第36話 中間管理職の粛清と、工場長の登場
第五ラインの生産フロアを一望できる、冷暖房が完備された豪華な管理室。
小太りの現場監督は、ふかふかの革張りの椅子に深く腰掛け、高価なワインが入ったグラスを揺らしながら下品な笑いを漏らしていた。
「ひははっ! 今頃、あの生意気な見習い(カイン)は、地下でスクラップの下敷きになって潰れている頃だろうな」
彼はワインを一口飲み、満足げに息を吐く。
「あの第七小隊のガキ共が、工廠の『裏帳簿』に勘付いた気配があったからな。接触していたカインを口封じで消しておけば、これ以上の情報漏洩は防げる。あとは適当に『安全確認を怠った作業員の不注意による死亡事故』として処理し、見舞金を削ってやれば完璧だ」
自身の完璧なリスクマネジメント(暗殺)に酔いしれる現場監督。
これで工場長からの評価も上がり、さらなるボーナスが期待できる。彼にとって、現場の作業員の命など、帳簿の数字を合わせるための安価な消耗品(歯車)でしかなかった。
「さて、そろそろ悲痛な顔を作って、事故の確認にでも行ってやるとする――」
ドガァァァンッ!!
現場監督が立ち上がろうとしたその時。
堅牢なはずの管理室のオーク材の扉が、凄まじい衝撃と共に蝶番ごと吹き飛び、部屋の中央に激突して粉々に砕け散った。
「な、なんだっ!?」
「――お食事中のところ申し訳ありません。少々、労務管理に関する『重大なヒヤリハット』が発生しましてね。急遽、報告に上がりました」
もうもうと舞う土煙の中から、首元のスカーフを整えながらアレンが静かに歩み入ってくる。
その後ろには、剣の柄に手をかけたエルザ、杖を構えるクラウス、そして――死んだはずの若手技師、カインの姿があった。
「カ、カイン!? な、なぜお前が生きているっ!」
現場監督はワイングラスを取り落とし、幽霊でも見たかのように目を見開いた。
「残念でしたね。あなたの仕掛けた稚拙な物理トラップは、我が小隊の完璧なセキュリティ(防御結界)によって無効化されました。……カインの無事を確認した時のあなたのその反応、完全に『殺意』があったことの証明になりますね」
アレンの冷たい言葉に、現場監督はハッとして慌てて表情を取り繕う。
「な、何を言っているか分からんな! トラップだと? 私はあいつに、地下のバルブ点検を命じただけだ! 足場が崩れたのなら、それは老朽化によるただの事故だ!」
「にゃはは。往生際が悪い豚だにゃ」
部屋の窓枠にいつの間にか座っていたレノが、手にした『金属の部品』を現場監督の机の上に放り投げた。
「ガシャン」と音を立てて転がったのは、魔力を流すことで遠隔から支柱を爆破するための、精巧な起爆装置の残骸だった。
「その起爆装置の魔力残滓、アンタの魔力波長と完全に一致したにゃ。言い逃れはできないにゃあ」
「なっ……! き、貴様ら……!」
完全に証拠を突きつけられ、現場監督の顔が怒りと焦りでどす黒く染まる。
「部下の命を奪い、それを不慮の事故に偽装して裏帳簿の不正を隠蔽しようとする。……労働安全衛生法違反、殺人未遂、ならびに重大なコンプライアンス違反です。外部監査役の権限において、あなたを直ちに拘束します」
アレンが一歩踏み出す。
追い詰められた現場監督の理性が、ついに完全に吹き飛んだ。
「ふざけるなァァッ! たかが護衛部隊のガキ共が、私の城で偉そうに! まとめて消し炭にしてやるっ!」
現場監督は狂ったように叫び、懐から高出力の火炎魔法を封じ込めた魔石を取り出し、アレンたちに向けて投げつけようとした。
「――お前の相手は、私だ」
だが、彼の腕が振り下ろされるより早く、エルザの姿がブレた。
彼女は瞬時に現場監督の懐に潜り込むと、抜剣すら行わず、鋼鉄の籠手で覆われた拳を、相手の鳩尾に容赦なく叩き込んだ。
「ごっ、ばはぁっ……!?」
カエルのように眼球を飛び出させ、大量の胃液を撒き散らしながら、現場監督はくの字に折れ曲がって壁まで吹き飛んだ。
魔石は空しく床に転がり、彼自身は白目を剥いて完全に意識を刈り取られる。
「……不当な武力行使による監査妨害。実力(物理)による制圧を完了した」
エルザが冷たく見下ろし、軽く拳を振るう。
その圧倒的な強さと、自分を殺そうとした上司の無様な末路を目の当たりにし、カインはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ふむ。見事な制圧(タスク処理)です、エルザ殿。さて、この粗大ゴミをどう処分するかですが……」
