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母に捨てられ、再婚した父に無視されている令嬢ですが、それでも私は  作者: オレンジ方解石


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3

 いったん決定すると、そのあとは早かった。

 使者は喜び勇んでルロワ伯爵の返事と、それをしたためた手紙を持って帰り、マルゴも早々に引っ越し準備をはじめる。

 事態を理解したエリザベトは、


「お姉さま、王都に行ってしまうの? いつ帰ってくるの?」


 と、不安そうにすがりついてきて、エリーズ夫人は、


「結論が早すぎます。クローディーヌにとっては、人生を左右する一大事。もう少し慎重にお考えくださいな」


 と、夫にくってかかる。

 だが妻の説得も次女の涙も虚しく、当主であるルロワ伯爵の判断のもと、ひとまず『行儀見習い』としてクローディーヌの王都行きが決定した。

「王都の名門貴族の奥様のもと、一通りの礼儀作法や教養を身に着けて結婚相手をさがす」というわけである。

 とはいえ一度ラ・コルデール邸に入れば、このルロワ領に戻ってこられるかはわからない。

 父やマルゴの態度からは、そういう空気を感じた。

 友人や、世話になった人達への挨拶まわりに、持参する物の選別。なにかとまとわりついてきては泣き出すようになった妹を慰め、忙しい日々を送っていたある日。

 クローディーヌは廊下の窓から何気なく外を見て、その光景に気づいた。

 裏庭の片隅。夕暮れの陰りの中で一人、ルロワ伯爵がたたずんでいる。

 伯爵の前にあるのは、花壇の隅に植わった白いバラ。

 クローディーヌの母が出て行ったあと、邸中の白バラはすべて処分されたが、その株だけは見逃されて、ひっそりと花を咲かせつづけているのだ。

 執事も誰も近づけさせず、ただ一人たたずみつづける伯爵の背に、なんとなく声をかけられずにいると、視線を感じたのか伯爵のほうがふりかえった。

 青い瞳が窓の中のクローディーヌを発見する。

 伯爵は意表を突かれたように瞠目し、次いで眉をつりあげると、無言で娘に背を向けた。


「お待ちください、お父様!」


 大股で立ち去ろうとした父をとっさにクローディーヌが呼び止めると、無視されるだろう、という予測に反して、伯爵は足をとめる。

 クローディーヌは信じられない思いに胸を突かれて、窓から身を乗り出す。

 めったにない機会、と口を開いたが、言葉が出てこない。


「あの、あの――――」


 早くなにか話さなければ、と焦った末、予想外の一言が口から飛び出していた。


「あの! お父様は、白いバラがお好きなのですか?」


 客観的に見れば、どうでもよさそうな質問。仮にも相手は父親で、もうすぐこの館を離れることを考えれば、もっと他に問うべき事柄がある気がする。

 けれどクローディーヌは、この問いをクレマン・ド・ルロワ伯爵にしてみたかった。

 一度、きちんと答えを聞いてみたかったのだ。

 はたしてクレマン卿は、長い沈黙の果てにぽつりとこぼした。


「――――忘れた」


 と。

 そして娘に背をむけたまま、さらに言葉をつづけた。


「王都に行けば、いずれお前(クローディーヌ)はマティアス・ド・ラ・コルデール卿を『父』と呼ぶことになる。もう、私を『父』と呼ぶな」


 クローディーヌは胸にちくりと痛みを覚える。


「…………私は、ラ・コルデール邸に行儀見習いとしてお世話になるだけです。見習いが終わったら、帰ってきては駄目でしょうか? 私は、このルロワ領も、邸も好きなのです」


「ラ・コルデール家に入ったほうが、淑女として箔がつく。マティアス卿も責任もって、最良の相手を用意するはずだ」


 それがルロワ伯爵の判断だった。

 夕闇の中、ルロワ伯爵の背中が無言で裏庭から離れて行く。

 問いかけに返事をもらったのは、いつ以来だろう。

 数か月ぶりの会話らしい会話だった。

 クローディーヌは去っていくその背中を、ただ無言で見送る。





 翌月。

 クローディーヌはルロワ伯爵邸を出発した。

 ラ・コルデール家の紋章を描いた旅行用の大型馬車に乗る前、(エリザベト)は愛らしい顔を涙まみれにして姉を引き留めたし、エリーズ夫人も最後まで心配そうな表情のまま、血のつながらぬ娘の出発を見送る。

