【番外編7】帝国スパイ・イリヤの憂鬱なる報告書
王立魔導工廠から遠く離れた、国境近くの寂れた宿場町。
その裏路地にひっそりと佇む安宿の一室で、派遣の産業医に扮していた帝国軍情報部の凄腕スパイ・イリヤは、重いため息をつきながら羊皮紙に向かっていた。
「はぁ……。どうやって書けばいいのよ、こんなの……」
彼女は細いフレームの眼鏡を外し、目頭を強く揉んだ。
机の上には、特殊な魔力インクで帝国軍の上層部へ送るための『極秘任務報告書』が広げられている。
今回の彼女の任務は、王国の腐敗した工場長と癒着し、工廠の資材を横領させて製造した帝国製の巨大違法ゴーレム『ベルゼブブ型』を、無事に国境まで誘導・密輸することだった。
結果は、完全なる失敗。
工場長は王国の近衛騎士に逮捕され、密輸ルートは完全に消滅。そして何より、帝国の莫大な予算と最新技術をつぎ込んだ『ベルゼブブ型』は、無惨な鉄屑と化してしまったのだ。
失敗の責任は重い。だが、それ以上にイリヤの頭を悩ませているのは、この失敗の「原因」を、本国でふんぞり返っている頭の固い上官たちに『どう説明すれば信じてもらえるか』ということだった。
「……とりあえず、事実をありのままに書くしかないわね」
イリヤは気を取り直し、羽ペンをインクに浸して書き始めた。
『報告第一項:作戦失敗の要因について。
標的となった王立魔導工廠は、王国軍の【第七小隊】――現在は【特務監査部隊】と名乗る一部隊の介入により、完全に制圧されました。その部隊長は、アレン・ロストという十五歳の少年です』
そこまで書いて、イリヤはペンを止めた。
……ダメだ。十五歳の少年が率いるたった一つの小隊に、五千人の労働者を抱える王国最大の軍需工場が制圧されたなどと書けば、「貴様は任務をサボって酒でも飲んでいたのか」と怒鳴られるに決まっている。
だが、事実なのだから仕方がない。
『報告第二項:第七小隊の戦力と異常性について。
彼らの武力は、常軌を逸しています。工場長が裏社会から雇い入れた重武装の傭兵団(五十名規模)による夜襲に対し、彼らはたった二名(赤髪の女騎士と、白髪の魔道士)で応戦。しかも女騎士は「抜剣すら行わず」、魔道士は「環境トラップ(氷結地雷)を設置して放置」という極めて省エネな戦法により、わずか三分で傭兵団を全滅させました』
イリヤは当時の光景を思い出し、背筋に冷たいものを感じた。
王国の軍隊は腐敗して弱体化しているというのが、帝国の共通認識だった。しかし、あの女騎士の圧倒的な暴力と、魔道士の隙のない結界魔法は、帝国軍の精鋭部隊が小隊規模で当たっても全滅しかねないレベルだった。
「……でも、一番報告しづらいのは『武力』じゃないのよね」
イリヤは再び深いため息をつき、最も頭の痛い第三項目の執筆に取り掛かった。
『報告第三項:工廠機能の停止プロセスについて。
アレン・ロスト小隊長は、工廠を制圧するために武力を行使しませんでした。彼は五千人の労働者を扇動し、【労働組合】という謎の組織を結成。彼らに【ストライキ(争議権)】という概念を植え付け、工廠の全生産ラインを合法的かつ平和的に停止させました。
※追記:ストライキ中の労働者たちは、絶対防御の魔法結界に守られながら、工廠の中庭で温かい紅茶を飲み、毛布にくるまってカードゲーム(有給休暇の消化)を楽しんでいました』
「……自分で書いてて、頭がおかしくなりそう」
イリヤは額を机に打ち付けた。
敵の生産拠点を止めるなら、普通は重要設備を爆破するか、要人を暗殺するのがスパイの常識だ。しかしあの少年は、労働者に「お茶会」をさせることで、工場長を精神的にも物理的にも完全に追い詰めたのだ。
報告書を読んだ帝国の上官が、「ストライキとは新種の広域幻覚魔法か何かか?」と真顔で聞いてくる姿が目に浮かぶ。
「そして、最後がこれよ……。どう言い訳しよう……」
『報告第四項:帝国製試作兵器【ベルゼブブ型】の損失について。
当機体は、アレン・ロストの【監査】により破壊されました。彼は王国の若手技師から「旧式魔力炉の流用による排熱処理の欠陥」という指摘(技術提供)を受け、わざと機体をフル稼働させてオーバーヒートを誘発。装甲が開いた一瞬の隙を突き、コアに直接攻撃を叩き込みました。
なお、破壊の直前、アレン・ロストは【労働基準法違反・絶対的制裁】という呪文(?)を詠唱していました』
書き終えた報告書を見直し、イリヤは両手で顔を覆った。
絶対に、信じてもらえない。
帝国の粋を集めた最強の装甲ゴーレムが、十五歳の少年に「労働基準法違反だ」と説教されながら、構造的なバグを突かれて自滅させられたなどと。
「……でも、送るしかないわね」
イリヤは意を決し、報告書を折りたたんで『通信用の魔道具(水晶球)』の上に置いた。魔力を流すと、羊皮紙は青白い光に包まれ、瞬時に帝国の情報部へと転送された。
