第54話 バックオフィスからの物理的防衛戦と、最強の警備システム
ガシャァァァァァンッ!!
特務監査部隊の本部オフィス。その美しいステンドグラスの窓が次々と内側へ吹き飛び、深夜の静寂を切り裂いた。
「ヒィッ……! き、来た……っ! 帝国の『隠密暗殺部隊』よ!」
医務室のベッドの上で、イリヤが毛布を被ってガタガタと震え上がる。
割れた窓枠から音もなく室内に滑り込んできたのは、闇に溶け込むような漆黒の装束に身を包んだ、三十人の暗殺者たちだった。
彼らは、帝国軍の中でも「存在しないこと」になっている極秘の特務部隊だ。
全員が高度な影の魔法を操り、刃にはかすり傷一つで巨象をも即死させる猛毒が塗られている。彼らに狙われて生き延びた者は、他国の大統領や将軍クラスであっても存在しない。
『――標的は裏切り者の女スパイと、この施設の人間全員。一人残らず、跡形もなく消去しろ』
暗殺部隊の隊長が、声を出さずにハンドサインだけで冷酷な命令を下す。
三十人の死神たちが、一斉に猛毒の短刀を構え、アレンのいる医務室や、他の部隊員のいる寝室へと音もなく殺到しようとした。
……その、瞬間だった。
「――ピィィィィィィィィィッ!!」
突如として、オフィス全体に耳を劈くような防犯アラームが鳴り響き、同時に、深夜の暗闇に包まれていた室内が、真昼の太陽のような【強烈な白色光】によって照らし出された。
「なっ……!? 眩しッ!?」
「影の魔法が、強すぎる光で強制解除されただと!?」
暗闇に紛れることを前提としていた暗殺者たちは、不意の強烈な光に目を焼き切られそうになり、思わずその場に立ちすくんだ。
「まったく。アポなしの深夜訪問(不法侵入)だけでなく、せっかく清掃業者がワックスをかけたばかりの床を、泥だらけの足で踏み荒らすとは。……常識の欠片もない害虫どもですね」
パサリ、と。
二階の吹き抜けになっている回廊から、白髪の魔道士クラウスが、優雅に杖を振り下ろしながら見下ろしていた。
彼が展開した魔法は、攻撃魔法ではない。
「特務監査部隊・オフィス環境維持魔法――【全館一斉・最適化照明】。……深夜残業による気分の落ち込みを防ぐための、太陽光レベルの目に優しい光です。日陰者の皆さんには、少々刺激が強すぎましたか?」
「クソッ! ただの魔道士だ、殺せ!」
視界を奪われながらも、暗殺部隊の数人が手裏剣のように猛毒の暗器をクラウスへ向けて放つ。
しかし、クラウスは微動だにしない。
キィィィンッ!
暗器は、クラウスの数十センチ手前で、目に見えない強固な『六角形の光の壁』に弾き落とされた。
「……展開。全館防衛システム【絶対安全圏】」
クラウスが指を鳴らすと、オフィスの一階フロア全体が、強固な結界によって完全に『封鎖』された。
暗殺者たちは、自分たちがいつの間にか、透明な壁に囲まれた巨大な箱の中に閉じ込められていることに気づいた。
「チィッ! 結界魔法か! だが、この程度の壁、我々の暗殺技術で破壊して――」
隊長が毒の刃を結界に突き立てようとした、その背後。
一階フロアの奥にある『仮眠室』の扉が、ギィィ……と重々しい音を立てて開いた。
「……おい。今は深夜の二時だぞ。完全週休二日制、深夜の残業なしが我が部隊の絶対ルール(就業規則)だというのに……」
そこから現れたのは、赤い長髪を無造作に束ね、不機嫌の極みのような凄惨なオーラを放つ女騎士――エルザだった。
彼女は、可愛い熊の柄が入ったパジャマ姿のまま、身の丈ほどもある巨大な大剣をズルズルと床に引きずりながら歩いてくる。
「せっかくの美容のためのゴールデンタイム(有給)を、土足で踏み荒らしてくれたな……。どこのどいつだ、こんな時間に『無駄なタスク(残業)』を持ち込んできた馬鹿は」
エルザの放つ、純粋な『殺意』と『残業への怒り』が混ざり合った圧倒的なプレッシャー。
帝国の最強の暗殺者たちですら、本能的な恐怖で背筋を凍らせ、ジリッと後ずさった。
「ば、馬鹿な……。なんだこの女が放つ魔力密度は! 人間の限界を超えているぞ!」
「怯むな! 相手はパジャマ姿で、しかも寝起きだ! 一斉に猛毒の刃で切り刻め!」
隊長の号令とともに、三十人の暗殺者が全方位からエルザに向かって飛びかかった。
彼女の逃げ場はない。猛毒の刃が、パジャマ姿の無防備な身体に突き刺さる――はずだった。
「――第一騎士団式・実地監査【不当残業への物理的抗議】」
エルザは、大剣を鞘から抜くことすら面倒くさそうに。
ただ鞘に収まったままの大剣を、ゴルフのパターを振るように、片手で無造作に『横薙ぎ』にした。
ドゴォォォォォォォォォォォォンッッ!!!
