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それからしばらくして。クローディーヌは母と共に、ラ・コルデール公爵邸を訪問した。
シュゼット夫人は相変わらず最新流行のお茶会用ドレスに身を包み、清潔で恭しい召使いの女達に囲まれて、下にも置かない扱いをうけている。
にも関わらず、シュゼット夫人の瞳には憂いの色が濃かった。
なんでも、ちかいうちに王宮で夜会が催されるのだそうだ。
「王族と公爵夫妻のみが出席する、小規模な夜会なの。でも、主催が王妃さまで…………」
気は進まないが、断ることもできない。
それがシュゼット夫人の憂いの原因だった。
「どうしても、というのであれば、いつものようにリリアーヌ様にお任せするのも手ですわ。レオナード様もシュゼット様がお嫌なのを無理に、とはおっしゃらないでしょう」
「でも、リリアーヌ様には前回も代理をお願いしたし…………それに最近は、なんだかリリアーヌ様がレオ様の正妻のように思われているようで…………」
「まあ」と、ブランシュ夫人は眉をひそめた。
「ラ・コルデール一族に嫁いだ『運命の伴侶』の多くが『義姉』を持つことは、社交界に出入りできる者なら誰でも知っています。わたくし自身、マティアス様の妻となって数年間は『義姉』がおりましたわ。リリアーヌ様を本気でレオナード様の妻や愛人と疑う者がいるなら、それはその者が社交界に慣れていない新参者か、成り上がりの証しです」
ブランシュ夫人は笑いとばし、提案する。
「思いきって、出席してしまえばいいのですわ。つまらない噂や誤解はすぐに消えますし、なによりレオナード様が大喜びされます。はりきってドレスと宝石を選んでくださいますわ」
ブランシュ夫人は明るくうながすが、シュゼット夫人の顔はくもったままだ。
けっきょくシュゼット夫人は、
「出席されるのは、上流中の上流の方々ばかりだもの。万が一にも、失敗してレオ様に恥をかかせるわけにはいかないわ。礼儀作法が完璧に身に着くまで、今回はリリアーヌ様にお任せしたいわ…………」
と、結論をくだし、お茶会もお開きとなった。
クローディーヌが母と共に馬車に乗り込み、馬車が公爵邸の門を潜り抜けると、ブランシュ夫人は大きく息を吐き出した。
「リリアーヌ様もお気の毒に。シュゼット様のあのご様子では、まだ当分は代理に引っぱり出されるでしょうね。ご本人はご夫君との時間を望まれておいでなのに」
「そうなのですか?」
「社交界では有名な話よ。リリアーヌ様とご夫君は、貴族には珍しい恋愛結婚。両家の思惑もあったとはいえ、幼い頃からの初恋を実らせた、稀有なご夫婦なの」
「あら、すてき。貴族にもそういう方がおられるんですね」
「お二人は今も仲睦まじいご夫婦よ。だからリリアーヌ様がレオナード様に、なんてありえないのに、いつまでも心配されて」
クローディーヌは訊いてみた。
「シュゼット夫人は、どうしてあんなに不安がっておられるのでしょう? もしかして、リリアーヌ様とご夫君が愛し合っておられること、ご存じないのですか?」
「まさか」と、ブランシュ夫人は首をふる。
「もう何度もお伝えしたし、そもそもリリアーヌ様が結婚されていることもご夫君と仲睦まじいことも、『義姉』の契約の前に、きちんと説明をうけているわ。『義姉』は一族内の既婚女性しかなれない掟なの。でもシュゼット様は、ずっとあの調子。こちらの話など聞いていないのよ」
「どうしてでしょう。それほど不安なのでしょうか?」
「というより、あの方は自分から悩みや不安を作っておいでなのよ」
不思議そうに首をかしげた娘に、母は自説を披露した。
「自分が動かなくて済む、恥をかかずに済む口実を、息を吸うように自然にさがされるのよ。自覚があるのか無意識かは、はっきりしないけれど。あの方は下流の家柄で相応の教養しか身についていないから、上流の令嬢達と並んで比較されたくないのよ」
「でも、公爵閣下がちゃんと家庭教師をつけられたのでは?」
「もちろん。一流の方々をおつけになったし、シュゼット様もレオナード様や使用人達の前では、喜んで歌って踊るのよ。でも高貴な方々がおられる場所は駄目。即、逃げ帰ってしまうの」
先日も似たような話を聞いたばかりである。
