第5話『女の勘』
──放課後──
クッキーを全て食べ終えた俺は、気まずさを押し殺して松原の席へ向かった。
帰り支度をしている松原に巾着袋を差し出して声をかける。
「松原、これ……」
松原はこちらに顔を向けず、返事した。
「何?」
「これ、凄ぇ旨かった」
そう言うと、松原は少し沈黙した後、急に鞄を持って立ち上がり、俺とは反対側に顔を向けて言った。
「ご、ごめん、そんな袋知らない。ちょっと、急いでるから!」
そう言って慌てて鞄を持ち、教室を飛び出して去っていく。
俺は呆気にとられながら松原の姿が見えなくなるまで眺め続けた。
そして、返そうと思っていた巾着袋を丁寧に折り曲げて、ブレザーのポケットにそっとしまった。
今日の晩飯は何にしようか。
そんな事を考えながら、校舎出入口の下駄箱へ向かう。
すると、下駄箱の近くの壁に設けられた掲示板に、見慣れないポスターが貼ってあることに気付く。
『家庭科部、部員募集中! 現在部員3名。1年4組村岡千穂、1年2組麦野直人、1年1組内藤プリヤンカ』
そう書かれたポスターを見て、俺は思わず叫んだ。
「あんのバカッ!」
俺は踵を返し、1年4組の教室へ向かった。
教室の入り口から中を覗き、村岡がまだ帰っていないことを確認して教室内へと入る。
鞄を持ってちょうど今から帰ろうとしていた村岡の側に行き、俺は言った。
「おい村岡、何だよあのポスター」
「あっ、麦野君。ポスター見てくれたの?」
「見たよ。俺、お前に言ったよな。家庭科部が創設されたらすぐに退部するって」
「うん、聞いたよ。だから早く創設できるように、部員募集のポスター作ったの」
「それなら俺の名前書くんじゃねえよ」
「えっ、でも麦野君はまだ退部してないよ?」
「してねえけど、すぐ消えていなくなるのに公表すんじゃねえって。それにお前、松原を部に誘いたいんじゃなかったのか?」
「うん、松原さんは絶対入部してほしい」
「俺の名前なんか書いたら松原は絶対に入部しねえぞ」
そう言うと、村岡は怪訝に俺を見た。
「何で?」
「何でって、そりゃ気まずいだろ」
村岡は、やれやれといった感じで溜め息を吐いた。
「分かってないね、麦野君」
「はっ、何が?」
「じゃあちょっと、帰りながら説明してあげよう」
言われるがまま、村岡と教室を後にする。
校舎を出て、周りに人がいないことを確認して村岡は話し出した。
「麦野君は誰かを好きになったこととかあるの?」
「ないね」
即答する。
俺には初恋という経験がない。
中学の頃なんて周りが恋バナで盛り上がっていることも多かったが、俺は話についていくことができなかった。
「じゃあ、分かんないかもね」
そう言って哀れんだ目を向ける村岡に、イラッとする。
「分かんないって、何が?」
「例えばさ、好きになった人が他の異性と仲良くしてたら、どんな気持ちになると思う?」
「どんな気持ちって……。そりゃあ、いい気はしないんじゃないか?」
そう答えると、村岡は表情を明るくして頷いた。
「そう! そして、気になるんだよ。噂話とかに耳を傾けて、無意識に情報収集しちゃうくらいに気になる」
「はあ、そういうもんかね……」
「そういうもんなの。だから、あえて美女二人の名前を挟んで麦野君の名前を書いたの。麦野君の名前を見た松原さんは、家庭科部が気になってしょうがないはずだよ」
「美女って自分で言いますか……。でもよ、松原
は俺のことなんてもう好きじゃないぞ」
そう言うと、村岡は眉間にシワを寄せて目を細めた。
「なんでそう思うの?」
「本人が言ってた。蛙化したって」
蛙化の本来の意味は、好きな相手に好意を抱かれると逆に冷める現象のことだが、それが転じて、恋が急に冷めたという意味でも使用される。
松原のあの紙に書かれた蛙化は後者の意味だ。
「そんなこと言われたの!?」
そう言って驚いた後、村岡はケラケラと笑った。
「何笑ってんだよ」
「あはは、ごめんごめん。でもさ、例え好きじゃなくなったとしても、告白した相手のことはやっぱり気になるでしょ」
俺は懐疑的に村岡を見た。
「お前、誰かに告ったことあんの?」
「えっ、ないよ?」
「まさかとは思うけど、人を好きになったことは?」
「それも、まだ……」
村岡の返事にカチンときた俺は、怒鳴った。
「ないのかよ! こんだけ偉そうに講釈垂れて、初恋まだなのかよっ!」
「ちょっと嫌だ! 声大きいって!」
俺は声量を下げて言った。
「じゃあお前の言ってたこと、また想像かよ」
「今回のは違うよ」
そう言ってドヤ顔になり、村岡は続けた。
「女の勘」
俺はジト目で村岡を見た。
「初恋まだの奴が何言ってんだ」
そう突っ込むと、脇腹に肘鉄砲を食らわされて俺はその場に蹲るのだった。




