第38話 合法ストライキ決行、停止する心臓部
翌朝。王立魔導工廠の工場長は、自身の豪華な執務室で、最高級の豆を挽いたコーヒーの香りを楽しみながら優雅な朝食をとっていた。
「ふん。昨夜は一晩中、配給を止めてやったからな。今頃、あの生意気な作業員どもは飢えと恐怖で泣き叫び、私の靴を舐めて許しを乞う準備をしていることだろう」
工場長は分厚いステーキを切り分けながら、下品な笑いを漏らす。
外部からやってきた監査役(第七小隊)がどれほど優秀だろうと、この工廠のインフラ(食料と賃金)を握っているのは自分だ。圧倒的な権力とリソースの差を見せつければ、すぐに尻尾を巻いて王都へ逃げ帰るに決まっている。
「さて、そろそろ絶望に染まった現場を視察して、今日の分の『特別ノルマ(密輸品の製造)』をこなさせるとするか」
工場長がナプキンで口を拭い、執務室に隣接するバルコニー――工廠の生産フロア全体を見下ろせる特等席――へと通じるドアを開けた、その時だった。
「……ん?」
工場長は、自身の耳を疑った。
毎日、朝から晩まで鼓膜を劈くように鳴り響いていた、あの百二十デシベルを超える暴力的な『騒音』が、一切聞こえてこないのだ。
巨大な魔導プレッサー機が鉄を打つ音も、魔力炉が唸る音も、作業員たちを急かす現場監督の怒号も。
何一つ、聞こえない。
そこにあるのは、不気味なほどの『完全なる静寂』だった。
「な、なんだこれは……ッ!?」
バルコニーから身を乗り出した工場長の目玉が、限界まで見開かれた。
工廠の第一ラインから第五ラインに至るまで、すべての魔力炉の火が落とされ、巨大な機械群が完全に沈黙している。
王国の生産の心臓部が、完全に停止していたのだ。
「おいっ! どういうことだ! なぜ機械が止まっている! 作業員どもはどこへ行ったァァッ!!」
工場長が血相を変えて怒鳴り声を上げた、その直後。
「――おはようございます、工場長殿。本日は大変清々しい朝ですね」
静まり返ったフロアの入り口から、足音を響かせて一人の少年が現れた。
第七小隊小隊長、アレン・ロスト。
彼は完璧にアイロンがけされた軍服の襟を正し、堂々とした足取りでフロアの中央へと歩み出てくる。
その後ろには、エルザ、クラウス、ティノ、レノといった第七小隊の面々。
そして――彼らに守られるようにして、カインを筆頭とする数千人の作業員たちが、整然と隊列を組んで並んでいたのだ。
彼らの顔に、昨日のような飢えと絶望はない。ティノの配給で十分に腹を満たし、アレンの言葉で『権利』に目覚めた彼らの瞳は、経営者に対する確かな意思(反抗)の光を宿していた。
「き、貴様ら……っ! 配給を止められたのに、なぜピンピンしている! それに、誰の許可を得てラインを止めたァッ!!」
バルコニーから唾を飛ばして喚き散らす工場長に対し、アレンはスッと一枚の羊皮紙を取り出した。
「工場長殿。こちらは、昨日発足した『王立魔導工廠・労働組合』からの、正式な要求書です」
「ろ、労働組合だと……っ!?」
「要求は三つ。一、不当な減給および過酷なノルマの即時撤廃。二、安全装置の完全導入および労災補償の徹底。三、現場の命を軽視した現行の経営層――すなわち、あなたの退陣です」
「ふ、ふざけるなァァァッ!!」
工場長は激昂し、バルコニーから階段を駆け下りてアレンの目の前までやってくると、その要求書を引ったくり、ビリビリと無残に破り捨てた。
「誰がそんなふざけた要求を呑むか! 貴様らは私の奴隷だ! 私の言う通りに死ぬまで働けばいいんだ! おい、警備兵! こいつらを鞭で打って、今すぐ機械の前に引きずり戻せ!!」
工場長の号令に合わせ、周囲を取り囲んでいた数十人の工廠専属の警備兵たちが、武器を構えて作業員たちに襲いかかろうとした。
カインたちがビクッと肩をすくめる。
しかし、アレンは破られた要求書を一瞥し、静かに懐中時計を取り出した。
「……経営トップによる『団体交渉の完全拒否』。意思確認は取れました」
パチン、と時計の蓋を閉じる音が、静寂のフロアに響く。
「これより、王立魔導工廠の全労働者五千名は、労働組合の正当な権利である『争議権』――すなわち『ストライキ』を決行します。……全員、溜まりに溜まった有給休暇の消化を開始してください!」
アレンの宣言と同時だった。
「――物理的防御展開」
クラウスが杖を掲げると、警備兵たちと作業員たちの間に、分厚く巨大な氷の防壁が出現した。警備兵たちが武器で叩いても、傷一つ付かない絶対防御の壁だ。
