【番外編3】バッカス最後の宴 〜捕らぬ狸の皮算用〜
王都のメインストリートに面した、貴族や富裕層御用達の高級レストラン『黄金の豚亭』。
その最上階にある豪華な貸し切りVIPルームには、昼間から極上のローストビーフの脂の香りと、年代物の高級ワインの芳醇な匂いが充満していた。
「くっくっく……あっはっはっは! 素晴らしい! 今日の酒は、私の人生で最高の一杯だ!」
第七小隊の小隊長バッカスは、はち切れんばかりに膨れ上がった腹を揺らしながら、黄金の装飾が施されたグラスを天高く掲げた。
大きなマホガニーのテーブルには、一人では到底食べきれないほどの豪華な料理が所狭しと並べられている。普段の彼であれば、これほどの贅沢をすればたちまち資金繰りがショートしてしまうが、今日の彼には何の憂いもなかった。
彼の足元には、黒い革袋がどっしりと置かれている。
中身は、帝国のスパイから受け取った『前金』である金貨五百枚の一部だ。裏社会の密売組織から突きつけられていた巨額の違約金は、今朝一番で耳を揃えて支払ってきた。
文字通り、肩の荷が下りた状態である。
「本当に、笑いが止まらん。帝国の犬どもめ、まんまと私の交渉術に乗せられおって。あの国境の森で、今頃は我が第七小隊の『出来損ない』どもが、恐怖に顔を歪めながら無様に狩られていることだろうよ」
バッカスは巨大な肉の塊をフォークで突き刺し、獣のように貪り食った。
口の周りを脂まみれにしながら、彼の脳裏には、自分が完璧に描き出した『シナリオ』が浮かんでいた。
生意気な平民上がりのアレン。
オドオドとしてばかりのティノ。
魔法オタクのクラウスに、サボり魔のレノ。
そして、剣の腕も立たない二十人の出来損ないの新人兵士たち。
彼らは皆、バッカスにとって組織の和を乱す不快な『バグ』であり、自分の経歴に泥を塗るだけの存在だった。
「部隊の余分な贅肉を削ぎ落とすことこそ、上に立つ者の最も重要なマネジメントだ。私はただ、あの出来損ないのゴミどもを、一箇所にまとめて処分場(帝国軍)へ送ってやったに過ぎない。王国軍の経費削減に大きく貢献した、立派な愛国行事というわけだ」
ワインを胃袋に流し込みながら、バッカスは己の冷酷な采配に酔いしれた。
もちろん、彼らの全滅をただの「犬死に」で終わらせるつもりはない。
数日後、彼らが帰還しないことを確認してから、バッカスは悲痛な顔を作って軍の上層部へと報告に行くのだ。
『我が第七小隊の勇敢なる兵士たちが、国境付近で帝国軍の卑劣な大規模奇襲を受け、全滅いたしました。私は彼らの無念を晴らすため、より強大な権限と新たな部隊を要求します!』と。
「完璧だ。あまりにも完璧すぎる。私は部下を失った悲劇の指揮官として同情を集め、同時に帝国軍の侵攻計画をいち早く察知した有能な将校として評価される。第七小隊のような掃き溜めの小隊長から、一気に第一線の大隊長、あるいは将軍の地位へと出世する道が開けるのだ!」
バッカスは歓喜のあまり立ち上がり、誰もいないVIPルームで一人、優雅なステップを踏んだ。
己の手を一切汚さず、邪魔な部下を排除し、巨額の裏金を手に入れ、さらには輝かしい出世まで約束されている。
「アレンよ、あの時は私を床に叩きつけてくれたな。だが、最後に笑うのは絶対的な『権力』と『知略』を持つこの私だ! 貴様らのような出来損ないは、底辺の泥を啜って無様に死んでいくのがお似合いなのだよ!」
バッカスは肉の脂とワインで汚れきった口元をナプキンで乱暴に拭い、満足げなため息をついた。
もはや彼の頭の中には、帝国軍の暗殺部隊が敗北する可能性など微塵も存在しない。相手は精鋭中の精鋭三十人、こちらは実戦経験すらないに等しい素人の集まり。万が一にも、アレンたちが生きて帰ってくることなどあり得ないのだから。
「おい、給仕! 勘定だ!」
バッカスが横柄な声で叫ぶと、身なりの良い給仕が恭しく部屋に入ってきた。
「バッカス様、本日は当店を貸し切りにしていただき、誠にありがとうございます。お代は金貨三枚となります」
「ふん、安いものだ。釣りは取っておけ」
バッカスは革袋から金貨を取り出し、テーブルの上に無造作に放り投げた。普段なら銀貨一枚の出費すら渋る彼が、まるで大貴族にでもなったかのような振る舞いである。
給仕が深く頭を下げるのを見下ろしながら、バッカスは上機嫌で VIPルームを後にした。
階段を降り、レストランの重厚な扉を開けると、初夏の眩しい陽光がバッカスを照らし出した。
王都のメインストリートは、多くの商人や市民たちが行き交い、平和で活気に満ちている。
「あぁ、なんと素晴らしい天気だ。私の輝かしい未来を祝福してくれているようではないか」
バッカスは大きく深呼吸をし、肥え太った胸を張った。
これから兵舎へ戻り、部下たちの「帰還の遅れ」を心配する上官の演技を始めなければならない。涙を流すための目薬も、すでに懐に用意してある。
「さあ、私の栄光の第一歩だ。愚かなアレンよ、地獄の底で私の出世をせいぜい羨むがいい!」
彼は高笑いを抑えきれぬまま、誰もいないはずの自らの小隊の兵舎へ向けて、意気揚々と王都の石畳を歩き始めた。
その数十分後。
己の勝利を疑わない哀れな悪徳上司が、死んだはずの出来損ないたちと白昼の王都で最悪の再会を果たすことなど、この時の彼は知る由もなかった。




