最終話(クローディーヌの手紙とその後)
拝啓
クレマン・ド・ルロワ伯爵様
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
ルロワ邸は、今頃エリーズ様とエリザベト嬢が好む、春の花が咲き乱れている頃でしょうか。
私はひとまず体調は万全です。
先日、ティアラとマルゴが無事に届きました。
十年以上も前の、幼い子供との約束を覚えていてくださったこと、とても嬉しく思っております。
せっかくのお心遣いですが、実は例の縁談は破談となり、あのティアラはしばらく箱の中と思われます。残念な行き違いでしたが、ティアラは大切に保管したいと思っています。
破談の理由ですが、きっかけは伯爵令息から直接、婚約破棄を宣言されたことです。
本当に愛する方が他にいて、親の決めた相手、つまり私とは結婚できない、とのことでした。
直後に、別の侯爵令息からは結婚を申し込まれました。
すべて十分以内に起きた出来事です。
できすぎですよね? 小説か演劇のようです。
実際、本当に演劇でした。
破談が決まったあと、図書館で偶然そのお二人がひそかに話し合っているところを見かけ、そこで耳にした話(立ち聞きなど淑女がはしたない、と怒らないでください。私も人生や名誉がかかっておりました)をマティアス卿にお伝えしたところ、卿が両家に詳細な調査を行ってくださいました。
結論から申し上げますと、今回の件は二人の令息によるお芝居でした。
伯爵令息は、身分違いの恋人と結婚したい、どうせ三男で家を出るのは必然なのに、なぜ親の都合で結婚しなくてはならないのか、と。
侯爵令息はもっと切実で、もともと寄宿舎をしょっちゅう抜け出しては下町で遊び歩き、成績もふるわなかったため、両親から「卒業後は家を出ろ、援助はいっさいしない」と宣言されていたそうです。
そこで、幼なじみであったお二人は一計を案じ、伯爵令息が、お父君もマティアス卿も庇えない形――――すなわち衆人環視の前で私に特大の恥をかかせて、同時に身分違いの恋人との仲も公にする――――という形で婚約を破棄し、そこを侯爵令息が助けたように見せて、侯爵令息を私に、ひいてはマティアス卿に売り込む、という計画を立てたのだそうです。
これなら伯爵令息は間違いなく勘当、身分違いの恋人と大手をふって結婚できますし、侯爵令息もラ・コルデール一族の婿養子になれば、両親も勘当を解くだろう。そういう計算だったようです。
安直ですよね?
お二人は今、そろって家を叩き出されて、その後のことは聞かされておりませんし、私もあまり興味はございません。
ただ、今回の件で私も考えたことがありました。
結婚とは、そうまでして必要なものか。
大勢の前で恥をかかされる、それ自体はつらいことですが、そこで助けてくれる殿方は本当に、恋愛小説に登場するような王子様なのか、と。
ルロワ伯爵様には失礼な疑問かもしれません。
でも私にとっては、とても重要な疑問でした。
お母様に、ブランシュ・ド・ラ・コルデール夫人にお尋ねしました。
なぜ、クレマン・ド・ルロワ伯爵と離婚したのか、と。
むろん、ブランシュ夫人はマティアス卿に『運命の伴侶』と見出されており、ラ・コルデール一族が法的に『運命の伴侶』に関連する様々な特権を認められていた以上、ルロワ伯爵にもその夫人にも、他の道はなかったと思います。
ただ、それでも私は疑問でした。
お母様はなぜ、あんなにも素直にマティアス卿との結婚を受け容れたのか。ルロワ伯爵との離婚を迷わなかったのか。
私の記憶の中で、お母様は潔く答えを出しておられました。
その潔さが、私の中に長く疑問を残していたのです。
お母様は迷った末に、話してくださいました。
「わたくしは、いついかなる時も、誇り高くありたいのです」
今も、そしてルロワ邸を出て行ったあの時も、お母様の答えは同じでした。
そしてお母様のいう『誇り』とは、
「自分で自分の道を決めることよ」
とのことでした。
******
『わたくしはね、ブランディーヌ。誇り高く生きたかった。誰の顔色もうかがわず、自分の道は自分で決めて、進みたかった。それには、クレマンとは離婚する他なかったのよ』
『どうして? お父様は、お母様になにか不本意なことをなさったのですか?』
『なにもしなかったわ。それは認めます。あの人は、わたくしの嫌がること、わたくしの望まぬことを強制するような人ではなかったし、わたくしがどうしたいか、ちゃんと意見を聞いてくれて、話し合うことを忘れなかった。クレマンがわたくしの意思や気持ちを尊重していたこと、わたくしを心から愛していたこと、わたくしは疑ったことはありません』
『では、どうして』
『――――出会いが悪かったのよ』
『え?』
『求婚が悪かったの。あの人が、いそぎすぎたのよ!』
