第7話―26 まどか、転落する
「かはっ」背中全体を打ちつけた衝撃に円は息を吐き出した。「あいったー」と言いながら、四角に区切られた空を仰ぐ。
なんだこれ !? 円は手をついて身を起こした。手のひらに土の感触。周りを見ると壁に囲われている。自分がどこにいるのか一瞬理解できなかったが、すぐにいままで見ていた夢のことを思い出す。
庭に降りて、井戸があって、そっちに向かって歩いていたんだった。そしていまいるここは⋯⋯?背中の痛みが覚醒を促す。首もなんだか寝違えたように動かしにくい。ああ⋯⋯そうだ⋯⋯ここは⋯⋯
「なんじゃこりゃあぁぁぁ!」円の叫び声が土中から天に向かって放たれた。
その声が聞こえたわけではないが、その時省吾が目を覚ましていた。どんなに夜更かししても、彼の体内時計は正確に時を刻む。早朝の稽古から今日も一日が始まるのだ。
上体を起こして腕を突きあげ伸びをする。そこから他の者を起こさぬように静かに立ちあがると、自分の寝具を畳んで端に寄せた。その時、部屋を一望してひとり足りないことに気がついた。記憶と照合し、その不在が誰かすぐに判明する。円だ、円がいない。
省吾は周囲を確認する。引き戸が開いたままになっている。すぐにその跡を辿っていく。縁側の窓が開いていた。庭に出たのか、と省吾は靴も履かずにそのまま飛び降りた。
ようやくあたりの様子が見渡せるくらいに薄明るくなってきていた。向かうとしたらあそこだろう。省吾は自分の掘った穴のあるそこへ、駆け出そうとした。ちょうどその時だった。地面から2本の手が伸びて、穴の縁に手をかけた。
「あっ !?」思わず声が漏れる。動きを止めて見守っていると、ニョキッと頭が突き出した。そのまま勢いよく穴の外へと転がり出た。円であった。
穴の縁に手をかけて、思いっきり飛びついた。そのまま勢いを殺さずに身体を持ち上げる。なんとか上体を地面に引っ掛けて、転がるように全身を放り出す。運動オンチな円にしては奇跡的な身体操作だった。人間必死になればなんとかなるもんだ。
荒い息をつきながら身を起こすと、誰かが傍に駆け寄ってくる。すぐにそれが省吾だとわかった。円は「チッ」と舌打ちする。寝ぼけて穴に落ちただなんて、こんな体裁の悪いこと、できれば秘密にしておきたかった。円はこのあとそおっと寝床に戻ってシレッとしているつもりだったのだ。そんな目論見はあっさり外れてしまった。
「神谷さん、大丈夫ですか?」省吾が心配して声をかける。
円はバツが悪そうに「エヘへ」と笑う。「落っこちちゃった」
「怪我は?どこか痛いところはないですか?」落ちたと聞いて省吾の声がより真剣さを帯びた。
「ああ、うん、平気平気」円はそれをなんか申し訳ないなと思って受けた。「ちょっと背中と首が痛いけど、そのくらい」
省吾は円の背後に回って背中に手を当てた。よくわからないが円はそれでスッと気持ちが楽になった。痛みも和らいだ気がする。さすが空手家は肉体の痛みに詳しいんだな。
「打ち身ですかね?どうです?痛みはありますか?」言いながら少し力を入れて各部を押した。
「うん、大丈夫みたい」円は素直に答えた。「ありがとう。立ち上がるからちょっと手を貸して」
円は省吾に引き上げられるようにして立ち上がった。いまのところたいした痛みはなさそうだ。あらためて省吾の方を見て、もう一度「エヘへ」と笑う。
「なぜこんなことに?」省吾は落ち着いたら当然浮かんでくるであろう疑問を投げかけた。
「いや、その、なんていうか⋯⋯」円は言い淀む。これを言って信じてもらえるだろうか?それでもこうなったら仕方がない。正直に打ち明けることにした。「なんか私は夢見てるつもりだったんだけどね⋯⋯」
円はせめて自分の見たものを正確に伝えようと努力した。省吾は難しい顔をして聞いていたが、なんとか事態を飲み込めたようだ。
「それってかなり危ないところだったのでは?」
「そうかな」円はなぜか照れて頭を掻いた。
「私にはわからないですが、変なものに呼ばれたのでは?以前の電話ボックスの時や、神社でのりん⋯⋯コリンさんみたいに」
「あー、たしかにそうだよねー」円は同意する。「ヤバかったかあ」
「とりあえず戻って先輩たちに報告しましょう」省吾はそう言って円に先に行くよう促した。そうしてその後ろを警戒しながらついていく。
ふたりとも裸足なので、どうやって家に入るか躊躇った。ひとりなら汚れてても構わず上がるところだが⋯⋯チラッと省吾を窺う。もう考えるのも面倒くさいと思った円は、縁側から大きな声で「お~い、コリ〜ン」と呼びつけた。




