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「シュゼットとしては、愛する旦那様に愚痴っただけのつもりでしょうね。『家族も友達も、誰も私を愛してくれない』『私は一人ぼっちです』って。で、旦那様は愛する妻の涙を見て、はりきってしまわれて。イリスの父君が莫大な負債を作りました」
話の飛び方に困惑するクローディーヌに、ボーシャン夫人が声をひそめて説明していく。
いわく、負債の直接の原因は取引先に騙されたためだが、その取引相手とは何十年もの付き合いがあり、今さら詐欺同然のやり方でフォーレ商会に巨額の負債を負わせて得するような間柄ではなかった。
「それで『これはおかしい』となって。フォーレ氏も、ついでに我が家も少し調べてみたら、その取引相手も別の長年の取引相手にだまされて、多額の借金を抱えていて。その詐欺師もどきの取引相手が、ラ・コルデール公爵家の息のかかった商家」
クローディーヌは琥珀色の目をみはる。
「昔から何度もラ・コルデール公爵家に便宜を図ってもらっていて、公爵閣下の依頼を断れなかったのでしょう。閣下に言われたとおり、取引先の商会をだまして負債を抱えさせ、それを盾にフォーレ氏をだますよう、脅させて。で、狙いどおりフォーレ氏がだまされて負債を抱えたあとは、何食わぬ顔でラ・コルデール公爵が負債の肩代わりを申し出た、というわけですわ。肩代わりの条件はもちろん、フォーレ氏の令嬢に閣下の愛する妻の話し相手を務めさせること」
「…………」
クローディーヌは息苦しくなった。
「いくら公爵閣下でも、それはさすがに…………誰かに訴えたりすることはできなかったのですか?」
大貴族といえど、妻一人のために、さすがにやりすぎではないか。
けれどボーシャン夫人の返事は無情だ。
「あいにく物的証拠などはなく。事情が明らかになったのも、負債の肩代わりが済んだあとで、どうにもならなかったようです」
「そんな」
「ただ、この話にはつづきがございまして」
ボーシャン夫人の口調と表情が変化した。
「フォーレ氏には甥がおりましてね。イリスから見ると、従兄ですけれど。この従兄が、事情を知って一肌脱ぎました」
従兄はまず、ラ・コルデール公爵夫妻について徹底的に調べた。
そして公爵夫人シュゼットの実家の男爵家に目をつけると、老男爵に言葉巧みに近づき、信頼を得て、何食わぬ顔で事業上の取引を持ちかけた。
出会って間もない青年にすっかり気を許した老男爵は、言われるままに契約書に署名し――――フォーレ氏がラ・コルデール公爵に作った負債と、ほぼ同額の借金を抱えたのである。
「目には目を、だまし討ちにはだまし討ちを、というわけですわね。老男爵は、公爵家に嫁いだ孫娘に相談し、祖父の苦しみを知ったシュゼットは旦那様の前で泣いて、閣下としては愛する妻の笑顔のため、フォーレ氏と取引せざるをえなくなった…………というわけです。晴れて、フォーレ氏は借金完済。イリスもシュゼットの子守から解放され、今にいたる、というわけですわ」
ボーシャン夫人は不敵に片目をつぶった。
そして、このあとすぐ、シュゼット夫人は同族の同じような境遇の女性――――ブランシュ・ド・ラ・コルデール夫人を公爵から紹介され、興味がそちらに移った、というわけだった。
「先ほどのご質問の答えですけれど」
ボーシャン夫人はやや表情をくもらせる。
「イリスはシュゼットから解放されました。ただ…………この件で、フォーレ氏は甥に大きな借りを作りました。甥の父親――――フォーレ氏の弟は、フォーレ氏の長男が夭折して娘のイリス一人しか残らなかったのをいいことに『自分の息子がフォーレ家の家督と事業を継ぐべきだ!』と常日頃から主張していたそうで。フォーレ氏本人は、イリスに婿養子を迎えさせてその子供を跡継ぎに、と望んでいたようですし、平民はそれが法的にも許されているのですが…………今回の件で借りができたうえに、甥の有能さも証明されてしまったわけでしょう? いよいよ断れなくなって難儀していたのを見て、イリスのほうから『結婚せずに家業を手伝いたい』『職業婦人になりたい』と言い出したんです。自分が結婚して子供を産まなければ、父は従兄を跡取りにせざるをえないし、従兄のほうが当主にふさわしいから、と」
