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「気安い方でしたね」
お茶会後。母と馬車に乗って帰路につくと、どっと気がゆるんで、クローディーヌの口からそんな一言が飛び出していた。
「私、公爵夫人というからには、もっと近寄りがたい雰囲気の女性を想像していました」
「そんな立派な方を、あなたの練習にお付き合いさせるわけにはいかないでしょう。どうも、あなたは少々想像力が豊かというか、考えが先走る傾向があるようね」
「昔から定期的に言われます」
『推理小説だの恋愛小説だの、本の読みすぎだわ』
とは、義母エリーズ夫人の言である。
ブランシュ夫人も「したかないわね」と呆れつつ提案してくる。
「帰る前に書店に寄っていきましょうか。あなた、欲しい本があると言っていたでしょう?」
「はい!」
クローディーヌは力強く返事する。
「十一年ぶりの再会ですもの。しばらくは大目に見るけれど、外では小説の話をしないようにね。縁談に差し障るわ」
「はい、お母様」
ルロワ伯爵邸にいた頃にも何度も聞いたセリフだ。
うきうきするクローディーヌを乗せ、馬車はかろやかに大通りを進んでいく。
それから何度か、クローディーヌは母と共にシュゼット夫人を訊ねるようになる。
ある日はシュゼット夫人の義理の祖母、前々ラ・コルデール公爵夫人も参加した。
「かの『獣神』の末裔と伝わるラ・コルデールの血脈も、だいぶん血が薄れてしまって。伝説どおりの黒髪と金色の瞳を持つ者は減ったし『運命の伴侶』を見つける者は言うに及ばずよ。だからマティアス卿とブランシュ夫人の時はもちろん、レオナードがシュゼットを見つけた時も、一族中が驚いたものだったわ」
前々公爵夫人は品よくほほ笑む。
「当時のレオナードには、婚約が成立したてのお嬢さんがいて。さる侯爵家の令嬢だったのだけれど、一族のならわしに従って当然、解消していただいたわ。相手の方とお家には申し訳なかったけれど、わたくしはシュゼットがレオナードと出会ってくれて本当に良かったと、心から思っているわ。その頃のレオナードときたら、傍で見ているのもつらい状態だったのよ」
老婦人の表情が陰る。
なんでも現ラ・コルデール公爵で、シュゼット夫人の夫であるレオナード・ド・ラ・コルデール公爵は、妻と出会う二年ほど前、旅行中に馬車が崖から落ちて湖に沈み、両親と弟妹、それに祖父を失ったそうだ。
「わたくしはその日、体調が優れなくて別荘に残っていて。レオナードは寄宿学校。おかげでわたくし達二人だけが難を逃れたの」
あまりの悲惨さに、クローディーヌはかける言葉が見つからない。
「それからのレオナードは、見ていられなかったわ。あんなに明るく快活だった自慢の孫が、別人のように無口になって、食事を抜くこともしばしば。祖父と父を同時に亡くしたので急遽、レオナードが公爵位を継がざるをえなくなって…………真面目な子だもの。爵位や家督に対する責任も、重く感じていたはずだわ。人前では新たな公爵として愛想よくふるまっていても、帰宅すると力なくうつむいて…………館の主人がそんな調子だから、使用人達も活気がわかないままでね。そんな頃よ、レオナードがシュゼットを見つけたのは」
前々公爵夫人はそっと胸を押さえる。
「今でもはっきり思い出せるわ。ずっと沈痛な表情のままだったあの子が、帰宅するなり元気よく報告してきたの。『お祖母様、見つけました! 彼女が私の『運命の伴侶』です、間違いない!!』って。あの子のあんな喜びに満ちた様は、本当に久しぶりだったのよ」
老婦人は目を細めて空を見上げた。
「それからのレオナードは、昔のように活き活きして、口をひらけばシュゼットのことばかり。彼女の両親は、彼女の妹ばかり優先してシュゼットを放置していたらしいけれど、それを知ると『シュゼットをひきとりたい』『私が彼女を守りたい』と言い出して。そのとおりにしてしまったわ。それからは、この館の雰囲気も一気に明るくなって。全部、シュゼットのおかげよ」
「積極的というか行動的というか。情熱的な方なのですね、レオナード卿は」
