第6話―8 ひとりかくれんぼ実況
草木も眠る丑三つ時をすでに過ぎ、もう少しで午前3時という頃。約束の時間が刻一刻と迫っていた。
まんじりともせず座して待っていた省吾は、常にはない緊張感を覚えていた。試合で強敵を前にした時とは違う、身体の芯が冷たくなるようなそれは、省吾に仮眠を取ることを許さなかった。
スマホが鳴る。円からのメッセージだ。
「もうすぐ始めるよ
起きてる?」
すぐさま返信すると、ビデオ通話の通知。省吾はボタンをタップする。円の顔がスマホの画面に現れた。頭にはいつも探索の時に見かけるヘッドライトが装着されている。自宅ということを思えば奇妙な姿だが、それだけ円のやる気を表しているようだった。
「あ、有明くんおはよう」円は合ってるような間違っているような、絶妙に悩ましい挨拶をした。
省吾はとっさに同じ挨拶を返したが、なんとなくしっくりこないような気がした。おそらくずっと起きていたからだろう。
「こっちはバッチリ準備できてるからね。時間がきたら始めるよ」そう言って円は赤い糸かなにかでグルグル巻きにした人形を見せた。「本日のお相手はこの子。コリンちゃんです」
部室で言っていたとおりの名前を付けたらしい。省吾はそれがどういう意味を持つのかいまいち理解していないが、実に悪趣味な話である。それでも円は自慢するようにその人形の由来を語り、クルクル回して省吾に見せつけた。その出来に相当満足しているようだ。
「あ、そうだ」円は一度画面から外れ、またすぐに戻ってきた。手にはペンが握られている。「名前をね、ちゃんと書いとかないと」
円はのっぺらぼうの人形の頭部に縦に "コリン" と記入し、それを省吾に向かって誇示した。クククククという意地悪な笑い声が聞こえる。
「この中にはお米と私の爪、さらに奮発して髪の毛も入っています。これはなにか起こりそうな気配がビンビンきてるね」
「大丈夫ですか?」省吾は不安を覚えながら尋ねる。
「平気平気、いいもの撮るよぉ。あ、3時なったね。それじゃあ始めます」円はそう言って立ち上がり、手に持った人形をもう一度カメラにアピールする。そして――
「最初の鬼はまどかだから」と3度唱えた。
カメラをアウトに切り替えて室内を移動していく。階段を下りて1階へ。暗い廊下を進んで風呂場の電気を点けて中に入る。浴室まで進むと少しだけ水の張ってある浴槽を映した。そこに人形を沈める。
電気を消してからリビングへ行き、テレビの電源をオンにする。なにやら通販番組が放送されている。女性の大げさな感嘆の声が聞こえてきた。
「あっ、そうだ、塩水持ってかなくちゃ」円は呟いてキッチンに立ち寄る。すでに用意していたのだろう、コップ一杯の水を手に取り、また階段を上って自室へ。
インカメラに戻し、部屋の電気も消す。もう真っ暗でどうなっているのか省吾にはわからない。円はこの時目をつぶって頭の中で10数えていた。
「よし、それじゃあ隠れてる人形を探しにいくからね」円の声がする。
再びカメラが切り替えられたが、やはり暗くてよく見えない。途中テレビの明かりでリビングから浴室へまっすぐ向かっているのがわかった。浴室へ到着すると頭のライトが点けられる。浴槽に沈んだ人形が映し出された。
「コリン見つけたぁ」円は気分がノっているのだろう、情感込めてそう言い、人形を手に取った。そしていったんスマホを置く。声で解説が入った。「人形をナイフで刺しま〜す」
少し手こずったのか、ウンウン言う声がし、それから再びスマホが持ちあげられた。果物ナイフが刺さった人形が浴室のタイルの上に転がっている。省吾はその哀れな姿に背筋がゾクッとするのを感じた。
「次はコリンが鬼ね」円はそう言うと、ライトを消し、今度は映像も気にせずドタドタと自室へ逃げ帰った。
少しの間バタバタと音だけが聞こえてきたが、ようやく落ち着いたようで静寂に戻った。省吾はその間もなにも見えない画面を凝視していた。すると下からライトの当たったおかしな顔の円が現れた。
「いま自室のクローゼットの中です」声をひそめて話しだした。「あっ、イヤホンにしたから有明くんは普通にしゃべっていいよ」言いながら片耳のワイヤレスイヤホンを見せる。
「大丈夫ですか?」省吾は先ほどと同じことを尋ねた。
「まだ始まったばっかだからねえ」円は気楽な感じに答える。「とりあえずさ、暇だからなんか話してようよ。私はあんまり声出せないから有明くん話して。なんでもいいから」
「えっ、私がですか?」省吾は困惑する。自分に話すことなどあっただろうか?