 マルゴは何度もハンカチで目元を拭い、ルロワ伯爵は形式的な挨拶の言葉をラ・コルデール家の使者とかわすと、クローディーヌには、ただ一言。


「体には気をつけるように」


 それだけ告げると、あとは泣きじゃくるエリザベトのなだめ役に徹した。

 思えば、クローディーヌの記憶の中の父の声は、クローディーヌと話している時のそっけないものより、エリザベトやエリーズ夫人と話している時の優しい物言いのほうが圧倒的に多い。

 もう、この記憶の量と内容が変動することは、ほぼないのだろう、と心の隅で痛みを覚える一方、最後に一言だけでも気遣いの言葉をもらえたことが本当に嬉しく、クローディーヌは胸に小さな炎が灯る心地で旅行用の外套と帽子を身に着け、馬車に乗り込んだ。

 王都へは五日間の旅だった。


「今は、あちこちで鉄道の開発が進められております。いずれ、この辺りも鉄道が通って、もっと短期間での移動が可能となるでしょう」


 迎え役のラ・コルデール家の使者が、そんな風に説明してくれる。

 道中は平穏で、生まれてはじめて目にするルロワ領の外の景色も興味深く、王都の人の多さや建物の密集ぶり、店の数や種類の豊富さなどに目をみはっているうちに目的地に到着した。

 マティアス・ド・ラ・コルデール邸。

 都会の高級住宅街の一角に建ったその邸は、規模こそ、広大な田舎の土地に建てられたルロワ伯爵邸とは比べ物にならなかったものの、建築様式の新しさや装飾の豪華さでは、伯爵邸を大きく引き離していた。


「まあ、すごい」


 小説の挿絵で見るような『都会の洗練された金持ちの邸』に、クローディーヌはため息をもらす。

 使者に手をとられて馬車を降りると、玄関に向かう前に大きな扉が開かれた。


「クローディーヌ!! ああ、やっと会えたわ、私の娘!!」


 貴族の奥方らしく、髪を上品にまとめた金髪の女性が飛び出してきて、クローディーヌへ両腕をひろげる。

 おぼろげな面影が目の前の女性と重なった。


「…………ブランシュお母様…………?」


「そうよ、お母様よ、クローディーヌ!!」


 奥方は美しい緑の目を潤ませ、クローディーヌを抱擁した。

 クローディーヌの胸にも熱い思いがこみ上げる。

 母はしばらく娘を離そうとせず、クローディーヌもされるがままになっていたが、やがて玄関ポーチの前で大勢の召使いを従え、こちらを見守る男性の姿に気がついた。

 しなやかな長身、艶やかな黒髪、どことなく野生の獣めいた金色の瞳――――

 建国の功臣の子孫にして『獣神』の末裔。

 実母の再婚相手にして、おそらくはクローディーヌの新たな父となる人物。

 マティアス・ド・ラ・コルデール卿だった。





 新天地での新生活はまずまず順調、かつ快適だった。

 王都には巨大な図書館があり、蔵書は豊富で本屋も古本屋も数えきれないほど見つかり、毎日通っても飽きそうにない。なにより最新作が発売当日に手に入る。


「聞いてはいたけれど、クローディーヌは本当に小説が好きなのね」


「そんなに読書が好きなら、空いている部屋を一つ、クローディーヌ専用の書斎にしよう。本棚を置いて、書き物机も置いて…………ついでに泊まり込むためのベッドも運びこもうか?」


 マティアス卿が片目をつぶれば、ブランシュ夫人も「いい考えだわ」と、ころころ笑う。

 夫妻はいつも仲睦まじく、どちらもクローディーヌに対して大変好意的だ。


お母様(ブランシュ夫人)はともかく、マティアス卿には嫌われていてもしかたないと思っていたのに)


 愛妻が自分以外の男性との間に産んだ子だというのに、マティアス卿のクローディーヌに対する態度には、悪意も嫌悪もまったく感じない。

 こんな大人の男性もいるのか、とクローディーヌの脳裏に、ルロワ伯爵邸で数えきれないほど見てきた、そっけない背中がよみがえる。


「それはもちろん、念入りにマティアス様にお願いしておいたからよ。『なにがあっても絶対、クローディーヌに優しくしてください。少しでも虐めたら、すぐに出て行きます』って」


 それが母の返答だった。


「ラ・コルデール一族――――『獣神』の血脈にとって『運命の伴侶』は絶対の存在なの。伴侶の幸せのためならなんでもするし、伴侶を守るためなら命も捨てる。運命の伴侶を失えば自身も生きていけない――――そういう一族なのよ」