クローディーヌが目を丸くすると、シュゼット夫人は頬を染める。
「もう、お祖母さまったら。おやめくださいませ、恥ずかしい」
けれど前々公爵夫人は悪びれない。
「『運命の伴侶』を見出した『獣神』はそういうものです。ラ・コルデールの殿方にとって『運命の伴侶』は文字通り、そこに在るだけで尊い存在なのですよ。それこそクローディーヌ嬢、あなたのお母様を見つけた時のマティアス卿も。当時はたいそうな興奮ぶりでしたよ」
とうとつに話の矛先が変わって、ブランシュ夫人は口に入れた高級クッキーを喉に詰まらせかける。普段、上品で隙のない夫人のそういう反応は珍しかったようで、公爵夫人と前々公爵夫人はころころ笑った。
クローディーヌも愛想笑いをしながら、心の隅には覚める思いもある。
ここは上品で穏やかで、贅沢な世界だ。本だって好きなだけ買ってもらえる。
(でも…………)
クローディーヌの脳裏に、かつての自宅で目にした、白バラの株を見下ろす背中がよぎる。
「そういえば先日、タイプライターを購入しましたの。この娘におねだりされまして」
ブランシュ夫人が娘を示し、クローディーヌも物思いから覚まされる。
「手で書くより楽そうだから、と。最近の流行りですし、マティアス様も『興味があるなら一度、試してみるといい』と、おっしゃってくださったので」
ちなみに今の時代、タイプライターは多少の改良と低価格化が進んだとはいえ、庶民の一般男性の年収に匹敵する品物である。
「今、自分の部屋であれこれ打っているようですわ。でも何を打っているのか、一度も見せようとしませんの。薄情な娘でしょう?」
「まだ練習段階ですから。上手に打てるようになったら、お見せします」
クローディーヌが澄まして答えると「そういうことなら」とシュゼット夫人が、ぱん、と手を打った。
「ぴったりの先生を紹介できますわ。イリス・フォーレ。わたくしの女学院時代の友人でタイピングも得意で、事業家の父親をタイピストとして手伝っているほどなの」
翌週。
クローディーヌはラ・コルデール公爵邸でシュゼット夫人に友人を紹介された。
「はじめまして、クローディーヌ・ド・ルロワ伯爵令嬢。イリス・フォーレと申します」
名門公爵家の当主夫人の友人だというその人物は、きっちりと髪をまとめて背筋をしゃんと伸ばした、理知的な雰囲気の女性だった。
職業婦人らしく簡素にまとめた装いは清潔で上品なものの、妙齢の女性としてはいささか華やかさに欠け、常に最新流行の最高級品に身を包むシュゼット夫人と並ぶと、友人というよりは『お金持ちの貴婦人と、その話し相手に雇われた中流階級の女性』と紹介されたほうがしっくりくる。
「はじめまして、イリス・フォーレ嬢。クローディーヌと申します。お忙しいところを、お時間をさいていただき恐縮です」
クローディーヌが型通りに挨拶すると、イリス・フォーレは笑う。
「『嬢』は不要です、ラ・コルデール嬢。私は貴族ではありません。どうぞ『イリス』とお呼びください」
「教えていただくのに、そういうわけにはいきません。では『フォーレ先生』とお呼びしますね」
自己紹介が終わると、クローディーヌとブランシュ夫人、そしてシュゼット夫人とフォーレ先生の四人で、お茶会がはじまる。
「イリスはわたくしと同い年だけれど、いまだに結婚しないで、お父さまのお仕事のお手伝いをしているの。以前、わたくしがレオ様の従者の方との縁談を勧めたこともあったのに、イリスったら『身分が違う』と、お断わりしてしまって。わたくしがレオ様にお願いして、良縁を紹介してあげると何度も勧めているのに、まるで聞かないんですわ」
少女のように唇を尖らせたシュゼット夫人の言葉を、イリス・フォーレは澄まし顔で流す。
「勘弁してくださいな、シュゼット様。私は今の生活が気に入っているのです」
ティーカップに口をつけたイリス・フォーレはすらすら語った。
「近年は、商業や通信技術の発展にともない、通信文書やビジネス文書、事務処理などの量は増大の一途をたどっています。それにともない、タイピストの需要も高まる一方。力仕事でないタイピングは、女性が就ける数少ない職業です。私も商会の娘、この波を逃すわけにはまいりません」