数分後。
机の上の水晶球が、不吉な赤い光を点滅させ始めた。
イリヤがビクッと肩を揺らし、恐る恐る通信ボタンを押すと――。
『イリヤァァァァァァッッ!!』
水晶球から空中に投影された帝国軍情報部の将軍の顔が、鼓膜が破れんばかりの怒号を上げた。
「は、はいっ! こちらスパイ番号〇〇七、イリヤです!」
『貴様、私を馬鹿にしているのか!? なんだこのふざけた報告書は! ストライキ!? 有給休暇!? アンチ・ハラスメントォ!? 貴様、酒場に入り浸って任務を放棄し、酔っ払った頭で適当な言い訳を書き連ねたなッ!!』
案の定である。
顔を真っ赤にして激怒する将軍に対し、イリヤは必死に弁明した。
「ち、違います将軍! これは全て私がこの目で見た紛れもない事実です! 第七小隊のアレン・ロストは、ただの武力ではなく『ビジネス用語』と『論理』という未知の武器を使って、対象を完膚なきまでに叩き潰す恐るべき男なのです!」
『戯言を抜かすな! 帝国の誇るベルゼブブ型が、ガキの説教(コンプライアンス監査)で壊れるわけがなかろう! だいたい「労働基準法」とはなんだ! そんな軟弱な法律、我が帝国には存在せんぞ!』
「そこです、将軍! 存在しないからこそ恐ろしいのです! 奴らはその独自の『ホワイト』という概念を押し付け、組織の構造的欠陥(ブラックな部分)を容赦なく突いてくるんです!」
イリヤは身を乗り出して忠告した。
「将軍! どうか軍上層部へ進言してください! あの第七小隊――いえ、『特務監査部隊』を甘く見てはいけません! もし我々帝国軍が彼らと真っ向から衝突した場合、我々の軍隊そのものが『ホワイト化(監査)』され、崩壊させられる危険性が……っ!」
『ええい、黙れ黙れ! これ以上貴様の妄言を聞く耳は持たん!』
将軍はイリヤの決死の忠告を完全に鼻で笑い飛ばした。
『任務を失敗した罰として、貴様には引き続き王国での潜伏任務を命ずる! そのふざけたガキの部隊とやらを監視し、次こそは「まともな情報」を送ってこい! ……いいか、帝国軍は絶対だ! たかが王国の護衛部隊ごときに後れを取るなど、天地がひっくり返ってもありえん!』
ブツッ!!
将軍は一方的に通信を切断した。
安宿の一室に、再び重苦しい静寂が戻ってくる。
「……バカね。天地をひっくり返す男なのよ、あのアレン・ロストは」
イリヤは通信の切れた水晶球を冷ややかな目で見つめ、小さく呟いた。
帝国の軍隊は、圧倒的な武力と、兵士の命を使い捨てる『恐怖による支配』で成り立っている。つまり、アレンの最も憎む「ブラック組織の究極系」に他ならない。
もし、特務監査部隊の監査の刃が、王国を越えて帝国にまで向けられたらどうなるか。
イリヤの脳裏に、最悪(あるいは最高)のシミュレーションが浮かび上がる。
『帝国兵の皆さん! 月百時間のサービス残業による進軍は労働基準法違反です! 今すぐ有給を消化しなさい!』と叫ぶアレン。
そして、それに呼応して『そうだ! 俺たちも定時で帰りたい!』と武器を投げ捨て、ストライキを起こす帝国兵たちの姿が。
「……想像しただけで、帝国の崩壊が見えるわ」
イリヤはふっと自嘲気味に笑い、再び細いフレームの眼鏡をかけ直した。
上官には信じてもらえなかったが、彼女の腕の立つスパイとしての『直感』が告げていた。
遠くない未来、王国を覆い尽くすブラックな陰謀、そして帝国の野望は、あの「最強の社畜」によって完膚なきまでに論破され、物理的に粉砕されることになるだろうと。
「……仕方ないわね。潜伏任務の延長(残業)は腹が立つけど、あの少年の『監査』の行く末、この特等席で見届けさせてもらうとしましょうか」
イリヤは窓の外、王都の方角へと視線を向けた。
軍の常識を覆す異端の小隊長、アレン・ロスト。
彼が次にメスを入れる(監査する)のは、一体どこの真っ黒な部署なのか。
帝国スパイ・イリヤの憂鬱と胃痛の種は、まだまだ尽きそうにない。
ここまで第2章『王立工場のブラック労働を粉砕せよ』、および番外編をお読みいただき、本当にありがとうございます!
利益のために現場の命を使い捨てるブラック工場長に対し、まさかの「全工場一斉ストライキ」から、巨大兵器の「物理的監査」というアレン流の制裁、いかがだったでしょうか?
番外編では、猫のシロによるアニマルセラピーや、新工場長カインの奮闘、そして不憫なスパイ・イリヤの憂鬱などもお届けしました(笑)。
王女殿下の後ろ盾を得て、ついに『特務監査部隊』へと昇格を果たしたアレンたち。
次なる第3章からは、さらにスケールアップした「ブラック組織のホワイト化(物理)」が幕を開けます!次に彼らがメスを入れるのは、果たしてどんな真っ黒な部署なのか……ぜひご期待ください!




