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すべり出しは上々だった。
ラ・コルデール家は、建国の時代からつづく由緒も伝統も、権力も財力もある名門中の名門であり、その一族の一人で高級官僚でもあるマティアス卿の養女(予定)となれば、そうそう相手に困ることはない。
クローディーヌはどこの貴族の夜会や舞踏会に出席しても、誰かしら声をかけてくる殿方がおり、ダンスのパートナーに不自由もせず、クローディーヌ自身、どんどん場慣れして周囲を見渡す余裕も生まれてくる。
何度目かのパーティーで何人目かの令息と踊りながら、
(私も来年の今頃は結婚して、お相手の家に移っていたりするのかしら)
そんなことをぼんやり考えた。
ほんの一ヶ月で、十を超す貴族の邸をまわった。
けれどルロワ伯爵やエリーズ夫人とはちあわせたことはない。
一家はルロワ領にいるのだから当然ではあるのだが、時折、目が覚えのある背中をさがしてしまう。
(エリザベトにデビューやパーティーの話をしてあげたかったわ。きっと大喜びだったと思うのに。お義母様は、ひやひやしていたかしら。お父様は――――)
ブランシュ夫人がマティアス卿と息の合ったダンスを披露しているのが、客達の向こうに見えた。邸で仲の良い二人は、外でも睦まじい。
クローディーヌは、伯爵邸の裏庭で見てきた、白バラを見下ろす背中を思い出す。
きらびやかなドレスに身を包んで宝石を飾り、端正な令息達にエスコートされてダンスを踊り、葡萄酒やケーキに舌鼓を打って。
典型的な『貴族のお姫様の贅沢な暮らし』のはずなのに、最近のクローディーヌの胸には黒い重い雲が居座って、晴れないままだ。
ダンスは嫌いではないが、定期的に会場を抜け出して、人気のない庭でひんやりした夜気にあたって肌を冷まさなければ、とてもやっていけない。
(本が読みたい。小説が読みたい。小説が書きたい)
最近、痛切に思うようになった。
誰にも邪魔されない場所で思いきり想像の海に沈んで、思考に没頭したい。
そんな悶々とした日々を送っていたが、数ヶ月後、縁談が持ち込まれた。
相手はラ・コルデール家と付き合いのある伯爵家の三男で、見目好く、男子校の成績も良い。
話はとんとん拍子にまとまり、いくつかの夜会を彼に『婚約者』としてエスコートされて出席し、観劇などにも誘われて、クローディーヌ自身も、
(このまま、この男性と結婚するんだろうな)
と信じた、その矢先。
「ブランディーヌ嬢! あなたとの婚約を破棄する!!」
と、ある夜会でその伯爵令息から人差し指を突きつけられた。
「え? えっ? はい?」
クローディーヌは目を白黒させる。
伯爵令息は見知らぬ可憐な令嬢を引き寄せ、見せつけるように腰を抱いて宣言する。
「私が真実、愛しているのは彼女だ! 親の言うままに愛のない結婚をするなど、私には耐えられない! あなたとの婚約は破棄させてもらう!!」
朗々とした声が会場中に響きわたり、周囲からは好奇の視線が集中する。
クローディーヌは、
(すごい…………小説みたい。こんな物語のようなこと、本当にあるんだ!)
と、どこか他人事だった。
そこへ、さらなる声が割り込んでくる。
「やめたまえ! そのようなこと、このような場で告げることではないだろう。こんな大勢の前で令嬢を辱めるなど、紳士の風上にもおけない!」
ぼんやりと顔を覚えている、侯爵令息だった。名前は思い出せない。
侯爵令息は、伯爵令息の暴言から守るようにクローディーヌの前に割り込んだが、ふいに体ごとふりかえってクローディーヌの前に跪くと、手袋に包まれた彼女の手をとり、言った。
「婚約が破棄されたなら、ちょうどいい。結婚してください、ブランディーヌ嬢。初めてお見かけした時から、あなたに恋していました」
侯爵令息のその台詞に、事態を見守っていた女性達が一様に黄色い悲鳴をあげる。
クローディーヌは「はあ」と現実感のない反応を示すと、
「ええと。父に、お話ししてくださいませ」
と、小説どおりにそれだけ伝えた。
この場合の『父』がルロワ伯爵か、それともマティアス卿なのか。クローディーヌ自身にも判然としなかったけれど。
一方で、
(ますます小説みたいな展開…………こんなことって、現実にあるの?)
