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「うーん…………」
図書館からの帰り。馬車にゆられながら、クローディーヌは唸る。
思案の種は、先ほど見た光景と耳にした会話。
(あれは、つまり…………)
最初から最後まで、すべて聞きとれたわけではないが、肝心な情報は入手できたと思う。
(やっぱり一応、マティアス卿にお伝えしたほうが)
考えながらマティアス邸に到着すると、思わぬ来訪者がクローディーヌを待っていた。
「お久しぶりでございます、クローディーヌお嬢様。まあ、なんて淑やかに美しくなられて」
見慣れた白いエプロンや頭巾は身に着けていないけれど。
「マルゴ!? え? 本当に!? 元気だった!?」
「ええ、ええ、マルゴでございますよ。このとおり、体はぴんぴんしております。クローディーヌお嬢様もすっかり名家の令嬢らしく、優雅に立派におなりになって」
涙ぐんでクローディーヌを見あげるマルゴに、ブランシュ夫人も笑いかける。
「あなたは相変わらず涙もろいわね、マルゴ。昔からちっとも変わらないわ」
なにせ、マルゴはもともとブランシュ夫人の実家で、夫人の乳母を務めていた女性だ。貴族の夫人と召使いとはいえ、二人の間に流れる空気は気安い。
クローディーヌはいったん自室に戻って借りて来た本を置き(マルゴから「あらまあ、まだそのような物騒な小説を」と言われた)、接客用の室内ドレスに着替えて応接室に戻ると、ブランシュ夫人がマルゴの長旅をねぎらい、お茶菓子を勧めていた。
「実はね」と、夫人がクローディーヌに説明する。
「今後、マルゴはマティアス邸に来てもらうことになったの。マルゴの実家は王都近郊にあって、ルロワ領からは遠いから」
マルゴも、うんうんうなずく。
「私も、もうこの年齢ですから。いつ倒れても良いように、実家に近い場所で働きたいのです」
「縁起でもないこと言わないで」
戸惑うクローディーヌに、「それと」とマルゴはもう一つ、用件を切り出す。
「ルロワ伯爵から、クローディーヌお嬢様へ預かった品がございまして」
「お父様から!?」
思わず声が大きくなる。
「こちらでございます」
マルゴが旅行鞄から、厳重に包まれた包みをとり出した。
包みをほどくと、布張りの上品な小箱が姿を現わす。
(この箱)
クローディーヌは予感がした。
うけとったクローディーヌが、高鳴りはじめた鼓動をこらえて蓋を開くと、ビロードのクッションの上に、真珠とダイヤモンドの粒が輝く小ぶりのティアラが鎮座している。
オレンジの白い小さな花を模した、懐かしいそのデザイン。
「このティアラ…………」
「まあ」
ブランシュ夫人がかすかに美しい顔をしかめた。
クローディーヌは繊細なその飾りを、そっと両手にとる。
何年ぶりかで目にしたそのティアラは、色もデザインも輝きも、これまでにマティアス卿やブランシュ夫人から贈られたどの装飾品より美しく清らかで、切ないほどに懐かしく胸をふるわせるものだった。
耳の奥に、忘れかけていた懐かしい声がよみがえる。
『お前の母様が、結婚式の時に着けたティアラだ。大切なものだから、いつもこの箱に保管してある』
『お父さま。わたしも、このティアラをつけたい』
『大人になってからだ。クローディーヌが花嫁衣裳を着る時、このティアラを贈ろう――――』
優しい響きと、あたたかいほほ笑み。
(お父様…………)
唇がふるえる。目頭が熱くなる。
ティアラを見つめるクローディーヌの瞳の輝きに、複雑そうな反応を見せつつも、マルゴは説明した。
「ルロワ伯爵から、クローディーヌお嬢様に。お嬢様がご結婚なさる時に、花嫁衣裳の一つとして譲る約束だったから、と。伯爵夫人もご承知のうえです。このたび、お嬢様とさる伯爵令息との婚約が決まったとの知らせを聞き、旦那様が『届けるように』と」
ブランシュ夫人が慌てた。
「ああ、マルゴ。それは誤解よ。いえ、誤解ではないけれど、誤解なの」
いそいで二回目の近況報告が行われた。
クローディーヌはたしかに、ある伯爵令息との縁談が進んでいた。
けれどそれは令息側の無礼により、破談となった。
王都からルロワ領までは、馬車でも最低数日間の距離がある。
「数日前に、事情を説明する手紙をルロワ領に送ったばかりよ。入れ違いになってしまったのね」
「あらまあ、そんなことが」
単純だが笑えない手違いに、マルゴも微妙な顔つきとなる。
「ということは今頃、伯爵邸でも奥様が大慌てでしょうかねぇ。こんなことなら、あんなに道中をいそぐんじゃありませんでしたよ、馬車にゆられつづけて腰が痛いったら」
「マルゴったら。ごめんなさいね、もう少し早く伝えておくべきだったわ」
「いいえ、ブランシュお嬢様。ですが、そういうことなら、ルロワ伯爵からのこのティアラは、どういたしましょう? クローディーヌお嬢様のご結婚は、未定なのですよね?」
今回の婚約は白紙に戻ったとはいえ、遠からず、また必要となるだろう。
ならば、クローディーヌが所有しておくのが適切だ、と思われたが。
「返品するわ。こちらに移る時に、ルロワ領に置いてきた物よ。わたくしがあの人との結婚式で着けたティアラだもの。処分するなり手放すなり、好きにしていい、と伝えておいたのに…………」
ブランシュ夫人が、クローディーヌの膝の上から小箱ごとティアラをとりあげようと、手を伸ばす。
クローディーヌはそれをさえぎった。
「ブランディーヌ?」
クローディーヌは箱を抱える手に力を込め、けげんそうに娘を見る母の瞳を、まっすぐ見つめ返す。
「お母様。これは私が受けとった、私の物です。お父様が、私にくださった品物です」
ブランシュ夫人は一瞬、気圧される。が、すぐに娘を説得した。
「手放しなさい、ブランディーヌ。いくら母親の持ち物とはいえ、離婚に終わった結婚のゆかりの品なんて、縁起が良くないわ。あなたにはもっと立派でふさわしいティアラを、マティアス様が用意してくださいます」
けれどクローディーヌは退かなかった。
ずっと頭の片隅を占めていた言葉が、口から飛び出す。
「お母様。お母様は何故、ルロワ領を出て行ったのですか? いくらマティアス卿の『運命の伴侶』だったとはいえ、お父様とお別れすることに、なんの躊躇も後悔もなかったのですか?」
「ブランディーヌ…………!」
「おやめください、お嬢様」
母の顔がゆがみ、マルゴもクローディーヌを止めようとする。
けれどクローディーヌはやめなかった。
母が家を出て行ってから、十一年間。ずっと知りたいことだった。
「お母様があの時おっしゃっていた『いついかなる時も、誇り高くありたい』という言葉。お母様の言う『誇り』は――――」
ほんの時々。誰にも知られぬようにただ一人、裏庭でただ一株残された白バラを見つめていた背中。
「お母様の言う『誇り』とは――――お父様を悲しませてまで、守らなければならなかったものなのですか!?」
クローディーヌの口から封じていた問いが、琥珀色の瞳から透明な滴があふれた。