アレンが気絶した現場監督を見下ろした、その時だった。
パチ、パチ、パチ、パチ……。
管理室の外、静まり返った通路から、ゆっくりとした拍手の音が響いてきた。
「素晴らしい。実に見事な手際だ、第七小隊のアレン小隊長殿。ヴィクトリア殿下から聞いていた通りの『有能さ』のようだな」
通路に並ぶ警備兵たちが、一斉に道を空ける。
そこから現れたのは、高級なシルクの服に身を包み、十指のすべてにギラギラと輝く魔石の指輪をはめた、恰幅の良い中年の男だった。
彼の全身からは、圧倒的なまでの「強欲さ」と「権力者特有の傲慢さ」が漂っている。
「……あなたが、この王立魔導工廠の最高責任者。工場長殿ですね」
アレンが目を細め、静かに問う。
「いかにも。私がこの工廠を束ねる工場長だ」
男は鷹揚に頷くと、足元で気絶している現場監督を一瞥し、鼻で笑った。
「私の工廠内で、勝手に部下の暗殺など企てるとは。……なんと見苦しく、無能な男だ。おい、警備兵。このゴミを地下牢へ放り込んでおけ。後で王都の憲兵に突き出してやる」
警備兵たちが素早く現場監督を引きずっていく。
完全なる『トカゲの尻尾切り』。自身の指示で動いていたはずの部下を、問題が露呈した瞬間にすべての責任を押し付けて切り捨てる、冷酷極まりない手口だった。
「さて、アレン小隊長。危険な現場監督は排除された。君たちのおかげで、工廠の安全は保たれたわけだ。……ヴィクトリア殿下からの『護衛および監査任務』は、これで完了ということで構わないね? たっぷりと特別手当を払ってやるから、さっさと王都へ帰りたまえ」
工場長は、まるで厄介払いを済ませたかのように、薄ら笑いを浮かべてアレンに告げた。
部下を見殺しにした罪を現場監督一人に被せ、工廠の『裏帳簿』や『地下の密輸兵器』という本丸に手を出される前に、アレンたちを追い出そうという算段だ。
しかし、アレンは微動だにせず、真っ向から工場長の視線を受け止めた。
「お気遣い痛み入りますが、お断りします。我々の監査業務は、まだ全体の十パーセント(導入部分)も完了していませんので」
「……何?」
工場長の顔から、笑みが消える。
「現場監督はあくまで、あなたの描いた腐敗したシステム(悪習)の中で動いていた末端の歯車に過ぎない。安全カバーの撤去、不当な減給、労災の隠蔽……そして、消えた資材と資金の行方。我々が監査すべきは、このブラック工廠を私物化している『あなた自身』です」
アレンの明確な宣戦布告。
それを聞いた工場長の顔が、屈辱と激しい怒りで真っ赤に染め上がった。
「小僧……ッ! 王女の犬風情が、調子に乗るなよ! ここは私の城だ! ここにいる何千という労働者は、すべて私の『所有物』だ! 私が彼らを生かし、私が彼らを殺す! お前たちのような外部の人間が、どう足掻こうとこの工廠の絶対的なルール(支配)は覆らん!」
工場長の怒号が管理室に響き渡る。
彼は背後の貴族たちとの強力なコネと、雇い入れた私兵たちを盾に、自分こそがこの工廠の神であると信じて疑っていなかった。
「……所有物、ですか」
アレンは冷たく呟くと、背後に立つカインを振り返った。
カインの瞳には、かつての怯えはもうない。アレンに救われ、そして真実を知った彼の瞳には、搾取し続ける会社に対する、静かで確かな『怒りの炎』が宿っていた。
アレンは再び工場長に向き直り、首元のスカーフをキュッと締め直した。
「経営者が労働者を『所有物』だと勘違いした時、組織は必ず崩壊する。……工場長殿。ならば、あなたの言うその『所有物』たちが、自らの意思ですべての稼働を停止した時、一体誰がこの工廠の利益を生み出すのか。……身をもって教えてあげましょう」
「なんだと……? 何を企んでいる、小僧!」
「カイン、準備はいいですね。我々の最大の反撃を立ち上げますよ」
「はい……っ! アレンさん!」
第七小隊と一人の若き技師は、激昂する工場長を残し、堂々とした足取りで管理室を後にした。
彼らが次に向かうのは、過酷な労働で疲弊しきった数千人の作業員たちが眠る、大部屋の宿舎。
王国の歴史上、いまだかつて誰も成し得なかった前代未聞の反逆。
『労働組合の結成』と『全工場一斉ストライキ』へのカウントダウンが、今、静かに、そして熱く始動した。




