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「ごめんなさいね、お客様を放り出して。騒がしくて申し訳ないわ」
カロリーヌ・ボーシャン夫人は笑いながらクローディーヌに謝罪し、今度こそ居間へと案内すると、着替えのため、いったん席を外した。
代わりに義母のほうのボーシャン夫人が、若い客人の話し相手を務める。
「驚いたでしょう? 我が家はカロリーヌちゃんが嫁いできてから、ずっとあんな調子なの。オーブリーは自尊心ばかり高くて、意地っ張りの臆病者。逆にカロリーヌちゃんは、昔からしっかりした娘でねぇ」
ボーシャン夫人は一人で話を進めていく。
「我が家とカロリーヌちゃんの実家は、どちらも商家でね。時代の波に乗って成功を収めたといえば聞こえはいいけれど、要は成金で。初代であるお義父様はやり手だったけれど、二代目である私の夫は可もなく不可もなしで、三代目となる息子は、あの調子」
ちなみに二代目の妻であるボーシャン夫人は、とある下流貴族の次女だったそうだ。
社会的な成功を収めて地位と財を築きあげた男のあるあるで、次は高貴な血筋を求めたのだ。
夫人は次女だから、貴族である実家の家名や地位や財産を継ぐことはないし、夫人の子であるオーブリーにも継承権は発生しない。
それでも『高貴な血』の肩書は抗いがたい魅力があったらしく、初代に強く望まれてボーシャン夫人は二代目と結婚した。
「それでも、夫はとにかく真面目で温厚な人だったから。お義父様が生きておいでの間は、お義父様の指示をよく聞いて、安定した結果を出していたのよ。でも、お義父様が亡くなったあとは、悪い金貸しに騙されて、多額の借金を抱えてしまって。息子もあのとおりでしょう? 事業も邸もすべて抵当に入っていたし、これはもう、一家で路頭に迷うか修道院にでも入るしかない、という寸前まできて」
夫人の声にはちっとも切迫感がないが、とんでもない状況である。
「そんな時に、カロリーヌちゃんが立ち上がってくれてね。こんな状況だから、婚約も解消しましょう、って言ったのに、押しかけるように嫁いできたと思ったら、超高速で法律の勉強をはじめて。あちこち駆けまわって、借金問題に強い法律家に相談に行ったり、敏腕弁護士をさがしまわったりして。普通、女は殿方の仕事に口を出さないものだけれど、カロリーヌちゃんは『秘書』という体で、夫と先方の話し合いにまで同席してね。夫に代わって、相手方との交渉まで引き受けてくれたそうなの」
「はあ」
とんでもない行動力と積極性だ。
「そりゃあもう、海千山千の男達相手に、一歩も退かなかったそうよ。何度も話し合って、とうとう弁護士立会いのもと、借金の違法性を認めさせたうえに、返済額も元金におまけ少々程度の額にまで減らさせて。おしまいには、相手の親玉も『あの臆病者の跡取り息子にはもったいない。うちの倅はどうだ?』とまで言い出したそうよ。おかげで我が家は、首がつながったの。すごいでしょう?」
ころころ笑った夫人は、心から息子の嫁を自慢に思っているようで、逆に息子や夫の面目が潰されたことは、なんとも思っていないようだ。
「そんなんだから、我が家はカロリーヌちゃんがいないとやっていけないし、夫も全面的にカロリーヌちゃんを頼りにして、夫の部下や邸の使用人達もカロリーヌちゃんのほうに従うのだけれど、あの子ったら、それが気に食わないらしくてねえ。ずっとあの調子。自分は金貸し相手に怯えて、カロリーヌちゃんの背中に隠れっぱなしだったらしいのにね」
夫人がなんとものんびりしたため息を一つ、こぼすと、はきはきした声が入室してきた。
「まあ、お義母様ったら。また、私とオーブリーの話ですか?」
接客用の室内着に着替えてきたカロリーヌ夫人が、ティーワゴンを押す召使いを連れて居間に現れる。
「ごめんなさいね、クローディーヌ嬢。義母は初めての方には必ず、私達の話をしないと気が済まないようで。若い方にはつまらなかったでしょう?」
「いいえ。興味深いお話でしたわ」
嘘でもお世辞でもなく、ちょっと手を加えれば一本の短編に仕上がりそうな内容だった、とクローディーヌは満足している。
「イリスの着替えも、そろそろ終わる頃だと思いますから…………」
そこへ、召使いの女が淡々と入室してくる。
「失礼します、奥様。旦那様が馬車にお乗りにならないので、エマ様が困っておいでです」
「また? ちょっと失礼しますわね、クローディーヌ嬢」