「そんなことが…………」
長い話の結末に、クローディーヌは言葉を失う。
「お茶がすっかり冷めてしまいましたわね。淹れなおしましょう」
ボーシャン夫人はテーブルの隅に置いていた鈴を鳴らして、召使いを呼ぶ。
エプロン姿の召使いがティーセットを盆にのせて出て行くのを見送り、付け加えた。
「まあ、イリスが職業婦人を志望していたのは、嘘ではないと思いますわ。経緯はどうあれ、仕事を手伝うのは楽しいようですし。機会があれば、自分でも事業を立ちあげてみたいとも言っていました。渡りに船、という部分はあったと思います。とはいえ…………」
ボーシャン夫人は真剣なまなざしでクローディーヌを見つめた。
「私がお伝えしておきたいのは、ただシュゼットが面倒くさい女だということだけではありません。その面倒な女に当然のように付き合い、献身的に尽くすラ・コルデール公爵は、シュゼット以上に要注意な存在である、ということですわ」
「――――っ」
「有り体に申して、シュゼット一人なら、たいした脅威ではありません。あの娘自身は、不満があっても自分からは行動しない性格ですから。ですが公爵はも妻のためなら、長年の付き合いがある家やそれ以外の家の二つ三つを倒産の危機に追い込んでも、痛痒を感じない。愛する妻以外の人間の人生を狂わすことに、ためらいがない。『運命の伴侶』とやらを見つけた『獣神』の末裔とは、そういう血筋なのです。その点は、クローディーヌ様も頭に刻んでおいて損はないと思いますわ。財力も権力も持つ男が面倒くさい女にひっかかると、輪をかけて面倒くさくなる、という典型例です」
ボーシャン夫人の言葉に、クローディーヌの脳裏にもいくつかの面影が浮かんだ。
マティアス・ド・ラ・コルデール卿に、彼の『運命の伴侶』ブランシュ・ド・ラ・コルデール夫人。
そしてブランシュ夫人のもともとの夫だったクレマン・ド・ルロワ伯爵、クローディーヌの父。
クローディーヌは、裏庭で一人、白いバラを見下ろしていた伯爵の後ろ姿を思い出し、胸に痛みが走る。
「失礼します。お紅茶のおかわりをお持ちしました」
召使いがティーワゴンを押して居間に入って来て、クローディーヌは物思いを覚まされた。
フォーレ先生も一緒に戻って来る。
「遅かったわね、イリス。いったい、どこで道草を食っていたの?」
「それが、戻ろうとしたら、あなたのご夫君につかまってしまって」
「まさか、口説かれたの!?」
あの野郎許さん、と、まなじりをつりあげて立ちあがりかけたボーシャン夫人だったが。
「いいえ。あなたがいかになっていない妻か、延々と文句や不満を聞かされただけ。でもあれは要約すると、せっかく流行りの有名店で上着を新調したのに、妻は褒めてくれない、なんなら新調したこと自体、気づいていないかもしれない、と落胆されていたのだと思うわ」
「アイツは…………」
額を押さえたボーシャン夫人に、クローディーヌとフォーレ先生はそろってほほ笑んだ。
「おかわりをいただいたら、お暇しましょう。すっかり長居してしまいましたね」
フォーレ先生の言うとおり、一杯だけおかわりをいただくと、クローディーヌはボーシャン邸を失礼した。
夕暮れが近い空の下、遠慮するフォーレ先生を馬車で送ってから、マティアス邸へといそぐ。
クローディーヌは落ち着かなかった。
フォーレ先生本人のいないところで、フォーレ先生の個人的な事情を知ってしまった後ろめたさもある。が、それ以外にも。
(ただの、仲の良いご友人と思っていたのに。そんな出来事があったなんて…………)
むろん、身分違いということは、最初に聞いて知っていた。
けれどそういう壁を乗り越え、友情がはぐくまれたのだと、漠然と思い込んでいたのだ。
ボーシャン夫人の話は事実だろうか。仮に事実なら、フォーレ先生はシュゼット夫人をどう思っているのか。それにシュゼット夫人は、夫人のために夫が裏で手をまわしたことを知っているのか。なにより。
――――愛する妻以外の人間の人生を狂わすことに、ためらいがない。『運命の伴侶』とやらを見つけた『獣神』の末裔とは、そういう血筋なのです――――
ボーシャン夫人の声と言葉が、不吉に胸に響いて残る。
白バラを見下ろす背中が、どうしても思い出された。