『お父様の求婚…………お母様が最初の婚約者に婚約破棄された時、すぐにお父様が求婚したと聞いています。そのことですか?』
『そうよ! あんなタイミングでは、受け容れるしかないでしょう!? わたくしも、わたくしの父も!!』
『どういう…………』
『年頃の娘が、あんな風に大勢の前で恥をかかされて! 表向きは同情が集まったけれど、裏では笑い者にされていたに違いないのに! あの状況をくつがえすには、良縁を手に入れる他なかった! それも破格の良縁を! 当時のわたくしはしがない男爵令嬢で、あの人は名門ルロワ伯爵家の後継者! どう考えても、あの縁談を逃すわけにはいかなかったのよ、家のためにも父のためにも、なにより、わたくし自身の名誉のために!! そこにわたくし自身の愛や気持ちなど、入る余地はないわ!!』
『…………』
『…………クレマンは本当に優しくて情熱的で、わたくしとの婚約を心から喜んでいるのが伝わってきた。あの頃はわたくしも、あのままルロワ伯爵夫人として、クレマンと添い遂げる未来に満足していたわ。でも…………悟ってしまった。わたくしの人生は、クレマンににぎられてしまった現実に』
『?』
『ルロワ伯爵夫人となったあと、会う人会う人、くりかえされたわ。「なんて幸運な方、男爵令嬢から名門伯爵家の当主夫人だなんて」「あなたに恥をかかせた子爵令息も勘当され、すべてはルロワ伯爵の御威光の賜物ですわ」「もう伯爵に足をむけて眠れませんわね、旦那様を大切にね」と――――』
『…………』
『わたくしの人生は、クレマンがにぎっている。あの人との結婚だけが、わたくしの名誉を回復し、表舞台に引き戻した。――――あんな婚約破棄をされ、あんな助けられ方をしたわたくしは、もうクレマンのそばを離れては生きていけない。一生クレマンに愛され、彼の顔色をうかがっていく道しか、なくなってしまった。その現実に気づいたのよ――――』
『お父様は、そのような』
『ええ、クレマンはそんなつもりは微塵もなかったでしょうね。あの人は、目の前に転がり出た好機をとっさに拾った、ただそれだけ。それだけ、わたくしへの想いを募らせていただけよ、その点をわたくしも疑ったことはないわ。でも…………気づいた以上、わたくしはもう、あの人と一緒にはいられなかった』
『…………』
『わたくしは自由になりたかった。誰の顔色もうかがわず、わたくしの意思で、わたくしの人生を決めること。それが、わたくしにとっての「誇り高い生き方」。わたくしが、わたくしの誇りを守るには――――クレマンとは別れる他なかったのよ』
『そんな…………』
『娘のあなたには、つらい思いをさせたと思っています。もっと早くに、引きとれていたらよかったのだけれど…………』
『で、でも。お母様はお父様と離婚されたあと、マティアス卿と結婚されました。お母様がマティアス卿の「運命の伴侶」だったことは、お母様の意思とは無関係にさだめられたことのはず。マティアス卿との結婚も、お母様がご自分の意思で人生を決めたとは――――』
『言えるわ』
『!?』
『マティアス様との結婚は、わたくしの誇りよ。何故なら、ラ・コルデール一族にとって「運命の伴侶」は絶対の存在。「伴侶」を失えば、ラ・コルデールの者は生きてはいけない。「運命の伴侶」であるわたくしのためなら、マティアス様はなんだってしてくださる。つまり、わたくしの意思は自由なまま、脅かされることはないということよ』
『――――っ』
『あの方との結婚を選んだのは、それが理由よ。もちろん、今はあの方自身を愛してもいます。でも最初のきっかけは、やはりわたくしの誇りを守るため。それが第一だった。わたくしはわたくしの誇りを守るため、クレマンよりマティアス様を選んだのです――――』
******
…………これがルロワ伯爵様の知りたかった事柄か、あるいは、とうにどうでもよくなっていた事柄か、私には判別のしようがありません。
ただ、この時のお母様は真実を語っている、本心を吐露していた。そう、私は感じました。
ラ・コルデール一族の『運命の伴侶』に対する感情は本当に根深く強烈で、お母様がお母様らしく生きるには、その根深く強烈な感情――――すなわち、マティアス・ド・ラ・コルデール卿の愛が必要だったのでしょう。
私は、そう結論付けました。
長くなって、ごめんなさい。
ですが、もう一点。ある意味、こちらが本題中の本題です。
マルゴから言われました。「もう、ルロワ伯爵家のことは忘れてほしい」と。
ルロワ伯爵様だけでなく、エリーズ夫人もエリザベト嬢も、ルロワ伯爵家とルロワ領に関わるすべてを忘れてなかったこととし、はじめからマティアス・ド・ラ・コルデール卿とブランシュ・ド・ラ・コルデール夫人の娘として過ごしてきた、そう生きてほしい、と。
私にはこちらも謎でした。
なぜ、マルゴはこうも、ルロワ伯爵家にいる私を不幸であるように語りたいのか。
