第十話
週末の秋葉原。
無数の電子看板が放つ極彩色の光と、大型ビジョンから絶え間なく流れるアニメソング。ひしめき合う人々の熱気と喧騒に包まれたこの街は、三神零にとって数少ない「息抜き」の場であった。
彼は今、大手ホビーショップのトレーディングカードフロアにいた。
周囲には、熱心にカードのファイルを見つめるオタクたちや、対戦スペースで白熱したバトルを繰り広げる若者たちがひしめいている。零もまた、その中に溶け込むごく普通の男子高校生の一人として、新発売のカードパックを買い物カゴに入れていた。
彼が買おうとしているのは、大人気アニメのキャラクターグッズ……だけではない。
カゴの半分を占めているのは、『魔法少女クロニクル』と呼ばれる、実在する魔法少女たちをモデルにした公式トレーディングカードゲームの最新拡張パックだった。
魔法少女協会が広報活動と資金調達の一環として公認しているこのカードゲームは、今や国民的な人気を誇っている。魔法少女たちの活躍を身近に感じられるだけでなく、競技性の高いゲームシステムがウケており、零も密かにデッキを組んで遊んでいるプレイヤーの一人だった。
「……よし、とりあえず今日は2BOX分かな。今月の小遣いはこれでギリギリだ」
会計を済ませた零は、ホビーショップに併設された休憩スペースの隅に陣取り、さっそくパックの開封作業に取り掛かった。
未登録の魔法少女「ゴースト」として孤独な戦いを繰り広げている彼だが、変身を解いた本来の三神零は、アニメグッズ集めやカードゲームを嗜む、ごく年相応の趣味を持つ少年なのだ。むしろ、夜な夜な命がけの死闘を繰り広げているからこそ、こうした平和で俗っぽい趣味の時間が、彼の精神的なバランスを保つための重要なアンカーになっていた。
銀色のパックを丁寧にハサミで切り開き、中身を確認していく。
ノーマルカードを弾き、キラキラと光るレアカードの束を確認した瞬間、零の動きがピタリと止まった。
「あ……」
一番後ろに入っていた最高レアリティであるURのカード。
そこにホログラム加工で美しく描かれていたのは、白と水色の豪奢な魔装に身を包み、日本刀型の魔装を構えて微笑む『氷の女王』——日本支部現エース、羽衣緋雪大佐だった。
カードのイラストは、雪の結晶を背景に彼女が美しく舞う姿を捉えており、ご丁寧にフレーバーテキストには『私の氷は、いかなる悪をも凍てつかせるわ』と凛々しいセリフまで印字されている。
さらに次のパックを開けると、今度はSRの只野真奈大尉が出た。
巨大なハンマーを無邪気な笑顔で振りかぶっている、元気いっぱいのイラストだ。こちらのテキストには『いくよーっ! 私のハンマーで全部ぶっ飛ばしちゃうんだから!』と書かれている。
周囲のカードゲーマーたちが見れば「神引きだ!」「日本支部のトップエース二枚抜きじゃん!」と歓喜する場面だろう。しかし、零の顔には引きつったような、ひどく気まずい笑みが浮かんでいた。
(……一昨日の夜、俺がこの刀をへし折って、大剣の鞘の柄で気絶させたんだよな……)
カードの中でキラキラと輝く彼女たちの笑顔を見るたびに、チクチクと良心が咎める。
手加減はしたとはいえ、緋雪たちは満身創痍の重傷を負って現在も入院中のはずだ。自分が大剣の鞘でうなじを打って気絶させた真奈に至っては、ひどい脳震盪を起こしているかもしれない。
そんな彼女たちのグッズを休日に買い集めて、「やった、レアが出た」と喜ぼうとしている自分は、一体何をしているのだろうか。マッチポンプも甚だしい。
零が深い溜め息をつき、罪悪感から逃れるように緋雪のURカードをそっとスリーブ(保護フィルム)に入れようとした、その時だった。
『——ここで、魔法少女協会からの緊急特別番組をお伝えします』
街頭に設置された巨大なビジョンや、ホビーショップ内のモニター群が一斉に同じ映像へと切り替わった。
けたたましいチャイムの音と共に、ニュースキャスターの緊迫した顔が映し出される。周囲の喧騒がスッと引き、人々が足を止めてモニターを見上げた。カードを並べていたプレイヤーたちも、全員が手を止めて画面に釘付けになる。零もまた、スリーブから手を離して視線を向けた。
『本日未明、関東郊外の山間部にて、過去最大級となる特級魔獣の巨大な巣——コードネーム「深淵の揺り籠」が発見されました。観測データによれば、内部には数万規模の魔獣が密集しており、放置すれば近いうちに大規模なスタンピードが発生し、首都圏が壊滅する恐れがあります』