さらに、赤いマントを翻したエルザが、防壁の前に単機で躍り出る。
彼女は名剣の峰を軽く振るっただけで、凄まじい衝撃波を発生させ、襲いかかってきた数十人の警備兵たちを、一瞬にして後方へと吹き飛ばしてしまった。
「がはぁっ!?」
「ひぃぃっ! だ、駄目だ、強すぎる……っ!」
第一騎士団の元千人長が放つ圧倒的な覇気の前に、警備兵たちは完全に戦意を喪失し、床を這いずって逃げ出した。
「お疲れ様です、皆さん! 第一班、ストライキ中のレクリエーション用品を展開! 温かいお茶と、お茶菓子の用意もできていますよー!」
その後方では、ティノの指示のもと、新人兵士たちが作業員たちのために大量の毛布やカードゲーム、温かい飲み物を配り始めていた。
地獄のような生産現場のど真ん中で、数千人の作業員たちが車座になって座り込み、お茶を飲みながら談笑し始めるという、極めてシュールで平和な光景が完成したのだ。
「な、なんだこれは……っ! 立て! 立って働けぇっ!!」
完全に無視され、自分だけが蚊帳の外に置かれた工場長は、顔を紫に染めて発狂したように叫んだ。
「お生憎様ですが、彼らは現在『合法的な休暇中』です。労働基準を遵守しないブラック企業に、彼らの貴重な労働力を提供する義理はありません」
アレンが冷たく言い放つ。
「このストライキは、あなたが我々の要求を呑むまで『無期限』で継続されます。さて、ラインが完全に停止したことで、一体どれほどの損失(赤字)が膨れ上がっていくのでしょうか。見物ですね」
「き、貴様ぁぁぁっ!!」
工場長はギリッと歯を食いしばり、踵を返して逃げるように執務室へと駆け戻っていった。
◇◇◇
「クソッ! クソッ、クソッ、クソがァァッ!!」
執務室に戻った工場長は、手当たり次第に高価な壺や絵画を床に叩きつけ、荒い息を吐いていた。
「あんなガキ共のふざけた要求など、絶対に呑めるか! ほとぼりが冷めるまで放置してやる! 一週間でも一ヶ月でも、兵糧攻めにして……!」
そう自分に言い聞かせようとした、その時だった。
執務室の机の上に置かれていた、厳重なロックが施された黒い箱――『極秘通信用の魔道具』が、不気味な赤い光を点滅させ始めた。
「ひっ……!」
工場長は顔面を蒼白にさせ、震える手で通信機のスイッチを押した。
空中に投影されたのは、顔を隠した不気味な男の立体映像だった。
『……工場長。今日の分の「品物(密輸兵器)」の輸送準備はできているな? 我が帝国は、明日の朝にはあの試作兵器を国境で受け取る手はずになっている』
冷酷な声が響く。
それは、工廠の裏帳簿から消えた資材で作られた違法兵器を買い取っている、敵国『帝国』の裏組織の人間だった。
「も、もちろんですとも! ですが、その……工廠内で少々、システムトラブルがありまして。納品を数日だけ、待っていただくわけには……」
『……なんだと?』
通信相手の声が、絶対零度まで冷え込んだ。
『我々との取引において、「遅延」という言葉は存在しない。……いいか、工場長。もし明日の朝までに品物が届かなければ、お前が横領と密輸に手を染めている証拠を、王国の軍上層部にすべてぶちまける。お前がギロチン台に送られるまでの時間は、半日もかからんぞ』
ブツッ、と一方的に通信が切断された。
残された工場長は、その場にへたり込み、ガクガクと全身を震わせた。
(ば、バカな……っ! ストライキを放置してラインが止まったままになれば、帝国の奴らに裏の取引をバラされて、私は破滅する……っ!)
ストライキによる「ラインの停止」。
それは、工廠の正規の生産を止めるだけでなく、工場長が裏で行っていた『密輸品の製造と納品』という、絶対に遅れてはならない違法ビジネスの首をも完全に絞め上げていたのだ。
もはや、悠長に兵糧攻めをしている時間はない。
今夜中に、何がなんでもストライキを鎮圧し、作業員たちを力づくで機械の前に引きずり戻さなければ、自分の命がないのだ。
「……こうなれば、手段は選ばん」
極限の焦りと恐怖によって、工場長の目は完全に血走っていた。
彼は引き出しの奥から、裏社会の人間と繋がる別の通信機を取り出した。
「おい、私だ……! 金はいくらでも積む! 今すぐ、工廠に『掃除屋(スト破りの傭兵団)』を呼べ! あの生意気な第七小隊のガキ共を皆殺しにして、作業員どもに恐怖を叩き込んでやるッ!!」
完全に追い詰められ、狂気へと走ったブラック工場長。
最強のホワイト小隊と、裏社会から放たれる非情な傭兵団との、物理的監査を懸けた直接対決の時が、目前に迫っていた。




