第26話 監査役の剣と、生け捕りにされた敵隊長
三十名の精鋭が、ただの一人も殺すことなく、そして誰一人として味方の犠牲を出すことなく無力化された。
『嘆きの森』の広場に静寂が戻る中、一人残された帝国軍第三偵察大隊の小隊長ゲイルは、膝から崩れ落ちていた。
「嘘だ……こんなこと、あってはならない。私の、私の部隊が、こんな素人どもに……っ」
ゲイルは震える両手で地面を掻きむしった。
彼の脳裏をよぎるのは、帝国軍というブラック企業における『ノルマ未達成』の絶対的なペナルティである。部下を全滅させ、手ぶらで帰還すれば、待っているのは過酷な拷問と処刑だけだ。もはや彼に逃げ道(退職の自由)は残されていなかった。
「おのれ……おのれぇぇっ!! こうなれば、せめて貴様らの指揮官だけでも道連れにしてやる!」
完全に発狂したゲイルが、血走った目をアレンに向けた。
彼は隠し持っていた最後の劇薬(興奮剤)を首筋に打ち込むと、全身の血管をどす黒く浮かび上がらせ、獣のような咆哮を上げてアレンへと一直線に突進してきた。
常人の目には追えないほどの異常なスピード。手には致死の猛毒が滴る短剣が握られている。
クラウスの魔法陣はすでにクールタイムに入っており、レノの立ち位置からはカバーが間に合わない。
だが、アレンは微動だにしなかった。彼は首元のスカーフを整え、極めて事務的なトーンで隣に立つ赤髪の女騎士へと視線を送った。
「エルザ殿。現場部門の初期対応(防衛)は完了しました。ここから先は、外部監査役であるあなたの職務です。――この不法侵入者に対する『最終的なコンプライアンス・チェック』をお願いできますか?」
そのパス(依頼)は、エルザの心に燻っていた騎士の誇りに、決定的な火を点けた。
「……ああ、任せておけ。お前たちに見せられた完璧な組織の姿……それに比べれば、私の剣など取るに足らないかもしれない。だが!」
エルザが涙を拭い、顔を上げた。
かつて死んだ魚のようだったその瞳には、第一騎士団の千人長として恐れられた『王国軍の至宝』の、燃えるような鋭い光が完全に戻っていた。
「正しく機能する組織においてならば、私の正義は、決して折れたりしないっ!」
エルザが腰の剣を抜き放つ。
銀色の軌跡が、薄暗い森の空気を一閃した。
「死ねえぇぇっ、ガキぃぃっ!!」
「遅い。そんな焦りに満ちた雑な踏み込みで、私に届くと思うな」
突進してくるゲイルの毒刃を、エルザは紙一重で躱す。そのまま流れるような体捌きでゲイルの懐に潜り込むと、剣の峰で手首の関節を正確に打ち据えた。
「ぐああっ!?」
ゲイルの手から短剣が弾き飛ばされる。
休む間もなく、エルザはゲイルの膝裏を蹴り抜き、体勢が崩れた彼の背中へ強烈な肘打ちを叩き込んだ。ドゴォッという鈍い音が響き、帝国軍の熟練の暗殺部隊長が、一切の抵抗もできずに地面へ縫い留められる。
「そこまでだ、帝国の犬。――第一騎士団エルザの名において、貴様を不法入国および部隊襲撃の現行犯で拘束する!」
圧倒的な剣技と、有無を言わせぬ制圧。
それは、腐敗した組織に潰されかけていた彼女が、アレンという『正しい管理者』を得たことで、自らの本来のパフォーマンスを120%発揮した瞬間だった。
「ひ、ひぃぃっ……! 離せ、私を殺せっ! どうせ帰っても処刑されるんだ!」
地面に押さえつけられながら喚くゲイルの懐から、エルザは一通の分厚い黒い封筒を抜き取った。
「……アレン、これを見ろ。王国軍の正規の軍用封筒だが、宛名がない。おまけに、中には帝国の金貨がぎっしり詰まっているぞ」
エルザが封筒を開けると、中から王国軍の機密情報が記された書簡と、前金として渡された金貨の山がこぼれ落ちた。書簡の末尾には、はっきりと『第七小隊長バッカス』の署名と印が押されている。
「なるほど、これが『金貨五百枚』の裏金ですか。バッカス小隊長の奴、部下を売った小銭で自身の粉飾決算を隠蔽しようとしたわけだ。経営者として、これほど愚かな手はありませんね」
アレンが書簡を読み上げると、縛り上げられたゲイルが自暴自棄になったように叫んだ。
「そうだ! お前らの小隊長が、金貨五百枚で貴様らを売り渡したんだ! 『二十人の無能な新人を送るから、好きに処理しろ』と私に情報を売ったんだよ! ……あんな豚の言うことを信じたばかりに、私の部隊はこんな目に……っ!」
ゲイルの自白は、この場にいる全員の耳に届いた。
背後で事後処理を行っていた二十人の新人兵士たちが、怒りに拳を握りしめる。自分たちをゴミのように売り払った悪徳上司への怒りと、同時に、そんな自分たちを決して見捨てず、人間として扱ってくれたアレンへの絶対的な忠誠が、彼らの中で確固たるものとなった。
「証拠と証言は、完全に揃いました」
アレンは書簡を折りたたみ、エルザへと手渡した。
「エルザ殿。この証拠を以て、あなたの権限でバッカス小隊長を『国家反逆罪』として正式に告発(監査)できますね?」
「ああ。この書簡と敵将の身柄があれば、上層部も揉み消すことは不可能だ。第一騎士団の特権を行使し、バッカスを軍法会議にかける」
エルザは力強く頷き、アレンに向かって、騎士としての最上級の敬礼を送った。
「……感謝する、アレン。お前のおかげで、私はもう一度、自分の正義を信じることができる。この剣は今後、お前の作る『正しい組織』のために振るわせてもらう」
「期待していますよ、エルザ殿。あなたの前衛としての突破力は、我が小隊の強力な資産になりますから」
アレンは優雅に微笑み返し、広場に集まった全員を見渡した。
「さて、本日の外部タスクはこれにてオールクリアです。これ以上の残業は会社規定に反します。速やかに王都へ帰還し、バッカス小隊長への『退職勧告』を叩きつけに行きましょう」
「「「はいっ、アレンさん!!」」」
二十人の新人たち、そしてティノ、クラウス、レノ、エルザの声が一つに重なる。
もはや誰も彼らを「掃き溜めの第七小隊」とは呼べないだろう。
圧倒的なロジックと信頼で結ばれた『最強のホワイト小隊』が、無能な悪徳上司に最後(物理)の引導を渡すため、意気揚々と王都への帰路についた。




