第49話 パニックに陥る司令官「勢いでどうにかしろ!」
その頃、王都の『兵站輸送部・本部』の最上階。
豪華絢爛な司令官室は、数時間前までの優雅な空気が嘘のように、修羅場と化していた。
「ディ、ディラン司令官! 大変です! バルバトス伯爵からお怒りの通信が入りました! 『今夜の晩餐会に出すはずの最高級ヴィンテージワインがまだ届かないとはどういうことだ!』と……!」
「こっちの回線にもです! ルブラン侯爵夫人が、『注文した東洋の最高級シルクが届かないせいで、明日の夜会のドレスが作れないじゃないか!』と激怒されています!」
数人の秘書官や通信兵たちが、鳴り止まない魔導通信機(クレームの嵐)を前に悲鳴を上げている。
「お、落ち着きたまえ君たち! マクロな視点で見れば、これはサプライチェーンの些細な遅延に過ぎない!」
金髪の若きトップ、ディラン司令官は、額に大量の冷や汗を浮かべながら、必死に『デキるビジネスマン』のポーズを取り繕っていた。
「第十四補給ルートを走っている第三小隊はどうした!? 彼らには『絶対に今日の昼までに届けろ』と、強いコミットメント(約束)を求めていたはずだろう!」
「そ、それが……!」
通信兵の一人が、真っ青な顔で報告する。
「第三小隊のコンボイ(輸送隊)は、王都から数キロ手前の『第十四中継倉庫』で完全に停止しています! 何度通信を送っても応答がありません。おそらく、全員がそこで荷馬車を止めて……休んでいるものと思われます!」
「なっ……休んでいるだとぉ!?」
ディランは血相を変え、高級なオーク材のデスクをバンッ!と叩きつけた。
「ふざけるな! 誰が足を止めていいと言った! 物流は組織の血液だぞ! 彼らの当事者意識はどうなっているんだ! 直ちに叩き起こして、勢い(モメンタム)で馬を走らせろと伝えろ!」
「む、無理です司令官! 彼らはもう五日間も一睡もしていません! それに、護衛もいない状況でこれ以上無茶をさせれば、過労死するか魔物に食われるかで、コンボイが全滅してしまいます!」
「知るかそんなこと! 気合とパッションで乗り切れと言え! このまま荷物が届かなければ、私の、私のキャリアが……っ!」
ディランは頭を抱え、高級な絨毯の上をウロウロと歩き回り始めた。
ただの納品遅れではない。第三小隊が運んでいるのは、彼が軍の上層部や有力貴族に取り入るための『賄賂』とも言える重要な献上品なのだ。
もし彼らの機嫌を損ねれば、自分の出世コースは閉ざされる。それどころか、裏で行っている『ダミー会社への家賃振込(不動産ロンダリング)』の件まで徹底的に調べられかねない。
(……くそっ! よりによって、あの特務監査部隊とかいう生意気なガキの集団が現場に向かった直後に、こんなトラブルが起きるなんて……!)
ディランはギリッと歯を食いしばった。
「……ええい、仕方がない! 背に腹は代えられん!」
彼は引き出しから、裏社会の人間と繋がる黒い通信魔道具を取り出した。
「おい、例の『回収屋』を呼べ! 王都の裏口に待機させている私兵部隊だ!」
「し、司令官!? 正規軍の輸送兵に対して、裏社会の傭兵を使うおつもりですか!?」
秘書官が驚愕して止めるが、ディランの目は完全に血走り、正気を失っていた。
「うるさい! これは怠慢な労働者に対する『外部からのモチベーション刺激(物理)』だ! 回収屋どもに伝えろ! 第十四中継倉庫へ向かい、サボっている第三小隊の連中を叩き起こせ! 鞭で叩いてでも、首に縄をつけてでも、無理やり馬車を王都へ走らせろとなッ!」
もはや、コンプライアンスも横文字のビジネス用語も関係ない。
自身の保身のためなら、現場の労働者を文字通り「奴隷」のように暴力で支配しようとする、ブラック経営者の最も醜悪な本性が露わになった瞬間であった。
◇◇◇
一方その頃。王都から数キロ離れた『第十四中継倉庫』。
廃墟だった内部は、特務監査部隊の白髪の魔道士・クラウスの手によって、快適な室温と完璧な防音設備を備えた『最高の仮設居住区』へと生まれ変わっていた。
「……ん、ぁ……」
氷の魔法で作られた、フカフカの毛布が敷かれたベッドの上で。
若き輸送兵のリックは、ゆっくりと重い瞼を開けた。
「……あれ? 俺、生きてる……? ここは……」
体を起こしたリックは、自分の体に満ち溢れている『軽さ』に驚いた。
数時間前まで、全身の関節が悲鳴を上げ、視界がチカチカするほどの過労状態だったのが嘘のように、頭がスッキリと晴れ渡っている。五日間の不眠不休のデスマーチの疲労が、泥のような深い眠りによって完全にリセットされていたのだ。
「おはようございます、リックさん。計十四時間の睡眠……見事な有給休暇でしたね」
倉庫の片隅。
氷で作られた即席のデスクで、優雅にコーヒーを飲みながら書類仕事をこなしていたアレンが、微笑みながら声をかけた。
「アレン、中隊長……! 俺、そんなに長く寝て……。あ、他の皆は!」
「ご安心を。先輩方もまだ、隣のベッドで子供のように熟睡しています。……さて、目覚めの朝食はいかがですか?」
アレンが視線を向けた先では、備え付けの魔導コンロを使って、クラウスが手際よくフライパンを振っていた。
