第百話
東京の地下深くに張り巡らされた、忘れ去られた旧地下鉄の廃路線。
『福音の鐘』の新たな隠れ家となった広大な地下空間には、異様な熱気と静まり返った狂信の空気が充満していた。
「——皆の者。我が声を聞き、よくぞこの聖なる地下へ集ってくれました」
石造りの即席の祭壇の上に、一人の女性が立った。
黄金の長い髪と、純白の修道服。京都での『湯治(という名の協会情報班トップとの怪獣大決戦)』を終えて帰還した絶対的指導者、ルディア・ロンディニウムである。
彼女の首元にはまだ痛々しい包帯が巻かれているが、その黄金の瞳に宿る威厳と狂気は、以前よりも遥かに研ぎ澄まされていた。
「おお……! ルディア様……!」
「我らも、神の御導きに従います……!」
祭壇の下に並んでいるのは、百人を超える新たな信徒たちだった。
数日前の大規模テロ事件。協会は『未遂』と発表したが、裏社会や一部の魔法少女たちの間では、「福音の鐘が協会のトップエースたちを魔力封じ(ジャマー)で無力化し、圧倒した」という事実が広まっていた。
結果として、協会の体制に不満を持つ者や、強大な力に惹かれる野良の魔法少女たちが、次々とこのカルト組織の門を叩くことになったのである。
「ルディア様。人員の増強、およびロシアの暗部ルートからの『次世代型広域ジャマー』の追加発注、完了いたしました」
高級幹部の須藤真里が、恭しく頭を下げる。
ルディアは満足そうに頷き、両手を大きく広げた。
「協会の無能は露呈しました。しかし、我々が目指すのはあのような俗物どもの打倒ではありません。……我々の目的はただ一つ。私にこの素晴らしい痛みを刻み込んでくださった『神』を、完全なる玉座へとお迎えすることです」
信徒たちが、熱に浮かされたように祈りのポーズをとる。
ルディアの顔に、恍惚とした笑みが浮かんだ。
「自然界の魔力の揺らぎが、私には感じられます。間もなく……この国に、かつてない規模の『魔獣の波』が訪れるでしょう。我々はその混沌を利用し、神への最大の供物を用意するのです。……さあ、計画の第二段階へ移行しなさい!」
テロリストたちの狂信は、特S級の亡霊(中身は一般男子高校生)の物理的折檻を拡大解釈し続け、ついに日本全体を巻き込む最悪のフェーズへと突入しようとしていた。
同じ頃。
魔法少女協会 日本支部本部の『会長室』では、日本支部のトップである姫嶋結衣と副会長の湯野麗香が、ホログラムで投影された日本地図を前に深刻な表情を浮かべていた。
「……麗香。これは、どういうことかしら。日本中の地脈の魔力濃度が、異常な数値を示しているわ」
「はい、会長。各地の観測所からの報告を総合すると……最悪の事態を想定せざるを得ません」
ダークブラウンのロングヘアを揺らし、麗香がタブレットを操作すると、日本地図の上に無数の赤い警戒マークが点灯した。
「数週間以内に、全国規模で『魔獣の大量発生』が起こる確率が極めて高いと予測されます。それも、過去十年間で最大規模の」
「スタンピード……。福音の鐘が仕掛けたジャマーの影響で、地脈の魔力バランスが崩れた結果かもしれないわね」
黒髪のポニーテールと白い指揮官制服が似合う結衣は、深い青の瞳を険しく細めて腕を組んだ。
魔獣の大量発生が起きれば、現在の日本支部の戦力だけでは到底全国をカバーしきれない。
「各支部との連携を強化し、防衛ラインの再構築を急いでちょうだい。……それと、もう一つ報告があると言っていたわね?」
「ええ。実は、スタンピードの兆候以上に、協会の根幹を揺るがしかねない事態が起きています。……こちらをご覧ください」
麗香が表示した映像には、地方都市の夜の街を闊歩する、揃いの黒い腕章をつけた少女たちの集団が映っていた。彼女たちは皆、魔法少女たちだ。
「ここ数日、全国各地で『野良の魔法少女』たちが独自の自警団(独立組織)を立ち上げる動きが急増しています。関西、関東近郊、そして東北地方でも。彼女たちは協会の管理を拒絶し、自分たちのルールで魔獣討伐や縄張り争いを始めました」
「野良の魔法少女の組織化……? なぜ突然、そんなに一斉に?」
結衣が怪訝な顔をすると、麗香は銀縁の眼鏡を押し上げ、一枚の静止画像を空中に映し出した。
そこには、漆黒のドレスを纏い、大剣を振るう黒髪の美少女——『ゴースト』の姿があった。
「原因は、彼女です。カルトの教祖を単独で撃破し、特A級魔獣を一撃で粉砕し、協会のトップエースたちにも縛られない絶対的な存在。……ヴィジランテたちは、ゴーストを『反体制の象徴』として勝手に神格化し、崇拝し始めたのです」
