第43話 三年後の特務監査部隊と、静かなる腐敗
王都の中心部、第一騎士団の総本部にも隣接する一等地に、他とは明らかに異質の空気を放つ瀟洒な煉瓦造りの洋館が建っている。
玄関に掲げられた真新しい銀色のプレートには、『王国軍・特務監査部隊本部』という文字が厳かに刻まれていた。
朝の光が差し込む広々とした執務室は、まるで異国の高級ホテルのラウンジか、あるいは大企業の役員室のように洗練されている。
最高級のオーク材で作られた巨大なデスク。その奥にある深いレザーチェアに深く腰掛け、淹れたてのブラックコーヒーの香りを楽しみながら、一人の青年が分厚い決算報告書に目を通していた。
アレン・ロスト。
かつて第七小隊の小隊長として王立魔導工廠の過酷なストライキ闘争を指揮した「最強の社畜」は、三年の月日を経て、十八歳の精悍な青年へと成長を遂げていた。
背丈は以前よりもずっと伸び、鍛え抜かれた無駄のない体躯は、軍服というよりもオーダーメイドのスリーピース・スーツを思わせる漆黒の特注制服に美しく包まれている。
首元には変わらず純白のスカーフが巻かれているが、その立ち振る舞いから漂う冷徹なまでの知性と、絶対的な権力者としての威圧感は、三年前の比ではなかった。
「……おはようございます、アレン中隊長。本日の監査スケジュールの確認をお願いします」
ノックと共に執務室に入ってきたのは、部隊の経理および財務責任者(CFO)へと昇進したティノだった。彼女もまた、かつての気弱な少女の面影を脱ぎ捨て、タイトスカートに銀ぶちの眼鏡をかけた、極めて有能な監査官の顔つきになっている。
「おはよう、ティノ。今朝のコーヒーの豆は、少し酸味が強くて僕好みです。素晴らしい調達ですね」
アレンが書類から顔を上げ、優雅に微笑む。
「ありがとうございます。カイン工場長から、王立魔導工廠の『労働環境改善三周年記念』として贈られてきた最高級品ですからね。……さて、本日のスケジュールですが。午前中は第三魔法大隊の有給休暇消化率の抜き打ちチェック。午後は、王都防衛隊における『残業代の未払い(未清算)』に関するヒアリング調査が入っています」
ティノがタブレット型の魔導端末を指先で滑らせながら、流れるように報告を行う。
「承知しました。もし残業代の隠蔽(サービス残業)が発覚した場合は、直ちに彼らの部隊長を物理的に拘束し、過去三年分の未払い賃金に年利二十パーセントの遅延損害金を乗せて請求してください」
「はい。すでにエルザ先輩とクラウス先輩が、いつでも『物理的制裁』に移行できるよう、防衛隊の兵舎周辺で待機しています」
この三年間で、王国軍の内部環境は劇的な変化を遂げていた。
アレン率いる特務監査部隊の容赦ない「ホワイト化(物理)」の噂は瞬く間に軍全土へと広がり、今や『白き悪魔の監査部隊』として、すべての将校から恐れられる存在となっていたのだ。
理不尽な暴力、過酷なノルマ、そして休日返上の強制労働。
そういった「あからさまなパワハラ(ブラック行為)」を行う無能な指揮官たちは、アレンたちによって次々と更迭され、今や表立って労働基準法に違反するような愚か者は、軍のどこを探しても見当たらなくなっていた。
「……表面上は、本当に素晴らしいホワイト組織になりましたね。どの部隊も、定時になれば一目散に兵舎へ帰り、有給もきっちり消化している。三年前の腐敗しきった軍隊とは大違いです」
アレンがコーヒーカップを置き、満足げに呟く。
しかし、その直後。ティノの表情が、スッと冷たい監査官のそれに切り替わった。
「ええ。表面上は(・・・・)、です。アレン中隊長。実は今朝、軍の『不動産管理帳簿』をチェックしていたところ、極めて不可解な数字を発見しました」
ティノは手元の魔導端末を操作し、空中に幾つもの複雑なグラフと表を投影した。
