第5話―21 まどか、ぶちまける
「神谷さん、大丈夫ですか?」
その声に振り向くと、そこには円の右肩に手をかけた省吾が立っていた。円はその顔を見て、自分の目がジワッと潤んでくるのを感じた。この空間でもくっきり白い省吾の空手着がなんとも頼もしかった。
「よかった、有明くん。早くこいつをなんとかして」円はいきなり無茶な要求を突きつける。
もちろん省吾は困惑した表情を浮かべた。いまの状況をまったく把握していなかった。
「ほら、コリンが行っちゃうから。早くこれを止めてっ!」円は焦りからか適切な指示が出せないでいる。
とりあえず止めるということは理解したのか、省吾は凛子の正面に回ってその両肩を抑えつけた。それで一応の安定は得たが、円はこの状態が続くとは思わなかった。この怪異はそんな甘いものじゃないだろう。早く次の行動に移らなければ。
「有明くん」円は真剣な声で語りかける。「このままじゃコリン持ってかれちゃうよ。その前にさ、こいつぶっ飛ばしてよ。たぶんコリンの中にいるからさ、コリンごといっちゃいなよ」
「いや、しかし、女性をぶっ飛ばすというのは⋯⋯」省吾は煮え切らない返事をした。
「大丈夫、大丈夫だよ、有明くん。少しぐらい骨とか折れたって、ここから戻れなくなるよりはずっといいよ」
「ですが⋯⋯私にそんな力があるとは⋯⋯」
この期に及んでまだ覚悟が決まらない省吾に円はブチ切れた。実際頭の中でブチッと鳴った気がした。
「聞けぇ!」円が叫ぶ。「コリンがもしいなくなったら、お前どうなるかわかってんのか!コリンだぞ、大学で人気者の、キラキラしてるギャルだぞっ!行方不明とかなって、警察とか動いて、調べられるのは私たちだっ!そうなったらどうなる、あいつらのせいでコリンがいなくなったって、噂の的だろうがっ!いたたまれないぞっ!そんな状況、私が耐えられるわけないだろっ!」
円は恥ずかしげもなく本音をぶちまけた。凛子のことを守らなければと、そう決意していた真意はこの通り、実に利己的な考えからだった。しかし、その言葉が真実であったが故に、本気の迫力を帯びた。円はさらに続ける。
「もし戻ってこれてもなあ、こいつの頭が少しでもおかしくなってたら同じだからなっ!あいつらのせいでコリンがおかしくなったって言われるぞっ!もう学校中に蔑まれるぞっ!私たちはなあ、こいつを五体満足、なにも変わらないまま連れて戻るしかないんだよっ!」
心からの叫びがついに省吾の心を動かした。省吾はフゥと息をつくと、凛子の肩から手を離し、大きく後ろに飛び退った。そこで真っすぐに立ち、両手を顔の前で交差させる。そしてその手を下ろしながらコォォォという音を立てて息を吐いた。
省吾の支えを失って、凛子はまたも前進を再開する。円はそれを抑えようと、力の限り踏ん張った。見ると省吾は腰を落として構えているが、その身体が小刻みに震えていた。やはり最後の踏ん切りがつかないようだ。
円は全身全霊、あらゆる想いを込めて叫んだ。
「やれ―っ!しょうごーっ!」
その声を合図に省吾は前に出る。こちらも全身全霊、己のすべてをその右の拳に乗せて、まっすぐ突いた。強烈な正拳突きが凛子の腹部に吸い込まれるように突き刺さった。
「ウゴゲェ」といううめき声とともに、黄色い液体が凛子の口からほとばしる。胃液かと思われたが、それはなかなか止まらなかった。長い時間をかけて凛子がすべてを吐き終えた時、円は一瞬意識が途切れた。
気がつくと円は凛子の肩に手をかけていた。そしてその円の肩には省吾の手が。首を左右に振ると神社の周りに生い茂った木々の緑が目に入った。
(戻った?)円が思った時、声が聞こえてきた。
「ああ、よかった」カメラを構えた弥幸が安堵の声をあげる。「ぜんぜん動かなくなるんだもんなあ。どうなるかと思ったよ」
省吾がそっと円の肩から手を離した。よかった、省吾も戻ってきているようだ。ならコリンは?と円は凛子の右肩を強く引っ張った。
目をつぶっている凛子は座ったまま眠っているかのようだった。円はしつこく肩を揺する。
「おいっ、お〜い、コリ〜ン、起きろ〜」
「う⋯⋯ううん⋯⋯」声が漏れた。円はそれを聞いてさらに強く揺さぶった。凛子の首が激しく前後左右に行き来する。
「ちょ、ちょっとなに?痛い、痛いって」凛子がはっきりと声を出し、すぐ目の前の円のことを睨みつけた。
円はドスンと地面に腰を落とすと、両手を後ろについて空を仰いだ。そしてハァ〜と大きく息を吐きだす。よかった、どうにか戻ってこれた。そう思うと固く強張っていた全身から力がスウッと抜けていった。