有り体に言えば、ルロワ家から引き離したいのか。
…………以前、マティアス卿が言っておられました。
卿は若い頃から旅行がお好きで「結婚前は最小限の供だけを連れ、お忍び同然で国中をまわった」と。
国内の主だった観光地は、その時に訪れているそうです。
ルロワ領は田舎ですが、温暖で風光明媚な観光地として有名な土地。
マティアス卿とお母様は、そこで最初の出会いを果たしたのでしょう。
世間の知らぬ、本当の最初の出会いを。
ルロワ伯爵様は新婚時、事業の都合でルロワ領と王都をひんぱんに往復なさっていたと聞きました。お母様がマティアス卿との時間を捻出するのは、難しいことではなかったでしょう。
マティアス卿は一目でお母様を自身の『運命の伴侶』と看破し、お母様も上記のような理由から卿を――――
…………なんとなく、不思議には思っていました。
ルロワ伯爵様は金髪に青い目。同じくエリーズ夫人も、金髪に青い瞳。
お二人の間に産まれたエリザベトは、金髪に青い瞳。
私の母、ブランシュ夫人は金髪に緑の瞳ですが、エリザベトの例を考慮すれば、私は金髪と、青か緑の瞳で生まれてくるのが妥当に思われます。
けれど実際の私は、鳶色の髪に琥珀色の瞳。
王都に来てマティアス卿に出会い、答えを得た気がするのです。
マティアス卿は黒髪に金色の瞳でした。
ルロワ伯爵様は、もしかしてお察しだったのでしょうか。
おそらくはブランシュ夫人がルロワ邸を出た、その後に――――
己が誇りを守るため。一度は夫となった人を傷つけ、娘を捨てた母を、私は恨む気にはなれません。母は母で、せいいっぱい考えた末の結論だった、と感じています。
ならば私は娘として、その選択を尊重したいと思います。
ただ、私は母と同じ道を進もうとは思いません。
母は母の誇りを守るため、結婚という道を選びました。
違ったのは、誰と結婚するのか、ということ。
力を借りる相手を、自分の意思で選んだ。
けれど私は、私の誇りを守るなら、他者の力や威光を頼るのではなく、己の力で守りたいと思うのです。
長くなりました。そろそろ終わりにしたいと思います。
最後に一つだけ。クレマン・ド・ルロワ伯爵に答えていただきたい質問があります。
私はこの先、伯爵様をどう呼べばいいのでしょう?
あなたは以前、私に「もう父と呼ぶな」とおっしゃいました。
でも私はあなたが、伯爵様やお義母様や妹と過ごした、あの邸が忘れられない。
あの暖かでのどかな景色のひろがるルロワ領を、忘れることができない。忘れたくない。
あなたが私にかけてくれた言葉の数々も。
お母様が出て行った日に、幼かった私を抱きしめてくれた、あのあたたかさも。
十年以上前の約束を覚えていて、ティアラを届けてくださったこと。
最後に私の健康を気遣ってくださったこと。
白いバラが好きか、と訊ねて「忘れた」とおっしゃったことも。
あなたがほんの時々、エリーズ夫人や使用人達の目を盗んで裏庭にただ一株、捨てきれずに残した『白』という品種のバラを見つめていたことも、その背中も。
すべて。
すべて忘れられない。
忘れたくない。
願わくば、もう一度。
あの土地に戻って、あなたの顔をちゃんと見て、あなたを『お父様』とお呼びしたいのです。
敬具
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ディーヌ・L。
近世で大活躍した女流作家のペンネームである。
名門貴族の家に生まれた彼女は、生涯で二百を超える短編、長編を遺し、作品は死後も世界中で読み継がれて『古典ミステリーの母』と呼ばれた。
ディーヌ・Lは当時すでにはじまっていた印税制度の恩恵により、莫大な富を築きあげ、その功績から当時としては異例の『女男爵』の爵位も授与される。
さらにこの時代には画期的な、女性が社長を務めるフォーレ出版社と独占販売契約を結び、フォーレ出版社はディーヌ・L作品の人気と売上の上昇に伴い、多大な収益をあげて、その利益の一部で女性専用のタイピスト養成所を設立して、多くの女性が社会に出る機会を作った。
生前は小説の材料を求めて世界中を旅したディーヌ・Lには、資産と名誉を求めて大勢の男が群がったが、本人は生涯独身を貫き、晩年は故郷に戻って、風光明媚で名高いルロワ地方の高級別荘地で妹の子や孫に囲まれて逝去する。
実家のルロワ伯爵邸の一部はのちに『ディーヌ・L記念館』となり、彼女が生前使用したタイプライターや原稿、各地で撮影した写真、収集した資料などが一般公開され、彼女の少女時代の部屋には生前、旅先で見つけたという風景画が飾られている。
広い庭で一輪の白バラを見つめる男性の後姿が描かれたそれは、無名の画家による作品で二束三文の値しかつかないことも判明していたが、ディーヌ・L本人は非常にこの絵を気に入っており、終生手放さずにいたという。




