公園内に残っていた逃げ遅れた住民たちを次々と保護し、安全な避難経路へと誘導していく。その数、確認できただけで数十人。この短時間で、これほど多くの人々が公園やその周辺に取り残されていたことに、緋雪は改めて背筋が冷える思いだった。
「鈴乃! 右から来るわ!」
「任せてください! 【爆炎烈牙】!」
新堂鈴乃の放った炎の魔法が、群がる魔獣の一角を一気に薙ぎ払う。
緋雪の氷結魔法と鈴乃の炎属性魔法、そしてゴーストの闇の斬撃が連携し、次々と土の魔獣を討伐していく。数の暴力によって押されつつあった戦況が、徐々に押し返され始めていた。
「——ッ、これで最後よ!」
緋雪の放った氷の刃が、最後に残っていた一体の魔獣を貫き、粉々に砕け散らせる。
辺りに、静寂が戻った。
「……終わった、のかしら」
ゴーストは大剣を杖のように地面に突き立て、荒い息を整えながら周囲を見渡した。
公園は無残な有様だったが、幸いにも、逃げ遅れた住民に大きな怪我人は出ていないようだった。
「ゴースト……あなた、大丈夫? ずいぶん、消耗してるみたいだけど」
緋雪が心配そうに近づいてくる。
これまで警戒すべき対象として接してきた緋雪だったが、この状況下では素直に労いの言葉をかけずにはいられなかった。
「……ええ、問題ないわ」
ゴーストは短く答えながらも、内心では焦りを隠しきれずにいた。
これほどの数の魔獣を相手に、これほどまでに消耗させられたのは初めてだった。もしエース部隊の合流がもう少し遅れていたら、あるいは自分一人だけの現場だったら——考えるだけで、背筋が寒くなる。
その時、緋雪の耳につけられた通信機が鳴った。
「——大佐、聞こえますか。本部より緊急連絡です」
情報班のオペレーターの声が、緊迫した調子で響く。
「こちら羽衣。現場の魔獣は全て討伐完了。状況は?」
「それが……都内だけでも、現在確認されているだけで七箇所で同様の魔獣発生が同時多発しています。さらに、埼玉、千葉、神奈川の各県からも、続々と類似の報告が上がってきています」
「——なんですって」
緋雪の顔色が変わる。
その報告は、ゴーストの耳にもはっきりと届いていた。
(七箇所……いや、それ以上に、東京だけじゃなく関東全域で……)
ようやく一段落ついたと思っていた戦いが、実はほんの序章に過ぎなかったという事実に、ゴーストの全身に冷たいものが走った。
由鶴が電話で告げていた『スタンピードの前兆』。それは、想像していたよりも遥かに大規模かつ広範囲に、すでに現実のものとして牙を剥き始めていたのだ。
「……このままじゃ、私一人じゃどうにもならない規模ね」
ゴーストは、崩れた公園の景色を見渡しながら、静かに呟いた。
これまで、彼女(彼)は常に単独で、圧倒的な力を持って全ての脅威をねじ伏せてきた。だが今、生まれて初めて『一人の限界』という現実が、目の前に突きつけられようとしていた。
夕闇はすっかり夜の帳に変わり、東京の空には、いくつもの遠いサイレンの音が重なり合って響いていた。
平穏な日常を守るためだけに戦ってきた特S級の亡霊にとって、これは間違いなく、これまでで最大の試練の始まりだった。




