第50話 一分間の物理的制裁と、引きずり出されるトップ
「第一騎士団式・実地監査――【無慈悲な解雇通知】」
中継倉庫に踏み込んできた三十人の野蛮な傭兵たちに対し、赤髪の女騎士エルザが静かに宣告した、その直後だった。
シュンッ……!
エルザの姿が、かき消えた。
いや、違う。あまりの踏み込みの速さに、傭兵たちの動体視力が全く追いついていないだけだ。
「え……?」
先頭に立っていた傭兵のリーダーが大剣を振り下ろそうとした瞬間、彼の視界からエルザが消え、代わりに『自分の腹部』に、凄まじい質量の何かがめり込む感覚があった。
「が、はァッ……!?」
エルザが放った、剣の『峰』による強烈な一撃。
分厚い革鎧ごと肋骨を数本へし折られたリーダーは、くの字に身体を折り曲げながら、弾き飛ばされるようにして後方の傭兵たちを巻き込み、倉庫の壁に激突した。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
「あの女、速すぎ――」
パニックに陥る傭兵たちに、エルザは一切の慈悲を与えない。
「――遅い。労働時間を無駄に引き延ばす(残業する)気はないと言ったはずだ」
舞い散る赤髪。閃く白銀の軌跡。
エルザの剣は刃を返すことなく、あくまで『峰打ち』で傭兵たちの急所を的確に打ち据えていく。
顎を砕き、膝の関節を外し、武器を持つ腕の骨にヒビを入れる。殺しはしないが、確実な苦痛を与えて「戦闘不能」という状態へ強制移行させる、極めて合理的で洗練された暴力。
「ヒィィッ! バケモノだ! 逃げろっ!!」
「外だ! 馬に乗って逃げ――」
十秒足らずで半数が床に転がったのを見て、残りの傭兵たちが悲鳴を上げながら倉庫の出入り口へと殺到する。
しかし、彼らの退路はすでに完全に断たれていた。
「おや。定時前の勝手な早退(無断離席)は、就業規則違反ですよ」
倉庫の出入り口を塞ぐように、分厚い『絶対氷の壁』が立ちはだかっていた。
白髪の魔道士クラウスが、杖を構えて涼しい顔で微笑んでいる。
「開けっ! クソッ、この氷、硬すぎて剣が刃こぼれしやがる!」
「凍気――【強制的なクールダウン】」
クラウスが指を鳴らすと、逃げようとしていた傭兵たちの足元から凄まじい冷気が立ち上り、彼らの両足を床にガッチリと凍りつかせた。
「ひ、冷てぇぇぇっ! 足が動かねぇっ!」
「よし、これで逃げ道の塞ぎ込みは完了だな」
動けなくなった傭兵たちを前に、エルザが首の骨をポキポキと鳴らしながら、獰猛な笑みを浮かべて歩み寄る。
「ヒィッ……! た、助け――」
「安心しろ。我が部隊は命までは奪わん(ホワイト企業)。……だが、全治一ヶ月の有給(入院)はプレゼントしてやろう」
ドガァァァァァァァンッ!!
