第13話 1on1ミーティングと、間違った評価制度
僕はミアの食堂の厨房を少しだけ借りて、小袋に『あるアイテム』の調合を行っていた。
「アレン、お料理の練習? 珍しいわね。でも、その葉っぱは人間が食べてもあまり美味しくないと思うけど……」
不思議そうに首を傾げるミアに、僕は手元を動かしながら真顔で答える。
「いや、食事じゃないんだ。優秀だがモチベーションが底辺に落ちている窓際社員を、交渉のテーブルに着かせるための強力な『材料』を作っている」
「……相変わらず、アレンの言うことは難しくてよく分からないわ」
前世の知識と、この世界のハーブ学を組み合わせた特製品を懐に忍ばせ、僕は再び第七小隊の兵舎裏庭へと戻ってきた。
屋根の上では、相変わらず猫耳の少年兵レノが、尻尾の毛づくろいをしながら日向ぼっこを満喫している。
僕は下から声を張り上げるのではなく、建物の壁の僅かな窪みと出っ張りを利用して、一気に屋根へとよじ登った。身体強化の魔法など使えないが、重心の移動とてこの原理という物理法則を知っていれば、これくらいは造作もない。
「にゃっ!? アレン、なんでここまで登ってこれるにゃ。ここはオレの絶対不可侵のプライベートスペースにゃ!」
「就業時間中にプライベートスペースも何もないだろう。少しだけ、君と『1on1(ワンオンワン)ミーティング』をしたくてね」
「わんおんわん……? 犬の鳴き声か? 猫であるオレへの嫌がらせかにゃ」
警戒して毛を逆立てるレノの隣に、僕はどっこいしょと瓦の上に腰を下ろした。
「面談だよ。君の現状の待遇と、不満に対するヒアリングだ」
僕の言葉に、レノは怪訝そうな顔をした。
「君のその隠密行動のスキル、足音を完全に殺す歩法、そして気配を断つ技術。どれも一朝一夕で身につくものじゃない。本来なら、王都の諜報部隊でも即戦力になれるレベルだ。それなのに、なぜこの第七小隊という掃き溜めで、無能を演じているんだ?」
レノは少しだけ目を伏せ、不機嫌そうに長い尻尾を瓦の屋根にペシペシと叩きつけた。
「……評価されないからにゃ」
「評価?」
「バッカス小隊長も、あの暑苦しい先輩たちも、力任せに正面から剣を振り回すことしか頭にないにゃ。オレがどれだけ気配を消して敵の背後を取る訓練をしても、『そんなコソコソした戦い方は騎士の誇りに反する』って言って、点数をくれないんだにゃ。だから、頑張るのが馬鹿らしくなったにゃ」
なるほど。完全に理解した。
前世のブラック企業でもよくあった悲劇だ。技術職や裏方の人間に対して、営業職と同じ評価基準(KPI)を押し付ける無能なマネジメント層。
どれだけ緻密なシステムを構築し、エラーを未然に防いでも、「目に見える数字(売上)を作っていない」という理由だけで評価を下げられる。適切な評価軸を持たない組織では、優秀な人間ほどモチベーションを失い、やがて腐っていく。
「剣を力強く振るう者だけが評価され、見えないところで組織を支える技術が軽視される。君が労働意欲をなくすのも当然だ。君は怠けているんじゃない。組織の評価制度が間違っているから、努力するのをやめただけだ」
僕の言葉に、レノは驚いたように金色の瞳を丸くした。
自分のサボりを咎められると思っていたのに、逆に自分の不満を的確に言語化され、肯定されたのだから無理もない。
「君の隠密技術は、この小隊の監査、つまり不正調査にとって絶対に必要だ。僕の元で働いてくれれば、君の技術を正当に評価し、それに相応しいポジションを与える。どうだろうか」
僕は真摯に手を差し出した。
しかし、レノはしばらく僕の手を見つめた後、ふいっとそっぽを向いてしまった。
「……言葉だけなら何とでも言えるにゃ。バッカス小隊長だって、最初は『アットホームで風通しの良い小隊だ』とか調子のいいことを言ってたにゃ。オレはもう、言葉だけの上司は信用しないにゃ。オレを働かせたいなら、それ相応の『誠意』を見せるにゃ」
言葉や理想論だけでは動かない。これもまた、組織に失望したベテラン社員によくある反応だ。
だが、交渉において相手が『条件(誠意)』を提示してきたということは、すでにテーブルには着いているということでもある。
「なるほど。誠意、ね」
僕はニヤリと笑い、懐からミアの食堂で調合してきた小袋を取り出した。
「言葉が信用できないなら、この『最強のインセンティブ(特別報酬)』でどうだ?」
僕が袋の口を少しだけ開けると、中から独特の、しかし猫人族にとっては抗えない魅惑的な香りがふわりと漂い始めた。
「にゃっ……!? こ、この香りは……まさか……っ」
レノの尻尾が、これまでにないほどピンと天を突き刺した。




