第18話―4 ぶらぶら文化祭
「食べ物はもうしばらくはいらないわね」3号館を出ると、英依はキョロキョロと周囲を確認した。「円は行きたいとことかないの?」
イキタイトコ⋯⋯?まだこの急展開に混乱している円はうまく考えられない。そもそもこの大学でオカ研以外にはいまだ馴染んでいない彼女だ。よそのサークルに知り合いなどいるはずもなく、したがって食品関係を除けば興味のある出し物もなかった。行きたいところを強いて挙げるのであれば⋯⋯自宅、だろうか。
もちろん英依を相手にそんなことは言えないので、「いや〜なにやってんのか知らないんスよねえ」と曖昧に笑う。それを聞いた英依はウ~ンと小首を傾げて考えていた。
「じゃあとりあえず省吾を探しましょうか。竜一が連れてったんでしょう?なら空手部関係の出し物かしらね」そう言って歩き出す。
はたしてこの人が各サークルの出し物の場所を把握しているのか、まったく不明であるが、迷う素振りも見せずにズンズン先へ進んでいく。円はその後ろをへーコラついていった。
こんな人混みのなかでは英依はものすごく頼もしい。普通に歩くだけで自然と道ができていく。こんなこと円は体験したことがなかった。英依のその威圧的なオーラは道行く人々にも有効なようだ。そりゃそうだ、獅子の前に立ちたい者などいないだろう。誰も彼女の行く手を阻まない。後ろをゆく円も、自分が強者になったようで気分がよかった。
オラオラオラ英依さまのお通りだぞ!控えい、控えおろう!そんな具合に、この大学に入学して初めて、堂々とキャンパスを練り歩く。コンビニでみそ汁ひとつ買うのに苦心していたあの娘が、こんなに立派になって⋯⋯いや、なってねえな。ただの英依の威を借る円である。
ともかくそうやって文化祭の中心地までやってきた。普段は円があまり近寄らない、大学のメインストリートというか、多くの学生が行き交う中央広場である。設置されたステージではなにかトークイベントのようなものが行われているようだ。たくさんの観客が詰めかけている。
そういう一般の人が盛りあがっているようなものには冷笑的に接しがちな円である。当然こんなところへは近づきたくもない。まさか省吾もここにはいないだろうし、さっさと次へ向かいたいところだ。そう思っていると、そのステージの方角から呼びかけられた。
「お〜い、英依さ〜ん、神谷さ〜ん」明るく大きな、男性の声。
円が学内で誰かにそんなふうに声をかけられることはめったにない。というか人生全体を振り返ってみても数えるほどだ。それで必要以上にオドオドしながら周囲を見渡した。ハッピ姿の男がブンブン手を振りながら近づいてくる。
なんだよ、お前かよ⋯⋯円はその顔を見て、ひとまず安心した。やってきたのは弥幸の友人、子安であった。弥幸の派手なお友だちグループの一員で、入学時に円をオカ研から遠ざける原因になったひとりでもある。しかし秋口頃に彼が怪奇現象に見舞われて、それを円らが解決したという出来事があった。それ以来、円は子安にだけはそっち方面の専門家扱いされている。
本来は円が苦手とする陽の者。チャラくて、パリピでウェーイな雰囲気の男なのだが、その事件のときに情けない姿を目にしているので、かなり侮っている。一応先輩なのに、まどか内のヒエラルキーでは下方に位置していた。まあ彼のおかげでその後いくつかの怪事件に遭遇できたのではあるが。
「ウェーイ、おつかれー」イメージ通りの軽薄な挨拶。しかしコイツ、英依先輩にもそのノリで接することができるのか、と円は少し感心した。
「おつかれ。慎二はなにやってるの?」英依も気さくに尋ねる。そこそこ面識はあるようだ。なお、子安の下の名前は初公開であるが、どうせたいした役割はないので覚える必要はない。
「俺はほら」と言ってクルッと回る。ハッピの背中には文化祭の実行委員会の名とマークが描かれていた。「実行委員だからいろいろお仕事してんのよ」
「ああ、それは本当におつかれね」英依はにこやかに笑っている。
「ふたりはこれからどこ行くの?たしかオカ研は展示だけだったよね?」
「ああそうだ、あなた竜一がどこにいるか知らない?探してるんだけど」
「村上?村上ならたぶん空手部だろうから⋯⋯駐車場、じゃないかなあ。来客用の方。電話してみようか?」子安はポケットからスマホを取り出す。
「ああ、いいのいいの、お祭りの見物がてら行ってみるから。それじゃあまたね」英依はそう言って手を振ると歩き出した。円も軽く会釈してあとに続く。
「そういえば最初に電話してみたらよかったですね」円は後ろから声をかけた。
「え?だって竜一の連絡先知らないもの」英依は振り向いて応える。
「いや、有明くんの方は知ってるじゃないですか」円が言うと、「そういえばそうね」と英依はクスクス笑った。しかしそうか、あの脳筋は英依先輩の連絡先すら入手していないのか。憐れな男よ。円は嘲る。こういう積み重ねがまどか内ヒエラルキーの変動に影響しているのだ。
そうしていくうちに目的の駐車場が見えてきた。その中央にはいつもはない構造物が設置されている。あれは⋯⋯テレビなどではまあまあ見慣れているが、円は現物を見るのは初めてだった。
それは白いマットにロープを張った四角いリングであった。