一方的な蹂躙。
三十人いた荒くれ者の私兵部隊は、文字通り『きっちり一分』で、一人残らず床に転がり、うめき声を上げるだけの粗大ゴミ(スクラップ)の山と化した。
「……ふむ。五十八秒か。少し動きに無駄があったな」
エルザが剣を鞘に納めながら、不満そうに息を吐く。
「完璧な業務効率です、エルザ殿。素晴らしい働きでした」
アレンがパチンと懐中時計の蓋を閉め、気絶している傭兵のリーダーの元へ歩み寄った。
「アレン、中隊長……すげぇ……」
ベッドからその光景を見ていたリックたち輸送兵は、震えを通り越して、ただただ口を開けて呆然としていた。軍の精鋭でも手こずるような裏の傭兵団が、たった二人にあっという間に制圧されてしまったのだから。
「さて。では、元凶に報告を上げましょうか」
アレンは、白目を剥いて気絶しているリーダーの懐を探り、黒い『通信魔道具』を取り出した。
魔力を流すと、すぐに通信が繋がり、焦燥しきった男の怒鳴り声が響いてきた。
『おい! どうなっている! 第十四中継倉庫は制圧したのか!? サボっている輸送兵どもを叩き起こして、早く荷馬車を王都へ向かわせろッ!』
ディラン司令官の、ヒステリックな声だった。
「――お言葉ですが、ディラン司令官殿。彼らは現在、特務監査部隊が認可した『正当な有給休暇』を消化中です」
アレンの極めて冷静で事務的な声が返った瞬間、通信機越しのディランが「ひっ!?」と短い悲鳴を上げた。
「あ、アレン・ロスト……!? な、なぜお前が通信機を持っている!? 私が派遣した回収屋はどうした!」
「ああ、あなたが外部委託した不良リソース(暴力装置)のことですか。彼らなら現在、我が部隊の物理的監査を受け、床の上で仲良く『一時休業中(気絶)』ですよ」
『ば、馬鹿な……っ! 三十人の重武装の傭兵だぞ!? それを、たった数人で……!』
「司令官殿。あなたは自分の無能さを隠蔽するために、横文字のビジネス用語を並べ、現場の命(安全コスト)を削りました。そして最後は、裏社会の暴力に頼って労働者を脅迫した。……もはや、弁解の余地のない完全な『ブラック行為』です」
アレンの言葉の温度が、スッと絶対零度にまで下がる。
「これより、特務監査部隊はあなたの『更迭』に向けた最終監査に移行します。王都で震えながら、憲兵が迎えに来るのを待っているといい」
『ふざけるなァァァァッ!!』
アレンの冷酷な宣告に対し、追い詰められたディランが、半狂乱になって叫んだ。
『監査部隊の分際で、軍の幹部である私を更迭するだと!? 私が誰だか分かっているのか! 有力貴族の次期当主だぞ! エビデンスもないくせに、偉そうな口を叩くな!』
「エビデンス(証拠)ならありますよ。あなたがこの倉庫をダミー会社に無償譲渡し、莫大な家賃を愛人に振り込んでいるという、不動産ロンダリングの決定的な証拠がね」
『なっ……!?』
「王都のバックオフィス(ティノ)が、すでに裏帳簿を押さえました。……チェックメイトです」
通信機越しに、ディランがガタガタと震え、歯の根を鳴らす音が聞こえてくる。
自らの完璧なビジネスモデル(犯罪スキーム)が完全に暴かれた絶望。しかし、極限まで追い詰められた無能なトップのプライドは、最悪の暴走を引き起こした。
『……許さん。許さんぞ、特務監査部隊のガキどもォッ! そんなふざけた証拠、私が現場に行って直接、完膚なきまでに握り潰してやるッ!』
「ほう。自ら現場にいらっしゃると?」
『私は司令官だ! 兵站輸送部の全権を握っているトップだ! 軍の精鋭である近衛兵を率いて、貴様ら全員を国家反逆罪で縛り首にしてやる! そこで待っていろォォッ!』
ブツッ!!