「なんでもいいって。空手の話でいいよ。だいたいなんで空手なの?いつから?」
省吾は円の質問にポツポツと答えていった。空手を教えてくれた祖父のこと。どういう流れでその教えを乞うこととなったのか。そしてどういう思いでいままで稽古を続けてきたか。訥弁だが、誠実に語っていった。円はそれに小さく相づちを打ちながら付き合った。その途中――
「あ、ちょっと待って」そう言って円は耳を澄ませるような仕草をした。「なんか下のテレビの音が聞こえなくなった」
警戒しているのか点けていたライトを消し、画面が真っ暗になる。省吾の胸はドキドキと高鳴っていた。運動中以外でこれほど鼓動が速くなったことがこれまであっただろうか?
省吾はいまこの時、ようやく円が提案した "実況" の問題点を自覚した。見守っていたからとてどうなるというのか?それでなにかが起こったとしても、自分は遠く離れているではないか。円に事前に聞いていた彼女の実家の場所まで、全力で急いだとしても1時間以上はかかるだろう。
「うん、大丈夫みたいだね」円の声が聞こえる。そうして再びライトで照らされた円が映った。「たぶん通販番組が終わったんだろうね。いまなにやってんだろ?」
円の呑気な声を聞いても省吾の焦燥は止まない。むしろ疑念ばかりが膨らんでくる。円はああ言っているが、見てきたわけではないのだ。こうしている間にもあの顔のない人形が刃物を持って⋯⋯
「神谷さん、ライトは消しときましょう。光が漏れるかもしれない」省吾は慌てて提案する。
「ああ、うん、いいけど⋯⋯」円は省吾がなぜそうも焦っているのか理解できなかったが、言うとおり明かりを消した。「まあいいや、じゃあさっきの続き⋯⋯わっ」
円の驚きの声に省吾の心臓も跳ね上がった。「神谷さん、神谷さん」と呼びかける。
「うおぉ、ビビったぁ」円はそう言ってフゥと息を吐いた。「家鳴りだよ、家鳴り。うちもけっこう古いからね。ビシッってデカい音したよ」
もう省吾は居ても立ってもいられない気分だった。かといって実況から目を離すこともできない。真っ暗で見えないが、そこからでも円の一挙手一投足を察しようと、目を皿にして画面を睨みつけていた。
「あ~あ」と円の声。欠伸だろうか?省吾にはいまいち判別がつかなかった。「じゃあ、さっきの話の続きどうぞ〜」
円はそう促すが、省吾はもはやそれどころではなかった。しかしそれでも円に応えるために思いつくままに空手の話を続けた。マニアックなネタだったが、自分の得意な分野について話すうちに気持ちも少し落ち着いてきた。そうして省吾的に話が盛り上がってきたところで異変に気がついた。
さっきから円の応答が完全に途絶えていた。スマホからはなんの音も聞こえてこない。省吾は応答を求めて呼びかける。
「神谷さん、神谷さん、大丈夫ですか!神谷さん、応えてください!」
省吾がスマホに懸命に呼びかけ続けると、突然ビデオ通話が切断された。こちらから操作してみるが反応はなかった。
もう限界だった。省吾はスマホをポケットに突っ込むと表に飛び出す。道に出した愛用のロードバイクに跨ると力いっぱいペダルを踏みしめた。