ざわっ、と。
周囲の人々の間に、どよめきと不安の声が広がる。スタンピードの脅威は、一般市民にとっても決して対岸の火事ではない。数万規模となれば、防壁など紙切れ同然に突破され、この秋葉原の街すらも数時間で火の海と化すだろう。
『この未曾有の危機に対処するため、魔法少女協会・日本支部はこれより、当該地域への「大規模攻勢作戦」を発動することを正式に発表しました。作戦の総指揮は、日本支部総司令官である姫嶋結衣大将、および湯野麗香中将が前線基地にて直接執ります』
画面が切り替わり、今回の作戦に参加する魔法少女たちの名前と顔写真、そして階級が次々とリストアップされていく。
そこには、零が見知った顔も並んでいた。
『先陣を切る遊撃・突撃部隊には、現在負傷から驚異的な回復を見せている日本支部のエース部隊——羽衣緋雪大佐、新堂鈴乃中佐、新実由鶴少佐、新飛鳥大尉、只野真奈大尉の五名が、医療班の特別許可を得て前線へ復帰・参戦することが決定しました。彼女たちの不屈の精神と覚悟に、ネット上では早くも応援の声が殺到しています』
「おおおおっ!」
「エース部隊が出るなら絶対勝てるぞ!」
「緋雪ちゃん、怪我治ったのか! よかったー!」
「真奈ちゃんも復帰したんだ! 頼むぞー!」
ホビーショップ内にいたファンたちが、安堵と興奮の入り交じった歓声を上げる。
しかし、零の心境はひどく複雑だった。
(あの怪我で、もう前線に出るのか……!? いくら魔法少女の治癒力が常人より高いとはいえ、絶対安静レベルの重傷だったはずだ。無茶すぎるだろ。……いや、そもそもそんな怪我を負わせた俺が言う資格はないか)
自分が負わせた傷が完全に癒えていない状態で、数万の魔獣がひしめく死地へと向かう彼女たち。組織の看板を背負い、市民を守るという強い責任感が痛いほど伝わってきて、零は胸が締め付けられるような思いだった。
『——続いて、関連する治安ニュースをお伝えします』
ビジョンのキャスターが、少しだけトーンを落として原稿を読み上げる。
『大規模攻勢を控え、協会が全力を挙げている中、協会に属さない違法な魔法少女や、犯罪組織の暗躍も問題視されています。こちらは先日、第四管区郊外の廃ビルにて撮影された、犯罪魔法少女組織「レガリア」の構成員とみられる二名と、未登録の魔法少女「ゴースト」の交戦映像です。市民の皆様は、彼女たちを見かけても決して近づかないようにお願いします』
「……は?」
零の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
画面に映し出されたのは、つい先日、休日の昼間にレガリアの芽衣や晴美と遭遇し、襲撃を受けたあの廃ビルでの映像だった。
どうやら、協会が配備していた無人偵察ドローンか、付近の防犯カメラの映像がメディアにリークされたらしい。
映像の中のゴースト(零)は、白と黒、そして紫を基調とした豪奢な魔装を風に翻し、冷たく美しい横顔を晒していた。
晴美の棘のついた巨大な鉄球が迫り、芽衣の赤い鞭が蛇のように這い寄る。しかしゴーストは、背に負った漆黒の大剣を抜くことすらなく、恐るべき体術と闇の瞬間移動だけで、その猛攻を紙一重で、かつ優雅に躱し続けている。
その映像は、ニュースの注意喚起という意図とは裏腹に、まるでアクション映画のワンシーンのように美しく、そして圧倒的な強者の余裕に満ちていた。
攻撃を躱すたびに揺れる紫がかった漆黒のロングヘアと、すべてを見透かすような冷ややかな紫の瞳が、高画質で全国ネットに流されている。
「うおっ、すげえ……!」
「これが未登録のゴーストかよ。初めて動いてるの見たけど、ヤバいな」
「てか、顔隠してないじゃん。……めっちゃ美人じゃないか?」
「それな。紫の髪とか超神秘的だし、あの冷たい目がたまんねえ……。俺、ゴーストがクロニクルにカード化されたら絶対天井まで課金するわ」
「レガリアの二人が子供扱いじゃん。強すぎだろ」
零のすぐ隣でモニターを見ていた大学生くらいの集団が、興奮気味にそんな会話を交わし始めた。
中には、スマートフォンを取り出して画面のゴーストを撮影し、SNSにアップし始める者までいる。タイムラインはすでに『ゴースト美しすぎる』『レガリアの攻撃を全部避けてる、強すぎ』『踏まれたい』といったトレンドワードで埋め尽くされつつあった。
(…………っっっ!!!)