「ご夫君の公爵閣下は、なにも言われないのですか? その、シュゼット様がそのような態度をつづけておられたら、公爵夫人としての社交や体面にも差しさわりが出るのでは?」
「レオナード様はなにもおっしゃらないわ。なにしろ『運命の伴侶』ですもの。『嫌なら無理しなくていい』、それだけ。シュゼット様も邸では練習をつづけているから『こんなに努力しているのだから、いずれ自信もつく。それを信じて待とう』、それが公爵のご意向なの」
「でも…………それでいいのでしょうか? せっかく練習されているのだから、ちゃんと公の場で発表されたほうが、自信もつくのでは…………」
「ご本人にその気がないのだから、無理でしょう。ああ見えて頑固な方だから。周囲の言葉なんて聞き入れないわ」
ブランシュ夫人の他人事のような口調に、クローディーヌは違和感を覚える。
「お母様は、それでいいのですか? お友達なのです、シュゼット様を励まされたり、忠告されたりはなさらないのですか?」
「わたくし?」と、母は訊き返した。
「わたくしにそんな力はないわ。言ったでしょう、あの方は誰の言葉も聞かないの」
「でも、シュゼット様はお母様を『お姉さま』と慕っておいでです」
「正論も嫌なことも言わず、ただ黙って話を聞いてうなずいてくれるだけの存在、という意味よ。あの方のいう『お友達』というのはね」
ブランシュ夫人の公爵夫人評は辛辣だった。
「あの方が話を聞くのはただ一人、レオナード様だけ。それすら愛情ゆえかといえば、怪しいわ。あの方にとってレオナード様は、安定した生活を保障してくれるパトロンであり、嫌なこと苦しいことから守ってくれる『王子様』というだけ。本当にレオナード様を愛しておられるなら、いつまでも公爵の体面を潰すようなことをなさりつづけるのも、おかしな話ね」
「でも」と、クローディーヌは反論した。
「シュゼット様は、リリアーヌ様に代理を任せるのは、本当にお嫌な様子で――――」
「嫌なら、ご本人が出席なさればいいだけよ。レオナード様も本心ではそれをお望みのはずだし、少なくとも、わたくしはそうしました」
いわく、ブランシュ夫人も結婚直後は、下流貴族出身ということで『義姉』の契約を結ばされたのだそうだ。
けれど夫人は猛特訓の末に、上流でも通用する教養や気品、立ち居振る舞いを身に着けた。
そして『義姉』の契約を解消させたのだ。
「代理は必要ない」と、ラ・コルデール一族中に自力で認めさせたのである。
「おそらくシュゼット様は、わたくしが気を回して、レオナード様にリリアーヌ様との『義姉』の契約を解消するよう、お願いしてほしいのでしょうね。でも、それは駄目。わたくしもラ・コルデールの女として、していいこととそうでないことは理解しています。シュゼット様が『義姉』の契約を解消したいなら、ご自分で公の場に出る、それ以外にありません。だいいち、公爵ともあろう方が、いつまでも公の場に伴侶を同席させないなんて、世間でなんと噂されることか。そう、何度も説明したのに、自分は出たくない、『義姉』も嫌、と我が儘を言いつづけているのは、シュゼット様のほうよ。本人が自覚しない限り、どうにもなりません」
ブランシュ夫人はきっぱり、断じた。
その冷ややかなまでに容赦ない断定に、クローディーヌはうそ寒さを覚えずにはいられない。
(お茶会の時は、親しそうに見えたのに…………)
これが、貴族の女性の「裏表を使い分ける」ということなのだろうか。
そんなこんなで行き詰ったかに思われたが、事態は思わぬ方向から劇的に変動した。
シュゼット夫人が懐妊したのである。
公爵邸は上へ下への大騒ぎ。早くもお祭りのような盛りあがりで、ブランシュ夫人もさっそく祝いの品を吟味しはじめる。
ひとまず祝辞だけ述べにクローディーヌとブランシュ夫人が公爵邸を訪問すると、シュゼット夫人は初めて見るような晴れ晴れとした、それでいて満たされた笑顔を浮かべていた。
ブランシュ夫人の祝いの言葉にも、にこにこと応じて、唐突に口を押える。
「ごめんなさい、つわりが…………お医者さまは『はじめての懐妊だからしかたない』と言うけれど、毎日大変で…………」
「まあ。いけませんわ、早くベッドに。わたくし達はもう失礼しますので、どうかお大事に」
妊婦の体調を気遣い、この日の訪問はごく短時間で終了した。
クローディーヌは帰路の馬車の中で、母に水をむける。
