【番外編8】 王女殿下、大衆食堂で「ホワイトな飯」を知る 〜過労死寸前の王族が、幼馴染特製のスタミナ定食で陥落する〜
王城の奥深く、分厚い扉に閉ざされた豪奢な執務室。
特務監査部隊の最大の後ろ盾であり、王国の頂点に立つ王女ヴィクトリアは、山積みの決裁書類を前に、すっかり光を失った瞳でため息をついていた。
「……アレン。悪いけれど、今は何も食べる気が起きないの。下げさせてもらえるかしら」
時刻は正午。彼女の目の前のテーブルには、宮廷専属の三ツ星シェフが腕によりをかけた『真鯛のポワレ・白ワインソース添え』や『彩り野菜のテリーヌ』といった、芸術品のように美しい高級料理が並べられている。
しかし、連日の終わりの見えない公務と、腹の探り合いが続く夜会という名の『超絶ブラック労働』によって胃が荒れ果てたヴィクトリアにとって、それらはただの色鮮やかな砂にしか見えなかった。
周囲には冷徹で威厳ある王女として振る舞う彼女も、心を許したビジネスパートナーであるアレンの前では、年相応の疲労感を隠そうともしない。
「殿下。過労による食欲不振を放置し、十分なカロリー摂取を怠る行為は、労働基準法における『安全配慮義務違反(コンプライアンス違反)』です。……トップが倒れれば、組織のサプライチェーンは完全に停止しますよ」
漆黒の軍服を完璧に着こなした特務監査部隊中隊長、アレン・ロストが、極めて事務的なトーンで告げる。
「理屈はわかるのだけれど……。胃が、こういう気取った食事を受け付けないのよ」
「お察しします。限界まで摩耗した身体が求めているのは、気取ったソースや見栄えではなく、純粋な『暴力的なまでのカロリー』と『温かさ』ですからね」
アレンは懐中時計をパチンと閉めると、有無を言わせぬ態度でヴィクトリアの執務机のペンを取り上げた。
「これより、特務監査部隊の権限において、殿下のスケジュールを強制的に『昼休憩(一時間)』へ上書き(アップデート)します。……我が部隊が誇る、最高の【福利厚生施設(食堂)】へご案内しましょう」
◇◇◇
王都の下町。活気あふれる大通りの一角に、その大衆食堂はあった。
お忍び用の地味なワンピースと薄いベールで顔を隠したヴィクトリアは、油の匂いが染み付いた暖簾をくぐるのに少し躊躇していた。
「アレン、ここは……?」
「いらっしゃい! あ、アレン! 今日もちゃんと休憩とってる? 偉い偉い!」
厨房から明るい声と共に飛び出してきたのは、エプロン姿の可愛らしい少女――アレンの幼馴染であり、この食堂の看板娘であるミアだった。
「ええ。今日は『上司』の栄養管理のために来ました。ミア、一番ガツンとくるやつを二人前お願いします」
「任せて! ……あれ? あなたがアレンの職場の、上司さん?」
ミアは、ヴィクトリア(変装中)の顔をまじまじと見つめ、パァッと花が咲いたような屈託のない笑顔を向けた。
「初めまして! いつもアレンがお世話になってます! この子、昔から自分が無理してることに気づかない仕事中毒なんで、上司さんがしっかり休むように見張っててあげてくださいね!」
「えっ? あ、ええ……私が、ヴィクトリアよ。彼の上司にあたるわ」
王国の頂点に立つ王女に対し、一切の遠慮もなく気さくに話しかけてくる平民の少女。
普段なら不敬罪に問われかねない態度だが、ミアの裏表のない純粋な気遣いと、アレンへ向ける「家族のような温かい眼差し」に、ヴィクトリアは毒気を抜かれ、不思議と心がポカポカと温まるのを感じていた。
「お待たせ! うちの特製『生姜焼きスタミナ定食・目玉焼き乗せ』だよ!」
ドンッ!と、ヴィクトリアの目の前に置かれたのは、宮廷料理とは対極にある「労働者のための飯」だった。
ジュージューと食欲をそそる音を立てる、分厚い豚肉の生姜焼き。その上には半熟の目玉焼きがドカンと鎮座し、隣には山盛りの千切りキャベツ。そして、どんぶり鉢に山盛りにされたツヤツヤの白米と、湯気を立てる豆腐とワカメの味噌汁。