「またそんなことを言って」
シュゼット夫人はいかにも不満そうに、くどくど説得をはじめる。
「いくら職業婦人が流行といっても、一生、それだけで暮らしていけるはずないでしょう。ちゃんと、頼りになる夫を見つけるべきだわ。生涯を共にできる相手、愛する男性がいるというのは、すばらしいことよ。仕事をつづけたいなら、旦那様にお願いして、家庭や社交の邪魔にならない範囲でつづければいいじゃない。女の人生は、すてきな男性にどれだけ深く愛されるか否かで、大きく変わるものよ。わたくしもレオ様と出会って、つくづく実感したの。失礼だけれど、イリスのお父さまも、一人娘が未婚のままでいるのを許すなんて、のんびりしすぎだわ」
「跡継ぎのことでしたら、従兄が父と養子縁組して、家督と事業を継ぐことで話がまとまっていますから、問題ありません。従兄は優秀ですから、私が継ぐより安心ですし。私はこのまま働いて…………いずれ一度は自分の事業を立ち上げられれば、と思っています。きっと、とても刺激的でやりがいのある日々になると思いますわ」
「また、そんな夢みたいなことを」
シュゼット夫人はテーブルに身を乗り出して訴える。
「あなたは頭はいいのに、働き出してから逆に現実感がなくなったみたいだわ、イリス。あの男勝りなカロリーヌでさえ、いえ、カロリーヌこそ真っ先に結婚して、ルーシーだって二人目の子を出産したというのに、あなた一人だけ、いつまでも夢みたいなことばかり。ねえ、ブランシュお姉さま。お姉さまからも、なにか言ってあげてくださいな」
シュゼット夫人は年長の友人に助けを求めたが、ブランシュ夫人はイリス嬢を止めない。
「あら、シュゼット様。今、タイピストは女性の花形職業です。この先、商業化はもっと進んでいくでしょうし、辞めるのは早計だと思いますわ。このままつづけたほうが」
「まあ、お姉さままで」
予期せぬ裏切りに、シュゼット夫人は少女のように頬をふくらませる。
「花形なんて、おっしゃいますけれど。どうせ、一時的な流行で終わりますわ。イリスの境遇を思えば、すてきな頼れる殿方を見つけて愛され、守ってもらうのが一番だと思います」
「それはシュゼット様が、ラ・コルデール公爵閣下という、飛び抜けた方の『運命の伴侶』だったから、そう思えるだけです。世の男性の大半は、ラ・コルデール公爵ではありません。私がシュゼット様のような結婚をすることは、まずないでしょう」
イリス・フォーレは諦観というには明るい表情をしていたが、シュゼット夫人はなお粘る。
「なら、わたくしからレオ様にお願いして、ラ・コルデール一族の男性を集めたパーティーを開いていただくわ。そうすれば、きっとイリスが『運命の伴侶』だという方がいらっしゃるわ」
「とんでもない。たかだか一商会の女一人のために、公爵家を巻き込むなんて。閣下の評価にも関わりますし、シュゼット様も社交界で悪く言われてしまいます」
女学院時代の友人が拒否すれば、現在の友人も賛同する。
「フォーレ嬢の言うとおりですわ、シュゼット様。ご本人がよく考えて出した結論ですもの、友人だからこそ黙って応援すべきかと。そもそもシュゼット様は、レオナード様のような優れた殿方は世に二人とおられないこと、そのレオナード様に『運命の伴侶』として選ばれたことがどれほど稀有なことか、もっと理解すべきですわ。シュゼット様の幸せは、他の者には真似しようのない類の幸せなのですから」
むう、とシュゼット夫人は少女のようなふくれっ面になり、そっぽを向いた。
「もう、けっこうです。ブランシュお姉さまなら、同じ下流貴族出身の『運命の伴侶』同士、わたくしの気持ちを理解してくださると信じていたのに。ここに、わたくしの味方はいないのですね」
「まあまあ」とブランシュ夫人がシュゼット夫人をなだめながら、紅茶のおかわりを勧める。
そんなこんなで顔合わせは終了し、クローディーヌは来週からイリス嬢にタイピングを習うことに決定した。




