第18話―10 人形がどうした?
なにおう!人形だったらそこに⋯⋯円は視線を移した。そこにはあの古めかしい西洋人形が座っていて、
静かにコチラを見てい⋯⋯いないっ !?
長机の上の英依コレクションから、さっきまではたしかにそこにあった西洋人形が消失していた。ポッカリとスペースができている。そこの雑多な物品のなかで一番存在感を発揮していたものだっただけに、その不在はよく目についた。省吾がすぐに気づいたのも当然である。もうすでに皆の記憶から消えつつあるカッパの干物とは違うのだ。
それを確認した円の脳裏にあるヴィジョンがよぎった。暗い部屋で独り、正座する自分。その前には椅子に腰かけた英依先輩。手にはガラス製の大きな灰皿が握られている⋯⋯
終わった⋯⋯円は絶望した。自分が店番のときにこんなことになるなんて。先輩の大切なコレクションである。それが欠けたとなれば、きっとあの人は烈火のごとく怒り狂うだろう。逃げるか?いや、逃げ切れるとは思えない。どこに隠れようとも、あの不思議な能力で見透かされるだろう。下手に動けば傷が深くなるだけだ。
「⋯⋯有明くん、あのさ、灰皿でボテクリ回されても耐えられるようになる空手の技ってない?」
「えっ?どうしたんですか?」省吾は急におかしなことを言い出した円を心配そうに見つめた。
「いや、ほら、あの人形がなくなったとか英依先輩にバレたら、ただでは済まないでしょ?制裁が待ってるだろうからさ、なんとかそこを乗り切れる方法をね⋯⋯」
「さすがにそんな⋯⋯」
「あっそうか、灰皿程度で済むとは限らないんだよね。なんだろ?やっぱあれかなあ。ビール瓶とか、カラオケの選曲するやつでってことも⋯⋯」
恐怖心から円のイメージの英依は相撲取りのように肥大化していた。これからやってくるであろう "かわいがり" に怯え、身体の震えが止まらない。円はそれを抑えるように、両手で自分自身を抱きしめた。
「いや、あんた、はなえ先輩のことなんだと思ってんのよ」凛子が呆れたように割り込む。そうだそうだ、言ってやれ。「先輩がそんなことするわけないでしょ。あんなに優しい人なのに」
「お前には、だろうがっ!」円は恐怖心を怒りに転化し凛子にぶつけた。「誰だって飼ってる猫はかわいがるんだよ!でもゴキブリ見つけたら潰すだろっ!同じ家にいる生き物なのに。そういうことだよ、わかったかっ!」
円よ、それだとお前、自認ゴキブリってことになるが、それでいいのか?しかし凛子はこの異様な迫力に気圧されて口をつぐんだ。
「と、とりあえず人形を探してみましょう」省吾が困惑しながらも提案する。「まだそんなに時間は経っていないでしょうし、案外近くに転がっているかもしれませんよ?」
「そうか、そうだよね!」やっと円の表情に希望の色が見えた。「あのサイズだもんね。歩幅も小さいだろうし、そう遠くには行ってないよね」
円がそう言うと凛子は不思議そうに小首を傾げた。弥幸もなぜか、その美しい顔を微妙に曇らせている。円にはその意味するところがわからない。なんでこんな空気なんだろう?
「あんたもしかして、あの人形が自分で動いてどこかに行ったって思ってる?」凛子が尋ねる。
ん?どういうこと?円は凛子の様子を窺った。それ以外に人形がいなくなる方法なんてないだろ?なにか自分は見落としているのか?あっ、そうか、英依先輩の結界のこと言ってるのかな?
「ああ、そうだよね。あそこは英依先輩の結界が張ってあるはずだもんね。たしかに、あそこにいる間は動かないって先輩言ってたわ。あっ、でも、展示している間になにかあったのかも。客がお札はがしたとか⋯⋯」
「お札なんて最初から貼ってなかったでしょ。いやそうじゃなくてさ。人形って普通は動かないんだよ?まどかちゃん大丈夫?そこんとこわかってる?」
「わかってるが」なにを言いたいんだコイツは、と円は凛子をアホを見るような目で見た。「でもアレは英依先輩のコレクションの人形だからな。生きてるんだから歩くだろ?チャッキー知らねえのか?」
「だからぁ、人形がなくなってたら、誰かが持っていったと思うのが普通でしょ〜?なんで最初からそんな変な方向に考えるのよ?」
驚きのあまり円は目を大きく見張った。あれ?そうだっけ?弥幸の方を確認すると、凛子の意見を肯定するように頷いている。
「⋯⋯持ってったの?あの人形を?なんで?えっ、誰がそんなことすんの?」
「いや知らないけど⋯⋯」凛子は物分かりの悪いアホを憐れむように眺めた。
「とりあえずこれは窃盗事件の可能性もあるからさ、自治会とか実行委員会にも連絡したほうがいいかもね」と弥幸はスマホを取り出す。
そ、そうか、そうだよな、あんなもん勝手に歩いていくわけないよな。ようやく円は理解した。泥棒かなんかがいて、ソイツが持ってっちゃったんだ。なんてヤツだ、許せねえ!
そうだ後のことは他の人に任せてしまえばそれで⋯⋯そう信じかけたとき、円の頭脳が働きかける。まさか "まどポンター" がこんなところで活躍するなんて!
(お前が居眠りなんかしなかったら、盗まれることはなかったんじゃね?)
声が聞こえた。自分自身に似た声が。
「やっぱり私のせいじゃねえかーーーッ!アアアアアアアア!」室内に円の叫びがこだました。




