第25話 無傷の防衛戦と、完璧な後方支援
凄まじい轟音と共に、嘆きの森の木々が激しく揺れた。
クラウスが展開した『自動迎撃マクロ』は、一切の無駄がない芸術的な魔法陣であった。空中に躍り出た三十名の帝国暗殺部隊の、それぞれの重量、跳躍の軌道、そして着地点。それらすべてのデータが、レノの事前リサーチによって変数として組み込まれていたのだ。
彼らが地面に足をつこうとしたまさにその瞬間、足元から燃え盛る火柱と、麻痺を伴う雷光が正確に吹き上がった。
「ぎゃあああっ!?」
「な、なんだこれはっ! 体が、痺れて……っ!」
奇襲を仕掛けたはずの暗殺者たちが、次々と悲鳴を上げて地面に転がっていく。彼らの高度な隠密スキルも、着地点を完全に読まれた状態での面制圧魔法の前には、まったくの無力であった。
「馬鹿な……っ! 我々の奇襲が、完全に読まれていたというのか!」
部隊の最後尾で指揮を執っていたゲイルは、目の前で繰り広げられる一方的な蹂躙劇に愕然とした。
王国軍の掃き溜め部隊。二十人以上の足手まといを抱えた、無能な烏合の衆。そう聞いていたはずだった。だが、目の前に展開されているのは、息の詰まるような完璧な『防衛システム』である。
「た、たかが魔法の罠だ! 恐れるな! 後続は罠の切れ目を抜けて突っ込め! ここで成果を出さなければ、我々は帝国に処刑されるのだぞ!」
ゲイルの悲痛な、そして理不尽な怒号が響き渡る。
ノルマ未達成による処刑の恐怖に駆られた数名の暗殺者が、焼け焦げた仲間の体を踏み台にして、死に物狂いで魔法陣の隙間をすり抜けてきた。
「死ねえぇぇっ! 王国兵どもぉっ!」
彼らの手から、致死性の猛毒が塗られた短剣が何本も放たれる。
狙いは、陣地の中央にいる二十人の新人兵士たちだ。
「させません。物理演算による軌道予測、完了。防壁展開」
クラウスが銀縁眼鏡を指で押し上げながら、涼しい顔で杖を振るう。
突風が巻き起こり、飛来した短剣の大部分が空中で弾き落とされた。しかし、暗殺者たちの執念が勝ったのか、弾き飛ばされた短剣の一本が、陣地の最前列で盾を構えていた新人兵士の腕を浅く掠めた。
「あっ……!」
新人兵士が痛みに顔をしかめ、腕から僅かに血が滲む。
それを見たエルザは、血の気が引くのを感じた。
(いけない、あの短剣には猛毒が……! 早く解毒しなければ、数秒で全身が麻痺して死に至る!)
エルザが慌てて駆け寄ろうとした、その時である。
「負傷者一名発生! 第一班、解毒とポーションの投与を急いで!」
バックオフィスの現場監督であるティノの鋭い声が、広場に響き渡った。
その声に反応し、待機していた新人兵士たちが、まるで精密な機械の歯車のように一斉に動き出した。
「はいっ! 解毒薬投与します!」
「第二班、治癒ポーションを開栓済みです!」
「第三班、止血用の清潔な包帯を用意しました!」
新人兵士が負傷したその瞬間に、三人のサポートメンバーが彼を取り囲んだ。
傷口に解毒薬が振りかけられ、間髪入れずに最高品質の治癒ポーションが注がれる。そして、淀みない手つきで真新しい包帯が巻かれた。
負傷から処置完了まで、かかった時間はわずか『五秒』である。
「うおっ!? すごい、全然痛くないし、痺れも完全に消えたぞ!」
腕を掠められた新人兵士は、自分の腕をぐるぐると回し、驚きと喜びの声を上げた。
致死の猛毒による致命傷が、完璧なバックオフィス(サポート体制)によって、一瞬にして無かったこと(修正)にされたのだ。
「よぉーし、みんなナイス連携だよ! 絶対に前線のライン(防衛線)を崩さないで、安全第一で業務を続けるんだからね!」
「「「はいっ!!」」」
ティノの鼓舞に、新人兵士たちが力強く応える。
彼らは自分たちが守られているだけでなく、この完璧なシステムの一部として機能し、仲間の命を救ったという『明確な成果』に、かつてないほどの誇りとモチベーションを燃やしていた。
「な、なんだあいつらは……っ! 毒が通用しないだと!?」
決死の覚悟で短剣を放った暗殺者たちが、信じられない光景に動きを止める。
その一瞬の隙を、我が小隊の『隠密担当』が見逃すはずがなかった。
「業務中に立ち止まるなんて、随分と余裕だにゃ。でも、こっちの定時退社の邪魔はさせないにゃ」
樹上から音もなく舞い降りたレノが、暗殺者たちの死角を完璧に突き、手首に鋭い手刀を叩き込む。
鈍い音が響き、暗殺者たちは武器を手放して次々と地面に崩れ落ちた。
「ふにゃっ。これで残業の原因は排除完了だにゃ」
レノは長い尻尾を揺らしながら、口元についたマタタビ玉の粉をペロリと舐め取った。
圧倒的な情報収集。
広域を制圧する魔法(システム構築)。
被害を瞬時に無効化する新兵たち(バックオフィス)。
そして、全体を俯瞰し、最適解の指示を出し続けるアレン(マネジメント)。
すべてが完璧に噛み合った、あまりにも理不尽なまでのチームプレイ。
「……あり得ない」
剣を構えたまま立ち尽くしていたエルザは、震える声で呟いた。
戦場とは、常に死と隣り合わせの地獄であるはずだ。誰かが犠牲になり、泥と血にまみれ、それでも前に進まなければならない理不尽な場所。彼女はそう教えられ、その絶望に心を折られてきた。
だが、目の前の『ホワイト小隊』はどうだ。
二十人もの素人を抱えながら、誰一人として死の恐怖に怯えていない。誰も犠牲にならず、誰も見捨てられない。
正しい者が正当に評価され、それぞれの強みを最大限に活かし合う。かつて彼女が夢見た『誰も理不尽に傷つかない理想の騎士団』の姿が、この王国の掃き溜めで、一人の少年兵の手によって完全に体現されていた。
「エルザ殿、剣を下ろしてください。あなたに無理な肉体労働(特攻)を強いる必要は、どこにも無かったでしょう?」
アレンが振り返り、首元のスカーフを揺らしながら優雅に微笑んだ。
「優れた組織において、末端の兵士が命を懸けるような『悲壮な戦い』など、完全なるマネジメントの敗北です。僕の職場では、全員が健康なまま、定時で無事に帰宅することこそが最高の成果(KPI)ですから」
その言葉に、エルザの瞳からポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
軍の腐敗に絶望し、酒に溺れていた彼女の心に、アレンの作り上げた『ホワイトな組織』という名の強烈な光が、真っ直ぐに差し込んでいた。
気付けば、三十名いた帝国軍の精鋭部隊は、完全に無力化されて地面に転がっていた。
ただ一人、部隊を率いていた小隊長ゲイルを除いて。
「ば、馬鹿な……私の、私の精鋭部隊が……! こんな、こんな素人どもの集まりに……っ!」
腰を抜かし、後ずさりするゲイル。
アレンは懐中時計をしまい、静かに彼の方へと向き直った。
さあ、残るタスクはあと一つ。
悪徳上司バッカスを完全に失脚させるための『決定的な証拠』の回収である。




