第5話―17 夜中のまどか、朝の省吾
ここでようやく冒頭に戻る。
夜中に目を覚ました円は神社のある方角に謎の発光体を見た。なにかある、と気持ちを昂らせた彼女はすぐさま弥幸たちを起こそうとした。しかし⋯⋯
こんな時に人見知りの性が頭をもたげてきたのだ。起こすって、どうやってだ?円は立ち尽くした。寝ている男たちのテントに突入してか?いや、そんなことしてもいいのか?ダメだろ、そんな、はしたない。
なにをいまさらと思われるかもしれない。オボコいこと言ってんじゃねえよと。まあもちろんオボコでもあるのだが、それよりもなによりも円はこの事態に混乱していたのだ。実はこれは彼女にとって初めての、独りでの遭遇だった。
ぐちゃぐちゃに乱れた思考で、円は誰かを呼ぶことを諦め、再び懐中電灯をオンにした。そして神社の入り口、あの古びた鳥居の前までやってきた。そこから続く階段に明かりを向けて見上げる。オンオフを繰り返し確認するが、さっきの光のようなものは見つからなかった。
こうなったらこの先へ上っていくほかない、と円は決意した。足元を確認し、その最初の一歩を踏み出そうとする。しかし、自分の意に反して身体が言うことを聞かなかった。冷たい汗が背筋を伝い、抑えようのない震えが奥歯を鳴らした。
なんということだ。自分はこんなにも怖がりだったのかと失望する思いだった。これまで心霊スポットで幾度も奇妙な事態に遭遇してきたというのに、今回あんなショボい発光体程度のものに身を竦ませている。円は自分が平気でいられたのは、誰かがいっしょにいてくれたからだと知った。省吾がいてくれたから、と。
省吾に出会う前、円はなんとかソロで探索できないかと、あれこれ準備を進めていたが、あれもムダに終わるところだったんだな、と思った。独りで、例えばあの廃ホテルへ向かったとしても、自分はその敷地内にすら立ち入ることができなかったのではないか。
あの頃、怖いのはヤンキー、浮浪者、反社会的組織くらいだと考えていたが、とんでもない。怪異の類だってちゃんと怖かったのだ。それをいまヒシヒシと実感していた。
ハァと大きな息をついてもう一度階段を見上げる。やはり光のようなものは見えなかった。円は身を翻し、トボトボと自分のテントまで戻ってきた。中を覗くと凛子の静かな寝息が聞こえてきた。円は彼女を起こさないように、静かに自分の寝袋に潜り込んだ。
翌朝、もう日が昇ってからだいぶ経った頃に円は目を覚ました。時間を確認すると7時半を回っていた。上半身を起こして伸びをする。背中がポキポキ鳴った。隣を見るとそこに凛子の姿はない。すでに起きて、どこかで身支度でもしているのだろう。なんといってもあのメイクだ。円とは朝の忙しさが違うはず。
まだ頭をぼんやりとさせたまま、円はテントから這い出た。外では弥幸が朝食の準備をしている。彼はすぐに円に気がついて声をかけた。
「おはよう、よく眠れた?」弥幸は円の頷きを見てニコッと笑う。朝イチで拝むには眩しすぎる笑顔だった。「そう、よかった。車のところにお水用意してあるから顔でも洗ってきなよ」
まったく、その用意周到さに呆れるほどだったが、円は「あざす」と礼を言い、車の方に歩いていった。するとその車を挟んで反対側の校庭の端に、また空手着姿になった省吾の背中が見えた。
省吾はゆっくりと、静かに動いていた。まず礼をして、右へ横移動する。そこから転じて左へ。両手で左の空間を突くようにした後、再び右へ戻り、右の空間をまた同じように突く。最後に姿勢を正して礼をする。その動きを何回も繰り返していた。
以前言っていた通り、たしかにオリンピックのやつとは違うな、と円は思った。あれはもっとダイナミックな感じだった。見るものを楽しませようという、そんな意思が感じられた。いま省吾がやっているのはそういうものとは違う。自分のためだけの鍛錬であるように見えた。
しばらく眺めていると視線を感じたのか、ちょうどそこで終わりだったのかはわからないが、省吾が振り向いた。円を見て手を挙げ、駆け寄ってきた。
「おはよう」円は声をかける。「いまのが型ってやつ?」
「おはようございます」省吾は円が空手のことを聞いたのが嬉しかったのか、微笑みながら答えた。「ナイファンチです。沖縄の空手で重視されている型です」
「なんか地味な動きだったね」円はイジワルに言ってみる。
「はい、ですが重要な動きです。左右に動きながら重心の使い方を学びます。かつて最強の空手家と言われた本部朝基はこの型を⋯⋯」
以前も聞いたような気がする名前が出てきたが、円は長くなりそうなその話を遮って何気なく聞いた。
「コリンちゃんが見当たらないね。どこ行ったんだろ」
「まだ寝てるんじゃないんですか?」
「私が起きた時はもういなかったよ。トイレかな?」
「私は5時過ぎくらいからここで稽古していましたけど気づかなかったです」
円は省吾の答えになにか不穏なものを覚えた。弥幸の方を振り返る。やはりそこに凛子の姿はなかった。彼女がいるのなら弥幸を手伝わないはずがない。もしかしたらなにか⋯⋯
円は顔を洗うのも忘れて取って返した。省吾も事態を飲み込めないままその後に続いた。
「先輩、コリンちゃん見ましたか?」息せき切って円は尋ねた。
「えっ⋯⋯まだ寝てるんじゃないの?」弥幸は円の様子に困惑する。
「いないんです」円は首を振る。「先輩は何時頃から起きてたんですか?」
「たしか6時少し前だったけど⋯⋯」
「5時起きの有明くんも知らないって言ってます。そんな朝早くからあの娘がどこかへ行くなんてありえません」
「そんな⋯⋯」弥幸は円の言葉を確認するように、省吾を見た。省吾は頷きで返す。
「探しましょう。なにかあったのかもしれない」
円は自分自身の言葉に急かされるように、手早く出かける準備を開始した。




