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その後、クローディーヌは何度かボーシャン邸を訪問する機会があった。
むろん、母の許しは得ている。
クローディーヌはボーシャン夫人やフォーレ先生から聞く話が面白かったし、ボーシャン夫人のほうもクローディーヌがラ・コルデール一族の人間と知るや、いろいろ訊いてくるようになった。なにか商売の機会はないかと、狙っている様子だ。
ティーカップを手におしゃべりに興じていたある日、結婚の話題となる。
クローディーヌは模範的な答えを返しておいた。
「私は父に任せております。今は、まだ行儀見習いの身ですので、ラ・コルデール夫人のお許しが出れば、父が相応の相手をさがしてくださると思います」
その『父』がクレマン・ド・ルロワ伯爵なのか、マティアス・ド・ラ・コルデール卿なのか。今は、はっきりしないけれど。
フォーレ先生も、ラ・コルデール公爵夫人のお茶会の時と同じ台詞をくりかえす。
「私は結婚せずにいたいわ。人からはいろいろ言われるけれど、仕事に専念できるもの」
そのあとフォーレ先生が席を外し、クローディーヌはカロリーヌ夫人と二人きりになる。
なんとなく、気になって訊いてしまった。
「フォーレ先生は、本当に結婚される気はないのでしょうか? すてきな方ですもの、先生がその気になれば、すぐに相手が見つかると思うのですけれど」
たしかに今の時代では晩婚に入る年齢だが、理知的で芯があってタイピングも巧みで、商家などでは歓迎される人材と思うのだが。
「ああ、それは」
言いさしてボーシャン夫人は口を閉ざし、考える様子を見せる。
そしてフォーレ先生が出て行った扉を見ると「まあ、いいわ」と呟いた。
「知っておいて損はないでしょうから、お教えしておきます。イリスは、結婚したくとも、するわけにはいかない状況になってしまったのです。他ならぬシュゼットのご夫君、ラ・コルデール公爵閣下のおかげで」
「え。それは、どういう…………」
「そもそものはじまりは、ラ・コルデール公爵夫人となったシュゼットが、話し相手を求めたことが原因なのです」
意表を突かれたクローディーヌに、カロリーヌ・ボーシャン夫人は淡々と語りはじめた。
もともとシュゼットは一介の男爵令嬢にすぎなかった。
それが名門貴族であるレオナード・ド・ラ・コルデールに『運命の伴侶』と見出されたことでラ・コルデール公爵夫人となり、彼女を冷遇しつづけてきた家族とも縁が切れて、幸せな結末を迎えた。
かに思われたのだが。
シュゼットはすぐに新たな苦悩に直面することとなった。
「ラ・コルデール公爵は、シュゼットと出会った時点で、すでに申し分のない名門貴族の令嬢と婚約していたそうです」
ラ・コルデール公爵邸で、クローディーヌも聞いた話である。
「それでなくとも名門公爵家の後継者で、容姿も能力も抜きんで出た方ですから。当然、社交界では憧れの的。そこへぽっと出の下流貴族の娘が現れ、結婚したわけです。当然――――」
クローディーヌも察した。
それは、妬み嫉みやっかみ恨み、社交界中の敵意が集中したに違いない。
「むろん、名門公爵家の夫人ともなれば、表立って嫌がらせしてくるような者はいなかったそうです。公爵閣下も目を光らせていたそうですし。ですが、シュゼット本人はすっかり自信を失ったようで」
もともと女学院時代から、自分に自信のない少女ではあった。
けれどラ・コルデール公爵に愛され認められ、自信を失った元凶である家族とも離れて、ようやくシュゼット自身の人生を歩むことができる、自信もとり戻すことができるだろう、とボーシャン夫人やフォーレ先生達は喜び、実際、公爵邸にひきとられてまもない頃のシュゼットは、これまでになく自信とやる気に満ちて、活き活きと輝いていたのだ。
けれど。
「身の程を知った、というか。思い知らされた、というのが正確でしょうか」
シュゼットに嫉妬した令嬢達は直接、意地悪してくるようなことはなかった。暴力は言うに及ばず、悪口や嫌味を言ってくることもなかったし、私物を隠されたり壊されたり、ということもなかった。
それどころか、傍目には誰もがシュゼットを羨んで彼女の気を引こうと懸命で、いつでもどこでもシュゼットは令嬢達に囲まれて、話を聞かせてほしい、家に遊びに来てほしい、と引く手あまただった。
けれどシュゼットは「気づいてしまったの」だと言う。
「社交界でも上流の令嬢達ともなると、根本から異なるのだそうです」
ボーシャン夫人はティーカップに口をつけ、唇を湿らせる。
「私達は同じ女学院に通い、同じ授業を受けました。シュゼットは好成績でしたわ。でも本当に高貴な家の令嬢というのは、重要な勉強は自宅で専属の家庭教師から教わるもの。女学院で習う内容は、言いかえれば、お金を出せば誰でも学べる基本ばかりで、その程度のことは高貴な令嬢達は自宅でとっくに修了しており、彼女らが学院に通うのは、本来なら関わる機会のない階層の者達からの、支持や情報を集めるための手段にすぎないのです。そもそも安全上の理由から、本当に高貴な令嬢は学院になんて通いません」