「……は?」
凛とした結衣の口から、思わず素っ頓狂な声が漏れた。
「『我らもゴーストに続け』『ゴーストの自由な意志を継ぐ者』などと、好き勝手なスローガンを掲げて各県で旗揚げをしている状態です。……それも無理はありません。すでに周知の事実とはいえ、彼女は空間跳躍などの『闇』、絶対零度を作り出す『氷』、そして『炎』の三属性を極めた【トリプルスペル】の使い手。一人の人間が三つの相反する高位魔法を操るという、魔法少女の常識を根底から覆すその規格外の力が、強さを求める野良の魔法少女たちを狂信させているのです」
「……頭が痛くなってきたわ」
結衣はこめかみを指で押さえ、深く天を仰いだ。
制御不能な核兵器だと思っていたゴーストが、いつの間にか『革命のシンボル』として全国の不良魔法少女たちの精神的支柱になってしまっていたのだ。
「麗香。『ゴースト対策』のガイドラインを更新しなさい。本物のゴーストに対しては、引き続き『基本不可侵(刺激しない)』。ただし……彼女の名を騙り、市民の安全や秩序を脅かす過激な独立組織に対しては、エース部隊を派遣して徹底的に制圧(潰)すわ。スタンピードの前に、人間のいざこざで足元を掬われるわけにはいかないからね」
「了解しました。すぐに羽衣大佐たちに動員をかけます」
大いなる厄災の足音と、制御不能なカリスマの誕生。
日本支部のトップ二人は今、かつてないほどの多事多難な局面に立たされていた。
「……は?」
魔法少女協会のトップたちが頭を抱えていたその頃。
三神家のリビングでテレビのニュースを見ていた三神零もまた、持っていた急須を取り落としそうになるほどの間抜けな声を上げていた。
『——続いてのニュースです。最近、全国各地で未登録の魔法少女による自警団の結成が相次いでいます。一部の団体は、ネット上で話題の謎の魔法少女【ゴースト】を「反逆のカリスマ」として支持する声明を出しており、魔法少女協会は警戒を強めています。彼女は極めて稀な三属性を操る【トリプルスペル】の使い手として、ヴィジランテたちの間で神格化されており——』
画面には、黒い服を着た野良魔法少女たちが、「ゴースト様万歳!」と書かれた横断幕を掲げているシュールな映像が流れていた。
「……えっ。何これ」
零は、自分の目を疑った。
(反逆のカリスマ……? ゴースト様万歳……? 俺、ただ買い出しのついでに魔獣倒して、ついでに属性魔法使い分けてただけなんだけど!?)
一切の心当たりがない。
反体制の意志など微塵もなく、むしろ「平和な日常」と「安い特売品」を愛する善良な男子高校生である彼が、なぜか全国の不良魔法少女たちの『教祖様』に祭り上げられているのだ。
「うわぁ……なんか物騒ねぇ。ゴーストって、こないだショッピングモールで魔獣倒してくれた人でしょ? あんなに凄い人が反乱軍のリーダーみたいになっちゃうなんて」
夕飯の準備をしながら、母の奈々美が呑気に呟く。
「母さん、ニュースを鵜呑みにしちゃダメだ。絶対そのゴーストって人は、ただの巻き込まれた一般人だよ……うん、絶対そう」
零は必死に否定したが、声が少し震えていた。
(マジで勘弁してくれ……。福音の鐘のルディアには『神』扱いされてストーカーされるし、新人アイドルのきらりには『抹茶クッキーのお兄さん』だと疑われるし、今度は全国の不良魔法少女の『カリスマ』!? 俺の存在、どうなってんだよ!!)
胃の奥底から、かつてないほどの鋭い痛みがせり上がってくる。
自分の預かり知らぬところで、自分の名前が一人歩きし、世界を巻き込む巨大な渦の中心に据えられようとしている恐怖。
「あー……胃が痛い。……よし、落ち着け、俺。こういう時は、料理に集中して無心になるんだ」
零はテレビを消し、スマートフォンを取り出してスーパー『ヤオヨシ』のチラシアプリを開いた。
明日は特売日だ。豚ひき肉とニラが安い。餃子を大量に作って、無心で皮に餡を包み続ければ、この理不尽なストレスも少しは和らぐはずだ。
(自警団だのスタンピードだの知るか。平和を脅かす者は全部氷と炎と闇で吹き飛ばしてやる……!)
最強の亡霊の心に、ある種の『開き直り』という名の凄まじい決意が宿った瞬間だった。
迫り来る魔獣の大量発生と、全国で蜂起する野良魔法少女たち。
日本中が混沌の渦に呑み込まれようとしていた。