ジューッという食欲をそそる音と共に、厚切りのベーコンと卵が焼ける香ばしい匂いが倉庫内に漂う。
「兵站部の荷馬車から、少しだけ食材を『現物支給』として前借りさせてもらいました。労働基準法に基づく、適切なカロリー摂取です」
「あ……ああ……っ」
湯気を立てるベーコンエッグと、温かいパン、そして熱いスープを渡されたリックは、ボロボロと涙をこぼしながら、それを無我夢中で口に運んだ。
美味しい。温かい。安全な場所でご飯を食べ、安心して眠ることができる。そんな「人間としての当たり前の生活」が、これほどまでに尊いものだとは知らなかった。
「……本当に、ありがとうございます。特務監査部隊の皆さんがいなかったら、俺たち、今頃絶対に魔物に食われて……」
リックが咽び泣きながら頭を下げる。
「感謝には及びません。我々はただ、不当な業務命令を取り除いただけですから」
アレンは涼しい顔でコーヒーを啜った。
その時である。
アレンの懐で、王都に残っているティノからの通信魔道具が、チカチカと赤い光を点滅させた。
『アレン中隊長! 聞こえますか!』
「ええ。ティノ、状況は?」
通信に出たアレンに対し、ティノが緊迫した声で告げる。
『先ほど、兵站輸送部の本部から、柄の悪い武装集団(三十名規模)が、そちらの中継倉庫へ向けて馬を走らせました! ディラン司令官が裏で雇っている「回収屋」と呼ばれる私兵部隊です!』
「……私兵部隊ですか」
『はい! 物流が止まったことで貴族たちからクレームの嵐を受け、ディラン司令官は完全にパニックを起こしています! 暴力で無理やり輸送兵たちを脅し、馬車を動かすつもりのようです!』
「なっ……!?」
通信の内容を聞いていたリックの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「し、司令官が、俺たちを暴力で動かすために裏の人間を……っ? そんな、いくらなんでも、自軍の兵士を力ずくで……っ!」
絶望でガタガタと震え出すリック。
しかし、アレンの瞳には一切の動揺はなく、むしろ氷のように冷たく、そして残酷な嘲笑が浮かんでいた。
「……横文字のビジネス用語で現場をコントロールできなくなると、最後は『暴力による脅迫』に頼る。……典型的な無能トップの末路ですね」
アレンはゆっくりと立ち上がり、漆黒の軍服の襟を正した。
「リックさん。あなたはそのまま、美味しい朝食の続きを楽しんでいてください。……外の『ゴミ掃除』は、我々が五分で終わらせます」
アレンの言葉と同時だった。
外から、多数の馬の足音と、下品で野蛮な男たちの怒号が響いてきた。
「おいコラァッ! 起きろ兵站部のクズども!!」
バンッ!!と、中継倉庫の扉が乱暴に蹴り開けられる。
そこに立っていたのは、返り血で汚れた革鎧を着込み、トゲのついた棍棒や汚い剣を下品に構えた、いかにも『裏社会の傭兵』といった風体の荒くれ者たち三十人だった。
「ディラン司令官の命令だ! サボってんじゃねぇぞ! 今すぐ馬車の御者台に座れ! 逆らう奴は、この棍棒で足の骨を折って、馬車の後ろに引きずってでも働かせてやるからなァッ!」
傭兵のリーダー格である大男が、下劣な笑い声を上げながら倉庫の中に踏み込んでくる。
しかし。
彼らを待ち受けていたのは、怯えて震える輸送兵たちではなく。
絶対的な冷気を纏った、純白のスカーフの青年――アレン・ロストであった。
「……おや。アポなしの訪問者ですね」
アレンは一切の感情を交えない、氷のような視線で傭兵たちを見据えた。
「あぁ? なんだテメェは。小綺麗な軍服なんか着やがって……監査部隊のお坊ちゃんか? 悪いがな、俺たちは『外部の委託業者』だ。軍のルール(コンプライアンス)なんか知らねぇんだよ! 邪魔するならテメェも――」
「軍の正規の雇用名簿に登録されていない『非正規の暴力集団』。そして、労働者の正当なストライキ権に対する、物理的な妨害行為」
アレンは懐中時計を取り出し、パチンと蓋を開けた。
「……完全なコンプライアンス違反です。交渉の余地はゼロ。直ちに、物理的な排除を実行します」
「ハッ! 生意気なガキが! やっちまえ!!」
大男の号令とともに、三十人の傭兵たちが一斉に武器を振り上げ、アレンに向かって殺到しようとした。
だが。
「――待ちわびたぞ。私の『物理的監査』の出番だな」
アレンの背後から、圧倒的な死のプレッシャーを放つ赤髪の女騎士が、静かに、だが獰猛な獣のような笑みを浮かべて前に出た。
「エルザ殿。彼らは対象外(部外者)です。手加減は不要ですよ」
「ふっ……上官の完璧な業務命令だ。……五分と言わず、一分で終わらせてやろう」
エルザが、腰の巨大な剣をゆっくりと引き抜く。
その瞬間、中継倉庫の空気が、ピリッ……と極限まで張り詰めた。
「な、なんだこの女……っ!?」
傭兵たちが、本能的な恐怖で足を止めた時には、もう遅かった。
「第一騎士団式・実地監査――【無慈悲な解雇通知】」
エルザの姿が、ブレた。
最強のホワイト部隊による、無能トップの私兵に対する『圧倒的暴力による指導』が、今、一方的に幕を開けた。