ニンニクと生姜、そして焦げた醤油の暴力的な香りが、ヴィクトリアの鼻腔を強烈に刺激する。
「……こんな、茶色くてカロリーの高そうな食べ物……私には少し……」
戸惑うヴィクトリアだったが、ゴクリと無意識に唾を飲み込み、恐る恐る割り箸を手に取った。
分厚い豚肉を一枚持ち上げ、小さくかぶりつく。
「……っ!!」
瞬間、ヴィクトリアの瞳がカッと見開かれた。
美味い。なんだこれは。
豚肉の強烈な旨味と脂の甘さが、特製の甘辛いタレと完全に調和している。ニンニクのパンチが、疲れ切った脳髄を直接殴りつけてくるような、圧倒的な美味しさだ。
「おいし……っ! 何かしらこれ、味が濃くて、上品さの欠片もないのに……お箸が、止まらないわ!」
「フフッ。次は、お肉の上に乗っている目玉焼きの黄身を割って、お肉に絡めて、そのまま白米と一緒に掻き込んでみてください」
向かいの席で、アレンが優雅に定食を食べながらアドバイス(業務指示)を出す。
ヴィクトリアは言われた通りに、とろりとした黄身を肉に絡め、どんぶりの白米の上にバウンドさせてから、王女としてのマナーも忘れて大口を開けて一気に頬張った。
「〜〜〜〜ッ!!」
もはや言葉にならなかった。
濃い味付けのお肉を、まろやかな卵の黄身が優しく包み込み、それを炊きたての熱い白米がすべて受け止める。完璧な三位一体(シナジー効果)。
宮廷の繊細な味付けでは絶対に満たされなかった「生きている」という強烈なエネルギーの実感が、細胞の隅々まで染み渡っていく。
「アレン! ご飯のおかわりをお願いするわ! 大盛りで!」
「素晴らしい食欲です。ミア、追加の発注を」
「はいはい、いっぱい食べて午後も頑張ってねー!」
ニコニコと笑いながらご飯をよそうミアの笑顔が、ヴィクトリアには女神のように見えた。
◇◇◇
「ふぅーっ……完全に、回復したわ……」
三十分後。
綺麗に空っぽになったどんぶりと皿を前に、ヴィクトリアはふくよかになったお腹をさすりながら、すっかりだらけきった、年相応の柔らかい顔で熱いお茶を啜っていた。
「お粗末様でした! 上司さん、綺麗に食べてくれて嬉しいな」
「ミア、と言ったわね。あなたの作った食事は、まさに疲れた労働者を癒やす『究極のホワイト・インフラ』よ! どうかしら、明日から宮廷の専属シェフとして私に雇われる気はない?」
「おっと。彼女の引き抜きはコンプライアンス違反ですよ、ヴィクトリア」
アレンがすかさず釘を刺す。
「我が部隊の重要なライフライン(胃袋)を独占されては困ります。それに、彼女の飯はこの下町で、労働者のために作られるからこそ意味があるのです」
「もうっ、アレンったら大げさなんだから」
ミアが照れくさそうに笑いながら、アレンの肩をポンと叩く。その二人の距離感(幼馴染特有の壁のなさ)を見て、ヴィクトリアはなぜか胸の奥が少しだけチクッとした。
「……ふん。ならば仕方がありませんわね」
ヴィクトリアは立ち上がり、ミアに向かってビシッと指を突きつけた。
「ミア! 私は、これから定期的にお忍びでここに通うことに決めたわ! アレンの胃袋は、私と特務監査部隊が半分もらうから、覚悟しておきなさい!」
「ええっ!? 上司さん、定期的に来るの!? そりゃ大歓迎だけど……」
訳が分からず目を白黒させるミアと、なぜか対抗心を燃やすヴィクトリア。
「……ふむ。我が部隊の福利厚生が、また一つ充実したようですね」
最強の社畜・アレンは、二人の微笑ましいやり取りを見守りながら、食後の温かいお茶を優雅に飲み干すのだった。
過労死寸前の王族をも一瞬で虜にする、幼馴染のスタミナ定食。
それはどんな高度な回復魔法よりも、働く者の心と体を白く染め上げる、最高の魔法(ホワイトな飯)であった。




