第44話 倒れ込んだ輸送兵と、偽装されたタイムカード
「――アレン中隊長! 大変だにゃ! 玄関の前に、血だらけのおじさんが倒れ込んできたにゃ!!」
アレンとティノが兵站輸送部の不審な予算(ダミー会社への家賃支払い)について協議していた矢先。
特務監査部隊の立派な両開き扉をバーン!と蹴破るようにして、見張りに立っていたレノが慌てた様子で執務室に飛び込んできた。
「血だらけの男……ですか?」
アレンは眉をひそめ、すぐに立ち上がった。
「ティノ、救急用の回復ポーション(ハイグレード)と毛布を。レノ、その人物をすぐに応接室のソファへ運んでください」
「了解!」
アレンたちが一階の応接室へと急行すると、そこには信じられないほどボロボロの姿をした、初老の男が横たわっていた。
年齢は五十代半ばだろうか。日に焼けた筋骨隆々の体格だが、頬は異常なほどにこけ、目の下にはどす黒い隈がべったりと張り付いている。
着ている軍の制服は泥と魔物の返り血で汚れ、馬の綱を握り続ける両手は擦り切れてボロボロだった。何より異常なのは、彼の足元――すり減ったブーツの底から、痛々しい血が滲んでいることだ。
「……ひどい状態です。外傷もさることながら、極度の睡眠不足と過労による魔力枯渇寸前です。……少なくとも、ここ数日は一睡もしていないはずです」
ティノが男の口に回復ポーションを含ませながら、青ざめた顔で報告する。
「う、うぅ……っ」
ポーションの高い回復効果により、男が微かにうめき声を上げ、ゆっくりと濁った目を開いた。
「ここは……俺は、たしか……王都の門をくぐって、助けを……」
「安心してください。ここは特務監査部隊の拠点です。あなたの身の安全は、我々が完全に保障します」
アレンが静かに語りかけると、男はハッと目を見開き、震える手でアレンの漆黒の軍服の袖を強く、すがるように握りしめた。
「あ、あんたが……噂に聞く『白き悪魔の監査官』か……! た、頼むっ……俺の部下たちを、若い輸送兵たちを助けてくれ……! このままじゃ、全滅しちまう……ッ!」
男の悲痛な叫びが、応接室に響き渡った。
「落ち着いてください。順を追って状況のヒアリングを行います。……まずはあなたの所属と名前を」
「俺は、兵站輸送部・第三小隊で馬車引きをやっている、バーツだ。……西の辺境へ向かう『第十四補給ルート』の輸送任務から、俺一人だけ、死に物狂いで馬を走らせて逃げてきたんだ……っ!」
バーツと名乗ったベテラン輸送兵の言葉に、横でタブレット型の魔導端末を操作していたティノが「えっ?」と驚きの声を上げた。
「第十四補給ルート……? ちょっと待ってください、バーツさん。兵站輸送部から軍の上層部に提出されている『運行スケジュール表』によれば、現在第三小隊の皆さんは、王都の宿舎で【週休二日の休暇中】となっているはずですが……?」
ティノがホログラムで空中に投影したタイムカードの記録には、バーツを含む第三小隊の全員が、毎日きっちり定時の『午後五時』で退勤の打刻をしており、現在は完全な休日を取得していることになっていた。
それを見たバーツの口から、乾いた、そして絶望に満ちた笑いが漏れた。
「……週休二日、だと? ふざけるな。俺たちはもう五日間、馬車の上から一歩も降りてねぇよ」
「「……!」」
「出発前、本部の役人どもに無理やり『退勤の魔導印』を押させられてから、夜中だろうが何だろうが、ひたすら馬を走らされてるんだ。……あいつら、書類の上だけで労働時間を誤魔化しやがった!」
バーツの握りしめた拳から、血が滴り落ちる。
「……深刻なコンプライアンス違反(タイムカードの改ざん)ですね」
アレンの瞳の温度が、スッと絶対零度まで下がるのを感じて、室内の空気がピリッと張り詰めた。
「詳しく聞かせてください、バーツさん。なぜ、逃げ出すことも、途中の宿場町で休むこともできないのですか? 兵站部には、魔物に対処するための『護衛部隊』が随伴しているはずでしょう?」
アレンの問いに対し、バーツはギリッと歯を食いしばった。
「護衛なんか……一人もいねぇよ!」
「……何?」
「三ヶ月前に赴任してきた、あの新しい司令官――ディランの野郎が、『護衛部隊の人件費は無駄なコストだ。アウトソーシングでスリム化する』とかいう訳の分からない理屈をこねて、俺たちから護衛の兵士を全員取り上げやがったんだ!」
魔物の出る危険な街道を、重い物資を積んだ鈍重な荷馬車で、護衛もつけずに走らされる。
それは物流ではない。ただの『死のデスマーチ』だ。
「途中で馬を休ませようと立ち止まれば、あっという間に魔物の群れに追いつかれて食い殺される……! だから俺たちは、寝ることも許されず、壊れかけの馬車を鞭で叩いて、不眠不休で走り続けるしかねぇんだよぉッ!」
バーツは両手で顔を覆い、男泣きに泣き崩れた。
「俺の部下たちは……まだ二十歳そこそこの若い連中は、今も森の中で、魔物に怯えながら泣きながら馬車を走らせてる……。俺は、ベテランの俺だけが、助けを呼ぶために死ぬ気で王都まで走ってきたんだ……っ。頼む、監査部隊……あいつらを、助けてやってくれ……!」
応接室は、重苦しい沈黙に包まれた。
「……アレン中隊長。これは……」
ティノが怒りで声を震わせる。
「書類上は完璧なホワイト組織を演出しながら、裏ではタイムカードを改ざんし、護衛という『命の安全網』すら切り捨てて利益を貪る。……前・工場長のあからさまなブラック労働よりもタチが悪い、極めて悪質で陰湿な搾取構造です」
アレンは静かに立ち上がり、バーツの泥だらけの肩にそっと手を置いた。
「よく生きて、ここまでたどり着いてくれましたね。あなたの勇気ある内部告発は、我々が確かに受け取りました」
アレンの声には、有無を言わせぬ絶対的な力強さがあった。
「バーツさん。あなたはここで、温かいスープを飲んで泥のように眠ってください。……あなたの可愛い部下たちは、我が特務監査部隊が必ず、無傷で王都に連れ帰る(リターンする)と約束しましょう」
「あ、あんた……っ!」
バーツが涙まみれの顔を上げる。
「ティノ。レノ。直ちにエルザとクラウスを呼び戻し、全部隊に『第一種・強制監査出動』の号令を」
「了解ですっ!!」
アレンは懐中時計を取り出し、パチンと蓋を開けた。
時刻は、ちょうど昼の十二時を回ったところだった。
「……『アウトソーシングでスリム化』ですか」
アレンの口角が、冷酷な弧を描く。
「現場の命を削って出した利益を『スリム化』などと呼ぶ無能なトップには、組織を率いる資格はない。……ディラン司令官。あなたの薄っぺらい横文字のメッキを、我々の圧倒的な論理と暴力(物理)で、完膚なきまでに剥がして差し上げましょう」
十八歳へと成長し、その冷徹さに磨きをかけた最強の社畜が、偽りのホワイト物流網へ向けて、静かに反撃の狼煙を上げた。
まずは元凶のトップがふんぞり返る『兵站輸送部・本部』へ、直接のご挨拶である。