 ブランシュ夫人は誇らしげに説明した。

 実際、クローディーヌが見る限り、マティアス卿のほうも溺愛する妻がなにかお願いしてくるのを、心待ちにしているふしがある。


「君が望むなら、伝説の青いバラでも空を飛ぶ船でも、なんだって探してくるさ。竜と戦って幻の宝石を手に入れることもいとわない。湖の上に城だって築いてみせよう。ラ・コルデールの男にとって『運命の伴侶』はそれだけの価値ある存在だ。クローディーヌは、私の『運命の伴侶』である(ブランシュ)が愛する、君の娘。私が愛さないはずないだろう?」


「もう。マティアス様ったら」


 マティアス卿が熱く甘く語れば、ブランシュ夫人も恥じらいながら夫の肩によりかかる。

 見ているクローディーヌのほうが目のやり場に困る睦まじさだった。

 そんなこんなで、形式としては『行儀見習い』だが、クローディーヌは実質、ラ・コルデール邸で『お嬢様』扱いされて、のびのびと生活することができた。

 年齢を考えれば寄宿学校に入るべきだったかもしれないが、ブランシュ夫人の結婚と再婚については、社交界では知られた話だ。学校に通えば、女生徒達の好奇心の的になるのは明らかだし、そうなった時に寄宿生活では逃げ場がない。

 憂慮した母とその夫の判断で、クローディーヌは家庭教師を呼ぶことに決まった。

 女学院での女子教育が流行している今の時代でも、上流貴族の間では家庭教師による教育が主流なので問題はない。

 基礎的な事柄はすでにルロワ邸で教わっていたため、マティアス邸では王都流の行儀作法をはじめ、より洗練されたダンスや楽器の演奏、深い教養や会話術の体得に主眼がおかれた。

 むろん、空き時間には小説を手にとることも忘れない。

 時には母から手ほどきをうけながら、クローディーヌは急速に『田舎貴族の娘』から『都の貴族令嬢』へとあか抜けていく。

 二ヶ月を過ぎた頃、母から、


「そろそろお茶会に出席してみましょうか」


 と誘われた。

 いよいよ実践、というわけである。


「ちょうど、ぴったりの方から招待状が届いたわ。シュゼット・ド・ラ・コルデール公爵夫人。我がラ・コルデール一族の当主であるレオナード・ド・ラ・コルデール公爵閣下の奥方よ。同じ一族同士の集まりだし、公爵夫人もまだお若くて気安い方だから、気楽に参加すればいいわ」


 そうブランシュ夫人は説明したが、クローディーヌは差し出された招待状の美しさ、飾り文字の優美さに言葉を失う。

 五日後。

 クローディーヌは母と共に、件の公爵夫人のお茶会に出席した。

 この日のために母と世話係が選んだ詰襟の訪問着の上に外套を着て、手袋や帽子を身につけ、日傘(パラソル)を手に馬車に乗り込む。

 ラ・コルデール公爵邸はマティアス邸からさほど離れておらず、門をくぐって現れた光景にクローディーヌは言葉を失った。

 マティアス邸も現代的で洗練された建物だと思っていた。

 けれど公爵邸はそれ以上だった。

 王都の高級住宅街に広い敷地を確保し、庭には複数の噴水が設置されて、石の天使や女神が掲げた壺から水が流れ出している。壁には数えるのが面倒になるほどの窓が並んで、屋根は鮮やかな青。正面玄関のポーチを支える太い柱には妖精や聖獣が彫刻されて、古代の神殿を思わせるデザインになっていた。

(このお邸と財産を手に入れるためなら、殺人事件の一つや二つ、起きても不思議ではないわ)

 若い淑女には似つかわしくない物騒な感想を口には出さず、品の良い執事に案内されて広い廊下を進んでいくと、陽光がさんさんと射し込む茶話室に通された。床は一面、高級木材のモザイク張りだ。

 母と二人、ふかふかのソファーに座って待っていると、召使いの女を引きつれて招待主が現れた。


「いらっしゃいませ、ブランシュお姉さま。お待ちしておりましたわ。そちらが、以前お話になっていたお嬢さまですのね?」


 最高品質のお茶会用ドレスに身を包んだ、ハニーブロンドの頼りなげな二十前後の淑女。

 国内屈指の高貴な貴婦人、シュゼット・ド・ラ・コルデール公爵夫人だった。

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