ディランは半狂乱のまま、一方的に通信を切断した。
「……」
アレンは通信機を見つめ、フッと冷ややかに笑った。
「馬鹿な男だ。王都に引きこもってしらばっくれていれば、数日は命拾いしただろうに。自ら現場(死地)へ飛び込んでくるとは」
「アレン先生。彼は王都から近衛兵を連れて来ると言っていました。いかがなさいますか?」
クラウスが尋ねる。
「放置で構いません。軍事用の『緊急転移魔方陣』を使えば、王都からこの倉庫の近くまでは三十分もかからずに到着するはずです。……美味しいコーヒーでも淹れて、トップのご到着をお待ちしましょう」
アレンはそう言うと、リックたち輸送兵に向かって優しく微笑んだ。
「さあ皆さん。もうすぐ、皆さんを苦しめていたブラックトップが、自ら『公開処刑』を受けにやって来ます。特等席で、ゆっくりと見物(見学)させてもらいましょう」
◇◇◇
それから約三十分後。
第十四中継倉庫の前の広場に、空間を切り裂くような青白い光が走り、軍の緊急転移魔方陣が展開された。
「出ろ! あの生意気な監査部隊のガキどもを、一人残らず引きずり出せッ!」
光の中から姿を現したのは、金糸の刺繍が施された軍服を着崩し、顔を真っ赤にして怒り狂うディラン司令官だった。
彼の背後には、王都から引き連れてきた完全武装の精鋭近衛兵(ディラン派閥の兵士たち)が数十名、ずらりと並んでいる。
「ふふふ……ハッハッハッ! 見たか! これが私の持つ『トップの権力』だ! いくら貴様らが腕が立とうと、正規軍の精鋭を相手にすればひとたまりも――」
勝ち誇ったように叫びながら倉庫へ近づこうとしたディランだが、彼の言葉は途中でピタリと止まった。
ギィィ……と倉庫の扉が開き、そこから現れたのは、悲壮感を漂わせたアレンたちではなかった。
優雅にティーカップを持ち、一口コーヒーを啜りながら歩き出てきた、漆黒の軍服の青年。
「ようこそ、過酷なる現場(ブルーカラーの世界)へ。ディラン司令官殿」
アレンは、数十人の近衛兵に囲まれても一切の動揺を見せず、冷徹な微笑みを浮かべていた。
「アレン・ロスト……ッ! よくも私の完璧なサプライチェーンをめちゃくちゃにしてくれたな! 貴様らが不当なストライキを扇動したせいで、王都の貴族たちが激怒しているんだぞ! この責任、どう取ってくれる!」
ディランが唾を飛ばしながら喚き散らす。
「責任を取るのは、インフラへの投資を怠り、横文字の精神論で現場を使い潰した『あなた』です。……現場の過酷さを知らぬ者に、経営トップを名乗る資格はない」
「黙れ黙れ黙れェッ! 現場のクズどもが何人死のうが、代わりはいくらでもいる! だが私というエリートは唯一無二なんだ! おい、近衛兵! こいつらを引っ捕らえ――」
ディランが近衛兵に命令を下そうとした、まさにその時だった。
ズズズズズズズッ……!!
中継倉庫の背後にある『魔の森』の奥深くから、巨大な木々が根こそぎなぎ倒される、地鳴りのような轟音が響き渡った。
「な、なんだ……!?」
ディランと近衛兵たちが、一斉に森の奥へと視線を向ける。
木々をなぎ倒しながら姿を現した『それ』を見て、近衛兵たちは恐怖に顔を歪ませ、ディランは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
「ヒィィィィッ……!!? な、なんだアレはッ!?」
全高十メートル。
漆黒の甲殻に覆われた八本の巨大な脚と、無数の赤い単眼を不気味に光らせる、超巨大な蜘蛛の魔物。
第十四補給ルートの奥深くに潜む、森の絶対的なヌシ――『暴食の森蜘蛛』であった。
「キシャァァァァァァァァッッ!!!」
森蜘蛛が、鼓膜を破るような耳障りな咆哮を上げる。
その圧倒的な魔力のプレッシャーの前に、軍の精鋭であるはずの近衛兵たちですら、武器を取り落としてガタガタと震え出した。
「た、助けてくれ……っ! 来るな、私に来るなァァッ!」
ディランは地面を這いずりながら、無様に悲鳴を上げる。
本来、このような巨大なヌシは、強力な『護衛部隊』の気配があれば滅多に街道には姿を現さない。
しかし、ディランが「無駄なコストだ」と言って護衛をすべて削った結果、魔物たちは森の中で我が物顔で勢力を拡大し、ついにはヌシまでもが餌(人間)を求めて森の入り口まで降りてきてしまったのだ。
「……これが、あなたの行った『コストカット』と『勢い』が生み出した、現場の最悪の現実です」
腰を抜かして失禁するディランを見下ろし、アレンは氷のように冷たい声で告げた。
「さあ、ディラン司令官殿。あなたの言う『アジャイルな組織運用』とやらで、あの巨大なバグを処理してください。……自らのパッション(気合)で魔物を追い払う、経営トップの偉大な背中を見せる絶好のチャンスですよ?」
アレンの底知れぬ嘲笑を前に。
偽りのホワイトを謳っていた無能なトップの崩壊が、誰の目にも明らかな形で始まった。