と、相変わらず他人事のように首をかしげている。
「まったく、なんということかしら! 縁談が不本意だとしても、断り方というものがあるでしょうに!!」
「ブランシュの言うとおりだ。あの令息も令息だが、父親もどんな教育をしていたんだ!!」
帰宅後。珍しくラ・コルデール夫妻がそろって声を荒げる。
パーティー会場では品位をたもち、自宅に到着するまでは冷静だった夫妻だが、どちらも怒り心頭だった。居間に入るなり即、結論を下す。
「この縁談は無しだ。伯爵には明日、こちらから破談を伝える」
夫の判断にブランシュ夫人も大きくうなずくと、娘を抱きしめた。
「可哀そうに、クローディーヌ。いえ、ブランディーヌ。気に病む必要はないわ、あなたはなにも悪くない。あんな令息、忘れておしまいなさい。あなたにふさわしい、もっとすてきな殿方を、マティアス様が見つけてくださいますからね」
クローディーヌはまるで気に病んでいなかった。
とはいえ。
「あの侯爵令息は、どうしましょう? 結婚を申し込まれたみたいですけれど…………」
マティアス卿は眉間にしわを寄せ、考える。
「家柄は悪くないが、優秀とも人望があるとも聞かない青年だ。即断は危険だ、少し調べてみよう。それからだ」
ブランシュ夫人もうなずく。
「マティアス様のおっしゃるとおりよ、ブランディーヌ。すべてお母様達がいいようにしてあげるから、任せておきなさい」
ブランシュ夫人は優しく娘の背をなで、独り言のように呟く。
「だいいち、あんな形で助けられたあとの結婚なんて…………」
(え?)
悔し気な響きに、クローディーヌは訊き返そうとしたが、ブランシュ夫人は娘を放した。
「さあ、お化粧を落として。今夜はもう、お休みなさい」
召使いが女主人の指示をうけ、クローディーヌを自室へ連れていく。
翌日。例の伯爵令息の父親がさっそくラ・コルデール邸に謝罪に訪れたが、マティアス卿は頑として許さず、子息とクローディーヌの破談が決定する。
翌々日からは婿さがしが再開し、並行して、例の侯爵令息の使いから毎日のように花束と恋文が届くようになる。
「あの侯爵令息は特に好成績でもないし、素行もあまりよいとは聞かない。我が家は相手にしないほうがいい、手紙も贈り物も受けとらないように」
そう、マティアス卿は使用人達に指示したし、ブランシュ夫人も夫の意見に従い、パーティーなどで彼を見かけても娘に近づけないようにしていたが、毎日の届け物は召使いの女達には好印象だったらしく、しばらくすると召使い達が勝手に手紙や花束をうけとり、クローディーヌに手渡してくるようになる。
手紙の内容はまあ、どこかの恋愛小説か詩の引用…………というか、丸ごと写したような文面で、良くも悪くもクローディーヌの胸をゆさぶるものはなく、すぐに飽いて、そこらに放置するようになった。
クローディーヌは長椅子に寝そべり、天井を見上げる。
ふと、呟いていた。
「『女の人生は、すてきな男性にどれだけ愛されるかで変わるものよ』か…………」
社交界きっての素晴らしい男性に愛される夫人の言葉がよみがえる。
(結婚って、面倒くさい。結婚したくないフォーレ先生の気持ちが、わかる気がする…………)
クローディーヌの脳裏に、最近は授業を休みっぱなしのタイピングの先生の顔がよぎる。
(今頃、どうなさっておられるんだろう)
胸に、裏庭で、ただ一株の白バラを見下ろす背中がよみがえる。
破談となったためうやむやになっているが、本当は婚約が決定したあと、養女縁組も正式に整える予定だった。次の婚約が整えば、今度こそ新しい名を名乗ることになるのだろうか。
(ブランディーヌ・ド・ラ・コルデール、かぁ)
新鮮だけれど、しっくりとはこない。
室内でうだうだ考えつづけるのにも飽いて、クローディーヌは外に出た。
久しぶりに図書館に行ってみよう。
気になっていたシリーズの、読んでいない既刊が見つかるかもしれない。
クローディーヌは外出用ドレスに着替えて外套を羽織り、帽子をかぶると馬車に乗り込む。
図書館では思わぬ収穫があった。
クローディーヌはそれまでの鬱憤も吹き飛んで、うきうきと数冊の本を手にとる。
「そういえば、あの本も返却されているかも」
「まだ、お借りになるのですか?」
付き添って来た作法の家庭教師が呆れたが、クローディーヌは「あと一冊だけ」と断り、本棚がずらりと並んだ空間を出て、廊下をいそいだ。
意外な単語が耳に届く。
「…………マティアス卿は全然、なにも言ってこないのか?」
クローディーヌは足を止めた。周囲を見渡す。
「…………お前の言うとおりにしたのに、こんな…………」
二階につづく階段。足音を忍ばせ近づくと、若者二人が話し合っているのが見える。
例の、クローディーヌが婚約破棄された伯爵令息と、求婚してきた侯爵令息だった。