その瞬間、一階フロアの空間そのものが『爆発』した。
剣を振った風圧が、極限まで圧縮された【暴風の衝撃波】となって広がり、飛びかかってきた三十人の暗殺者たちを、文字通り『一瞬で』吹き飛ばしたのだ。
「ゲハァァァァッ!?」
「グァァァァァァッ!」
猛毒の刃が届くどころではない。
暗殺者たちは木の葉のように宙を舞い、クラウスの張った強固な結界の壁に次々と激突し、骨が砕ける嫌な音を立てて床に転がった。
「ふむ……。少し力加減を間違えたか。壁の清掃の手間が増えてしまったな」
エルザは小さく欠伸をしながら、パジャマの襟を直す。
「ご心配なく、エルザ先輩! 明日の朝、業者の手配をしておきますので、経費で落とせますよ!」
二階から、タイトスカート姿のティノが、魔導端末を叩きながら元気よく報告する。
「にゃはは! シロちゃんは防音結界のおかげで、ぐっすり夢の中だにゃ〜」
レノも、丸まって寝ている部隊のアイドル猫を抱きかかえながら、呑気に笑っていた。
「……嘘、でしょ……?」
医務室の入り口から、その光景を覗き見ていたイリヤは、あまりの衝撃に腰を抜かしたまま固まっていた。
帝国が莫大な予算をかけて育成した、最強の『隠密暗殺部隊』。一国を容易に滅ぼせるほどの三十人の死神たちが。
パジャマ姿の女騎士の「寝起きのひと振り」と、ただの「照明魔法」によって、手も足も出ずに全滅させられたのだ。
しかも彼らは、「残業をさせられたことへのクレーム」程度のテンションで、この最強の部隊をまるで害虫でも駆除するように処理してしまった。
「あ、あわわ……」
イリヤの常識(スパイとしての価値観)が、音を立てて崩れ去っていく。
「さて、ゴミ掃除は完了したようですね」
その崩壊したフロアの中央を、アレン・ロストがゆっくりと歩いてきた。
彼は漆黒の軍服に埃一つ付けず、気絶している暗殺部隊の隊長の胸倉を掴むと、その懐から『帝国との直通通信水晶球』を抜き取った。
「……優秀な人材を不要なコストとして切り捨てた上に、その命まで理不尽に奪おうとする。やはり、あなたの元の組織(ブラック企業)のトップは、救いようのない無能な経営者のようです」
アレンは水晶球を机の上に置き、パチン、と懐中時計の蓋を開けた。
「イリヤさん。我が特務監査部隊が提示した『中途採用』のオファー、受けていただけますね?」
アレンが、医務室でへたり込んでいるイリヤに向かって、優しく、しかし絶対的なプレッシャーを伴って微笑みかける。
「もう一度言います。我が部隊は、完全週休二日制、残業ゼロ、そして一日三食の美味しいご飯をお約束します。……理不尽なトップに使い潰されて死ぬか、我々と共に『定時退社』を目指して働くか。……選んでください」
その言葉を聞いて。
イリヤの脳裏に、パサパサの保存食と、睡眠時間三時間の地獄の日々が浮かび上がった。
そして同時に、先ほど食べた、涙が出るほど美味しかった『温かいコーンポタージュスープ』の味が蘇る。
「……っ」
イリヤは、震える手で目元を強く拭い、そして、覚悟を決めたように立ち上がった。
「……有給休暇は、本当に、ちゃんと取れるのよね……?」
「もちろんです。取得率100%を義務付けていますから」
「……美味しいご飯も、毎日食べられる?」