カロリーヌ夫人はすべてを察したように立ちあがると、客に断って出て行く。
義母は当たり前の表情で立ちあがってついていき、クローディーヌも行儀が悪い、作法違反だと知りつつ、好奇心に負けて二人のあとを追う。
召使い女の報告どおり、ボーシャン氏は玄関ポーチに横付けされた馬車の扉の前でしぶっていた。愛人の女性はすでに車内だ。
「なにやっているのよ、早く行きなさいよ、エマが待っているじゃない」
「貴様がそういう態度だから、私が出たくとも出られないのだろう!! 妻のくせに、夫を見送ることもできないのか!!」
「はいはい、だから来てあげたでしょ。見ていてあげるから、さっさと行きなさい。エマ、いつも手間をとらせて、ごめんなさいね」
「いいえ、奥様。私はこれが役目ですから」
ボーシャン夫人は、夫よりよほど優しく愛人に声をかけ、愛人も殊勝に正妻に頭をさげる。
その光景に、夫がますます声をはりあげる。
「なんだ、その態度は! エマは愛人だぞ!? 夫の私が囲っている、私の恋人だぞ!? 泣くとか怒るとか嫉妬するとか、少しは妻らしい反応をみせたらどうだ!!」
「いつも言っているけれど、こちらの仕事の邪魔をせず、喧嘩も売ってこないなら、愛人を囲うのはかまわないわ。むしろ囲って。愛人と遊んで、こちらには顔も口も手も出さないでちょうだい、その程度のお金は出すから。エマはお手当分の仕事はこなしてくれているし、エマさえ良ければ、このまま愛人をつづけてほしいと思っているわ」
「もったいないお言葉ですわ、奥様。無芸無才の身ですが、オーブリー様が望んでくださる限り、奥様がお許しくださる限り、誠心誠意務めさせていただきます。オーブリー様、そろそろ参りましょう? 私、オーブリー様と歌劇を観られると思って、今日をとっても楽しみにしておりましたのよ?」
美しい愛人に潤んだ瞳をむけられてオーブリー・ボーシャンの自尊心はくすぐられ、正妻には「しっし」とばかりに手をふられて「ぐぬぬ」と歯ぎしりする。
「くそっ!!」
馬車の扉を蹴飛ばさんばかりの乱暴さで車内に乗り込み、車体が大きくゆれた。
窓から顔を出し、妻にむかって怒鳴る。
「後悔するなよ! 今夜は帰らん! 本当に帰らんからな!!」
「はいはい。いってらっしゃい」
「泣いても無駄だぞ! たとえ妻の貴様がいくら泣いても、迎えにきても、絶対に今夜は」
「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛、も゛お゛ぉ゛お゛ぉ゛!! 歌劇が終わったら、連絡を寄こしなさい! 迎えに行くから!!」
ボーシャン夫人が頭をかき乱さんばかりに怒鳴りつけ、ようやくボーシャン氏は満足そうな勝ち誇った笑みを浮かべる。「ふん!」と大きく鼻を鳴らした。
「私は帰る気など、毛頭ないがな! 仮にも妻がそこまで言うなら、帰ってやろう! 夫だからな! 迎えにまでこられては致し方あるまい、帰ってやろう!!」
「早く行け!!」
御者が鞭をふるい、ガタゴトと馬車が動き出す。
車輪や蹄の音に混じって、車内の会話がもれ聞こえた。
「オーブリー様ったら。やっぱり愛人の私より、奥様のほうを愛しておられるのね。寂しいわ。しかたのないことだけれど、オーブリー様と会えなくなったら、私…………っ」
「馬鹿な、そんな心配をする必要がどこにある、エマ。私が真実、愛しているのはお前だ。誰より素直で愛らしいエマ、お前の可憐さに比べたら、あの生意気なカロリーヌなど…………」
いかにも恋人らしい、いっそお芝居じみた会話が遠ざかっていく。
驚きをとおりこして感心のまなざしで事態を見守っていたクローディーヌに、慣れた様子で年長のほうのボーシャン夫人が説明した。
「本人はねぇ。さり気なく嫌がらせをして、カロリーヌちゃんに痛手を負わせているつもりらしいわ。本人はね。でも、あの子だってカロリーヌちゃんに出て行かれたら、路頭に迷うしかないんだから、素直に認めればいいものを、殿方っておかしな方向に意地っ張りだから」
のんびりしたボーシャン夫人とは対照的に、若妻のほうのボーシャン夫人はげっそりと気力を削られた様子で肩を落としている。
「重ね重ね、見苦しいところをお見せして申し訳ありませんわ、お嬢様。そろそろイリスも着替え終わっているでしょうし、居間に戻ってお茶をいただきましょう」
なんだかやつれた様子のボーシャン夫人に、クローディーヌはもう少しで「今日はもう失礼しますので、ごゆっくりお休みください」と言いそうになった。