零は、手元のコーヒーカップを握り潰しそうになるのを必死に堪えた。
なんとも言えない、居た堪れない気分だった。いや、地獄だった。
画面の中で華麗に舞い、見知らぬ男たちから「美人」「たまんねえ」「踏まれたい」と熱視線を浴びているのは、紛れもなく自分自身なのだ。
中身は正真正銘、16歳のしがない男子高校生である。
自分の女性化した姿が全国ネットでデカデカと放送され、あまつさえオタクたちから萌えの対象として消費されているという現実は、零の羞恥心を致死量にまで高めていた。
(やめてくれ……俺の顔をそんな大画面で流さないでくれ……! それに美人ってなんだよ、男だぞ俺は! 絶対カード化なんて許さないからな!)
心の中で絶叫しながら、零は顔を真っ赤にして深くフードを被り、いたたまれなくなって休憩スペースから逃げるように立ち上がった。
周囲の人間は誰も、この地味な男子高校生があの画面の中の「美しい亡霊」だとは夢にも思っていないだろう。それが今の零にとって、唯一の精神的な救いだった。
逃げるようにホビーショップを出て、駅へと向かう道すがら。
零は冷たい風に当たりながら、火照った顔を冷まし、先ほどの「大規模攻勢」のニュースについて冷静に思考を巡らせた。
数万の魔獣の群れ。放置すれば首都圏が壊滅する危機。
普段の零であれば、市民を守るために、誰に言われるでもなく闇の中を跳躍し、魔獣の群れに単騎で突撃していただろう。恩人である周防凛音の遺志を継ぐ者として、それが自分の使命だと感じているからだ。
しかし——今回ばかりは、話が別だった。
(……今回は、絶対に出ない。俺は行かないぞ)
零は心の中で、固く決意した。
理由はいくつかある。
第一に、これは魔法少女協会・日本支部が総力を挙げて行う「公式の大規模作戦」であるということ。
緋雪たちエース部隊をはじめ、百戦錬磨の魔法少女たちが緻密な連携と陣形を組んで戦う戦場だ。そこに、協会の戦術もフォーメーションも知らない自分のようなイレギュラーが乱入すれば、かえって彼女たちの連携を乱し、戦線を崩壊させてしまう危険性がある。
第二に、協会の目だ。
総司令官の姫嶋結衣や、湯野麗香といったトップ層が直々に指揮を執る戦場。そこには当然、対魔獣だけでなく、対魔法少女用の結界や捕獲トラップが無数に用意されているはずだ。
シンディー・クラネルは失脚したが、協会がゴーストを「違法な未登録者」として捕獲しようとする方針そのものは変わっていない。あんな目立つ舞台にノコノコと姿を現せば、魔獣と協会の板挟みになり、今度こそ逃げ切れずに捕まって解剖台送りにされるかもしれない。
そして第三に——これが一番の理由かもしれないが。
緋雪たちと刃を交え、彼女たちに怪我を負わせてしまったことへの、ひどい気まずさだった。
『……私は、誰も奪いたくないの』
あの日、雨の中で自分は確かにそう言った。彼女たちも、何かを感じ取ってくれたような気はする。
だが、だからといって「やあ、手伝いに来たよ」と馴れ馴れしく共闘できるほど、世の中は甘くない。彼女たちは法と組織の看板を背負うプロであり、自分は日陰を歩く亡霊なのだ。手加減したとはいえ、大剣の鞘で気絶させた相手にどの面下げて会えばいいというのか。
(俺がいなくても、緋雪たちならきっとやり遂げる。今回は、協会のプロフェッショナルたちに任せるのが正解だ)
自己完結した零は、駅の改札を抜けながら、バッグの中のカード束にそっと触れた。
今日は帰って、新しく買ったレアカードを綺麗なファイルに整理しよう。そして、温かいお茶でも飲みながら、ニュースで彼女たちの勝利の報を待とう。
そう決めて、零は帰りの電車に乗り込んだ。
しかし、彼がどれだけ平穏を望もうとも。
そして、協会がどれだけ完璧な布陣を敷こうとも。
この「大規模攻勢」の裏で、暗躍する犯罪組織レガリアの真の目的と、かつてない絶望が待ち受けていることなど、この時の零には知る由もなかった。
運命は決して、未登録の魔法少女を、ただの観客のままではいさせてくれないのだ。




