第7話―8 高原の弥幸先輩
帰ってきた弥幸はいそいそと作業服に着替えた。首筋まで覆う異様につばの広い帽子までかぶっている。
(おお、農家のオバチャンがかぶってるやつだ!)円はテレビのニュースかなにかで見たような格好になった弥幸を観察していた。まだまとわりついている凛子となにか話している。あんなクソだせえ弥幸でもいいのか。そんなことを思っていると弥幸が円の視線に気づき朗らかに笑った。
(そ、そんなバカな⋯⋯イケメンだと !? あんなの着ててもか!)円は己の目を疑った。全体的には農家のオバチャンなのに、露出しているそのかんばせが圧倒的な存在感を発揮している。最近はだいぶ慣れていたつもりだったが、やはり自分とは違う種類の存在であると感じられた。
「あっ、これね、農家の人が貸してくれたんだよ」弥幸は円の驚愕の意味を取り違えてそんな説明をする。「作業服と、あとこの帽子も。ほらっ」
帽子のつばを両手で持って、角度を調整するように動かしながら爽やかに微笑む弥幸。さながら高原の貴婦人のようだ。あの帽子が風に飛ばされたりするんだ⋯⋯いや違う違う、あれは農家のオバチャンのだ。顔にだまされるな。円は脳のバグの修正を試みる。
すべての準備を整えた弥幸は、ついていこうとする凛子を「焼けるから家の中をお願い」と振り切って、表に飛び出していった。取り残された凛子の寂しそうな背中を円は見つめていたが、彼女がクルッと振り返るのに合わせて目を逸らした。
「ほら、なにボサッとしてんのよ、さっさと掃除済ませるよ」凛子は偉そうにそんなことを言う。
「は?やってたわ。いままでサボってたのコリンちゃんでしょ」言うほどやってなかった円が反論した。
視線が衝突し、先ほどのフェイスオフの続きが始まるかと思われたが、凛子が折れた。「ああ、はいはい、やるやる」と言いながら、あいかわらず黙々と掃除を続ける省吾に状況を聞きにいった。
さすがの円も凛子にああ言った手前、サボるのはやめておこうと観念した。それでも適当に済ませられるよう人目につかない風呂場を掃除することにし、道具を持って赴いた。
水で流して、洗剤をシュシュっとやって、そのままなにもしないでボーッとする。しばらく待ってまた水で流す。CMのように指で浴槽をキュキュッっとこすって満足した。
円の掃除はそんな具合だったが、省吾と凛子の働きで家の中は片付いた。まあ合宿の準備としてはこんなもんだろう。円は家の中を点検して満足していた。
「キレイになったじゃん」円はそう省吾に話しかけた。
「はい」
「けっこう手際よかったよね。家でもよく掃除するの?」
「はい、子どもの時から道場の掃除をやっていますから」
そういえば祖父の空手道場がどうのと、この前聞いた気がする。円はあの時かなり聞き流す感じだったのだが、かろうじて話の始まりのそのあたりの部分は覚えていた。
「おじいちゃん厳しかったんだ?」
「はい、空手もですが、生活のそういう面でも厳しく指導されました」省吾は懐かしそうに目を細めながら言った。
外からはまだ弥幸が草刈り機のエンジン音とバリバリと草を刈る音がしている。円は省吾と連れ立って様子を見に向かった。