「ここ一年で、軍の『兵站輸送部』が計上している固定費……特に、全国の街道沿いに点在する『軍事中継倉庫の維持費および賃料』が、前年比で三百パーセント以上も高騰しているんです」
「……三百パーセント、ですか。インフレや物価高を考慮しても、極めて非論理的な数値(異常値)ですね」
アレンの瞳の奥で、狩りを待つ肉食獣のような鋭い光が瞬いた。
「さらに不可解なのは、これらの高額な賃料の支払い先です。軍が所有していたはずの中継倉庫が、いつの間にか『よく分からない民間企業(ダミー会社)』の名義に書き換えられており、軍は自らの倉庫を使うために、毎月莫大な『家賃』をその民間企業に支払っている状態になっています」
「なるほど。見事な分析です、ティノ」
アレンは立ち上がり、執務室の大きな窓から王都の街並みを見下ろした。
「パワハラやサービス残業といった『現場への直接的な搾取』が厳しく監査されるようになった今、腐敗した人間は必ず、より陰湿で、一見すると合法に見える『裏のスキーム』へと逃げ込みます。……税の抜け穴を利用した不動産ロンダリング、あるいはペーパーカンパニーを使った中抜き(横領)行為ですね」
悪は消えたわけではない。ただ、より見えにくい場所へと潜っただけだ。
「この異常な予算超過を主導しているのは?」
アレンが静かに問う。
「兵站輸送部の新しいトップ。三ヶ月前に着任したばかりの、新進気鋭の若手貴族……『ディラン司令官』です。彼は自らを『次世代のビジネスリーダー』と称し、横文字の専門用語を多用して上層部に取り入るのが非常に上手い人物のようです」
「横文字の専門用語、ですか」
アレンは薄く笑った。前世のブラック企業でもよく見たタイプだ。中身のない空虚なビジネス用語と『勢い』だけで全てを乗り切ろうとし、現場の苦労を一切理解しようとしない無能なトップ(経営者)。
「ティノ。兵站輸送部の現場……実際に馬車を走らせている輸送兵たちの『勤怠データ』はどうなっていますか?」
「それが……書類上は、完全に『一日八時間労働・完全週休二日制』が守られています。残業もゼロです。……でも、そんなの絶対にありえません。維持費を民間会社に吸い上げられ、さらに護衛の予算も極限まで削られているのに、現場のスケジュール通りに物資が届き続けている。もし書類が真実なら、彼らは『魔物の出る危険な街道を、通常の三倍の速度で駆け抜けている』ことになります」
ティノが奥歯をギリッと噛み締める。
経理という数字のプロフェッショナルである彼女には、その裏で何が起きているか、痛いほどに分かっていた。
「……現場の労働時間に『嘘(改ざん)』があるということですね。上層部が中抜きで予算を食い潰したシワ寄せを、護衛なしの『死のデスマーチ』という形で現場の労働者に強要している」
アレンの周囲の空気が、急激に冷たく、そして重く沈み込んだ。
書類上だけのホワイト。
それは、殴る蹴るのパワハラよりも遥かに悪質で、労働者の心と体を静かに、そして確実に殺していく『最悪のブラック企業』の手口そのものであった。
「……コンプライアンス遵守だの、シナジーだの。空虚な言葉と勢いだけで現場を使い潰す人間に、組織のトップに立つ資格はありません」
アレンは漆黒の軍服の襟を正し、純白のスカーフをキュッと締め直した。
「ティノ。予定を変更します。午後の防衛隊のヒアリングはエルザとクラウスに一任。我々は直ちに『兵站輸送部本部』へ向かい、このアホな新司令官殿に、直接ご挨拶と行きましょうか」
「はいっ! アレン中隊長!」
三年という歳月を経て、より冷酷に、より洗練された「物理的監査」の技術を身につけた特務監査部隊。
彼らの次なる標的は、偽りのホワイトを掲げ、不動産と税の抜け穴で私腹を肥やす『死の軍事兵站』。
最強の社畜による、新たなブラック組織粉砕の幕が、今静かに上がった。