「シュゼット様、お体はつらそうでしたが、お気持ちは楽そうでしたね。やはり初めての子というのは、嬉しいものなのでしょうか」
「そうね」と、ブランシュ夫人も賛同した。
「心からお喜びだと思うわ。これで外に出なくて済む理由ができたのだもの。上流貴族の夫人といえど、懐妊中は公の場の欠席を許されるし、ご夫君も一人での出席が可能なの。つまりシュゼット様はご自分は外に出ず、かつ、ご夫君にも他の女を同伴させない、絶好の口実を手に入れた、ということ。嬉しくないはずがないわ。なによりレオナード様の子を身籠れるのは『運命の伴侶』である自分のみ。『義姉』を務めるリリアーヌ様も、こればかりはかなわないわ。シュゼット様にしてみれば、二重三重に願ったり叶ったりなはずよ」
それがブランシュ夫人の推測だった。
その推測が正解か否か、クローディーヌには確認のしようがない。
ただ、懐妊を境にシュゼット夫人からのお誘いがぱたりとやんだのは事実だ。
「愚痴を聞いてもらう必要がなくなった、ということでしょう。それだけよ」
マティアス邸に届いた招待状の差出人を一通ずつ確認しながら、ブランシュ夫人はなんてことないようにクローディーヌに説明した。
淡白な反応だったが、現実問題、クローディーヌもシュゼット夫人にばかりかまってはいられない。
フォーレ先生のタイピングの授業を受けつつ、淑女教育もつづけた半年後。
クローディーヌは社交界デビューが決定した。
田舎のルロワ領より、王都でデビューしたほうが、あとでなにかと都合がいい。
そう説かれて、マティアス邸からのデビューが決定する。
そして。
「どうだろう、クローディーヌ。この機会に、正式に私達の養女になってしまわないか? 同じ社交界デビューするなら、ラ・コルデールの姓を名乗ったほうが、いろいろ便利なはずだ」
「マティアス様のおっしゃるとおりだわ、クローディーヌ。結婚相手をさがすなら、田舎より王都のほうが有利だし、王都でさがすならルロワの姓よりラ・コルデールの姓のほうが、箔がつくわ。なによりわたくし達が、もうあなたと離れたくないの。ね、そうしましょう?」
マティアス卿とブランシュ夫人は見るからにうきうきと楽し気で、クローディーヌのほうが気後れしてしまう。
「お二人の気持ちは、ありがたいのですけれど。そこまでして私を望んでいただける理由が、わかりません。私はこのとおり、特別優れた取り柄があるわけでもない、ただの娘です」
娘の遠慮に、実母が身を乗り出す。
「理由だなんて。わたくしはあなたの母親で、あなたはわたくしの娘。それだけで充分だわ、他にどんな理由が必要だというの?」
「お母様とはそうでも、マティアス卿とは血のつながりはありません。マティアス卿とお母様の間には、ご子息もおいでです。ご子息の意見もうかがわずに、ここで決めてしまうのは」
「ブランシュの娘なら、私にとっても娘だ。それだけの関係を、彼女とは積みあげてきた。そう断言できる。息子達もわかってくれるだろう。クローディーヌが案じることはない」
クローディーヌをまっすぐ見つめるマティアス卿の瞳は金色に輝き、嘘偽りの影は欠片も見当たらない。
クローディーヌは途方に暮れてしまった。
「…………少し、お時間をいただけますか? 気持ちが追いつかなくて…………」
「そうだな、急な話だ。困惑するのも無理はない。時間をあげるから、じっくり考えてみるといい。ただ、私達の気持ちは決まっている。それだけ覚えていてくれればいい」
マティアス卿の返事は鷹揚だった。
とにもかくにもクローディーヌの王都での社交界デビューは決定し、さっそく王都でも人気の仕立て屋が呼ばれて、母と二人、ドレスの採寸をおこなう。
無数のデザイン画から「これは」という一着を選び、靴もドレスに合わせて新調し、ラ・コルデール家馴染みの宝石商も呼ばれて、デビュー用の装飾品を選んだ。
一方で、今まで以上に厳しくダンスや発音、会話術の授業をうける。
そうして迎えた当日。
流行りの、ウエストの細さを強調してスカートをふくらませた、薄紫色のドレス。白真珠の耳飾りとティアラも、クローディーヌの鳶色の髪をよく引き立てている。
養女云々については保留したままだったが、名前は『ブランディーヌ』にあらため、『ブランシュ・ド・ラ・コルデール夫人が世話する親戚の娘』という体で、婿探しがはじまった。