「経理のティノが、厳しく栄養管理(予算配分)をしてくれますよ」
それを聞いた瞬間。
帝国最強のスパイであったはずのイリヤの顔から、長年張り詰めていた悲壮感がスッと消え去り、代わりに、凭れかかるような安堵の表情が浮かんだ。
「……よろしく、お願いします。アレン、中隊長」
イリヤが深く、深く頭を下げる。
それは、帝国の呪縛から解放され、最強の社畜へと寝返った、歴史的な瞬間だった。
「賢明な判断です、イリヤさん」
アレンは満足げに頷くと、机の上の『帝国との通信水晶球』に魔力を流した。
すぐに、水晶球が赤く点滅し、バルデス将軍の傲慢なホログラム映像が浮かび上がる。
『どうした! 暗殺部隊の隊長か! すでに王国の監査部隊と、あの裏切り者の女の首は刎ねたのだろうな!』
将軍の怒声に対し。
アレンは、純白のスカーフを指で整えながら、氷のように冷たく、そして極めて事務的なトーンで告げた。
「――お電話代わりました。王国軍・特務監査部隊、中隊長のアレン・ロストです」
『……な、何ッ!? 貴様、なぜその通信機を持っている! 我が帝国の最強の暗殺部隊は――』
「ああ、深夜に無断で我がオフィスに侵入してきた三十匹の害虫なら、すでにエルザ殿が『物理的監査』を完了しましたよ。現在、床の上で仲良く全員気絶しています」
『ば、馬鹿な……!? たった三十秒で、全滅しただと……!?』
将軍のホログラムが、驚愕でガタガタと震え始める。
アレンは、そんな無能なトップの狼狽を冷ややかに見下ろしながら、決定的な引導(最後通牒)を渡した。
「バルデス将軍。我が特務監査部隊からの、公式な通達です。……貴軍の元・工作員イリヤ氏は、これより我が部隊が『極めてホワイトな好待遇』にて中途採用いたしました」
『な、なんだとぉぉッ!?』
「もし今後、彼女に対して未払いの残業代(恨み)を請求するような嫌がらせ、あるいは『退職への不当な引き止め(暗殺部隊の派遣)』を行うようであれば……」
アレンの瞳に、絶対零度の殺気が宿る。
「次はこちらから出向いて、帝国の軍本部そのものを、更地になるまで【物理的ホワイト化(爆破)】させていただきます。……部下の命を使い捨てる無能な経営者には、それ相応の監査が待っていることを、どうかお忘れなく」
ブツッ!!
アレンは将軍の悲鳴を聞くことなく、通信を強制的に切断し、水晶球を床に叩きつけて粉々に粉砕した。
「……ふぅ。これで、前職(ブラック企業)との退職手続き(厄介払い)は完了ですね」
アレンは涼しい顔で振り返り、部隊の面々に向かって微笑んだ。
「さあ皆さん。深夜の無駄な残業はこれで終わりです。イリヤさんの歓迎会は、明日の定時後に『高級焼肉店』で経費を使って盛大に行いましょう。……今夜はもう、泥のように眠ってください」
「「「了解!!」」」
こうして。
過労と絶望に苛まれていた帝国のスパイ・イリヤは、王国の誇る最強のホワイト部隊へと正式に入社した。
理不尽な精神論と暴力に支配された「ブラック組織」のトップたちを、圧倒的な論理と物理的武力で粉砕していく、アレン・ロストと特務監査部隊。
新戦力(情報と裏工作のプロ)を手に入れた彼らの快進撃は、いよいよ軍部の更なる闇へと、そのメス(物理)を入れていくのであった。