つまり女学院で好成績を修めた程度では、名門公爵家の当主の花嫁候補に入るような家柄の令嬢には、太刀打ちできないのである。
「むろん、閣下もシュゼットを公爵邸にひきとったあと、家の財力と伝手を惜しみなくつぎ込んで、一流の家庭教師をそろえたそうです。彼女に一族内のあれこれを伝授するため、義姉もつきっきりになり、シュゼットも最初の頃は閣下や一族内の期待に応えようと、特訓を重ねていたそうですが…………」
どうしても勝てない。
「『下流と上流では、生まれ持った素質からして、くつがえせないものがあるの』。それがシュゼットの台詞だったそうですわ、イリスが言うには」
要は、シュゼット夫人は見せつけられたのだ。
いじめがあったわけではない。暴力や悪口や嫌がらせがあったわけでも、事実無根の悪評を流されたわけでもない。深窓で育った令嬢達はそんな下劣な手段、思いつきもしなかった。
彼女らはただ、シュゼットの前で優雅にふるまっただけ。
シュゼットの前でかろやかにステップを踏み、上品にほほ笑んで、下流貴族が息を呑むような高級品を当たり前のように使用しては、深い知性や教養に裏打ちされた会話を楽しみ、気品ただようたたずまいを見せつけた。それだけ。
それで充分だった。
得意の歌も、幼い頃から一流の声楽教師について練習してきた令嬢の前では、小夜啼鳥の前の烏同然と知り、シュゼットの心は折れた。
『あの方々には、私の家柄や教養なんて取るに足らないものなのよ』
そう、しくしく泣いたという。
「私個人としては、シュゼットの考えすぎというか、思い込みの部分もあると思っていますわ。女学院時代から、なにかと物事を悪い方向へ考えがちな娘でしたし。とはいえ、現実を知ったのは事実でしょうね。シュゼットったら、すっかりやる気を失ったみたいで」
絶望した彼女は公爵夫人としての社交を拒み、館に引きこもるようになった。
そして女学院時代の友人達に助けを求めたのである。
「私達はみな、事業に成功して財を築いた成金の娘、つまり平民ばかりですから。上流の令嬢との差に絶望したシュゼットには、居心地が良かったのでしょうね。公爵閣下にお願いして、イリスやルーシーを話し相手に呼ぼうとしたのですけれど」
ボーシャン夫人はティーカップを置き、一息つく。
「予想ですけれど、シュゼットが本当に呼びたかったのは、ルーシーだったと思います。あの娘はシュゼット並みにおとなしくて、とにかく辛抱強く人の話を聞ける美徳の持ち主でしたから。それで、嫁ぎ先でも義母に可愛がられているようですけれど。二人目を産んだあと、産後の肥立ちが良くなくて。さすがに療養中の人に『話し相手になって』とは言えないでしょう? 次点でイリスを呼んだんです。理屈っぽいところのあるイリスは、シュゼットにとっては必ずしも理想的な話し相手ではなかったでしょうけれど、私よりはマシだったんでしょうね。ちなみに私は、はじめから声をかけられていません。あの娘は、昔から私を苦手にしていましたからね」
なんと答えればいいかわからないクローディーヌを置いて、ボーシャン夫人は話を進める。
「イリスも女学院の頃なら、シュゼットの話を聞いて、あれこれ助言したんでしょうけれど。気づいたんでしょうね。私やイリスがどう言っても、シュゼットには響かない。ふり返れば、頼りなげに見えて実は頑固というか、我の強い娘でしたわ」
カロリーヌ・ボーシャンのまなざしが遠くなる。
「一度やらないと言ったら、絶対にやらない。周囲がどう説得しても無駄。やる気を失ったのは人前で恥をかきたくなかったせいもあるでしょうが、それも言いかえれば自尊心の高さの証明ですし。イリスも今はシュゼットのそういう性格を察して、何を相談されても『はいはい』と、右から左に流しているそうです。でも、それがかえってシュゼットには良かったようで」
クローディーヌは首をかしげる。
「以前のイリスなら『公爵閣下を信じて特訓しましょう』みたいな正論を言っていたんでしょうけれど。今はそんな面倒なことはせず、なにを言われても『大変ね』『つらいわね』と、あいづちを打つにとどめたら、シュゼットにとっては都合のいい人形だったらしく。毎日、公爵家に来てほしい、いっそ住み込みで話し相手になってほしい、お給料は言い値を出す、と言い出して」
ボーシャン夫人の指が陶器のティーカップの縁を弾いた。
「ちなみにシュゼットはたいした結納金を持参できなかったから、あの娘のいう『お給料』はほぼほぼ公爵閣下のお金ですけれど。まあ、それはともかく。さすがに『それは困る』とイリスも断ったら…………」
ボーシャン夫人はため息をついた。
「イリスの父君、フォーレ氏が多額の借金を抱えてしまったのです」




