第17話―17 解説其の九
また部屋までついてきた座敷わらしとカッパも、弥幸の朝食のご相伴にあずかった。客のあとをついてって食事をすることはコイツラにとってわりと日常だが、昨夜の夕食に引き続き、こんなに豪勢なのは見たことがなかった。なんでこんなことになっているのかわからないけど、ままええわい、ワシラもお手伝いさせてもらいましょ。そんな心境である。
途中から欠伸をしながらやってきたチーコも加わり、怪異たちはこのイケメンとの最後のひと時を過ごした。ちなみにノボルと文士はまだ寝ていた。さすがの弥幸のお顔も男性陣への訴求力は弱いらしい。
朝の時間をのんびり過ごす弥幸を眺めながら、その美しいイケメンのいる風景を脳裏に刻みつける怪異たち。チーコは脳ないけど。クラッシュの瞬間に脳は現場に置いてきた。生前からノータリンガールではあったが、いまはさらに身軽なものである。いけねえ、身もなかった!ところで妖怪二匹にはあるんですかね?そういう身体器官。ちょっとわかんねえなあ。
出発の準備も見守って、みんないっしょにフロントへ降りていく。たった一日のことではあるが、もうこのイケメンは離れがたい存在になっていた。座敷わらしもカッパもチーコも、どうにも寂しい気持ちが胸に迫ってくる。チーコには (以下略) 。
目の前で行われている女将サチコさんとのやり取りも、もう笑えなかった。その気持ちがとてもよくわかるのだ。立場からかなりはみ出してしまった表情を弥幸に向けていたが、それを見守る怪異たちだって似たような顔になっている。
玄関まで見送りに出た女将さんと怪異三匹。すると板長が駆けてきた。客に挨拶をするつもりのようだ。珍しい。人前に出るのが苦手な人なのに。いつもなら向こうから会いたいと言われない限りは、絶対に表には出てこない。
「あら?アキラちゃん、どうしたのかしら」カッパは不思議そうな顔をする。コイツは板長のことをかなり気に入っている。やはり角刈りと頑固一徹な男らしさに惹かれるらしい。六尺ふんどしを着用させたい。そしてその彼の背中に抱きつきたい。日頃からそんな妄想に浸っている。
見ていると板長アキラさん、ただの見送りではなく、この旅館を懸命にアピールしている。みんなポカ~ンであった。ここにいる全員がその真意を量りかねていた。まさか彼が、弥幸のことをミシュラン調査員と思っているだなんて、そんなことに考えが及ぶものなどいようはずがない。
わけがわからないままに見ていると、弥幸はまた来るつもりである旨を告げた。座敷わらしとカッパはすでにミユキちゃんといっしょにそのことを聞いていたのだけど、こういうことは何度聞いても嬉しいものだ。二匹は満足気に頷き、チーコは飛び跳ねて喜んだ。そして女将は⋯⋯
「あっ、この女、ドサクサに紛れてやりやがった!」目の前で繰り広げられる女将さんの暴走にカッパが前に出る。「なにがサチコって呼んでだチクショーめっ!黙って聞いてりゃあ調子に乗りやがって!」
まあまあと座敷わらしとチーコになだめられ、一応は矛を収めたが、この時板長の方は己の勘違いに気づいたところだった。あの女将の態度、あれはミシュラン調査員に対してのものではないのではないか?まさかサチコさん、単純にこの若造のことを⋯⋯いやいやまさかそんな、女将さんにかぎって⋯⋯
板長の心が千々に乱れているその時に、記念撮影のカメラマンまで押しつけられる。お客と記念写真?そんなことしていただろうか?こういうとき表に出ない板長なので、ハッキリとはわからないが、なかったように思う。客の隣に立ち、キラキラ輝く笑顔でフレームに収まる女将さんを撮影しながら、初めて彼女への疑念を抱いていた。
なお、怪異たちはこの記念撮影は遠巻きに見た。間違って写り込んで、このお兄さんを怯えさせないように。約束どおりまた来てもらえるように。
坂道のところまで出て弥幸に手を振る女将サチコさんと座敷わらしとカッパとチーコ。いつか再会する日を心待ちに、これからの日々を送ることとなるだろう。忘れようにも、もう忘れられない。彼らの意識の一角を、この超絶イケメンハンサム男前傾国顔大学生の弥幸は占めてしまっていた。
バス停までの道を行く弥幸。彼の前にはズタボロの負傷兵の一団が足を引きずりながら行軍していたが、そんなもの気づかないままあっさり追い抜いていった。念仏橋では看板を読んでいる弥幸の前で男が月面宙返りでダイブし、街灯の下の郵便ポストの横では手紙を待つ女が、穴が空くほどにジッと弥幸のことを見つめていた。
それらすべてをスルーして、弥幸は土産物屋に立ち寄った。店内は多くのお客さんで賑わっている、と弥幸は思っていたが、実はこの人たちは客ではなかった。
約束どおり来てくれたこのイケメンをユキエさんはたいそう喜んで迎え入れたわけだが、ここにはホッと安堵する気持ちもあった。来てくれてよかった⋯⋯もし来なかったら大変なことになるところだった⋯⋯
ユキエさんは今朝ゴミ捨てに行った時、ご近所の奥さま連中との井戸端会議でポロっと漏らしてしまったのだ。昨日はスゴいイケメンの客が来たことを。そして今日また、その彼がお店に来てくれるのだということを。奥さまたちはまさかそんな、そこまでじゃないでしょう?と信じなかった。ユキエさんが大げさに言っているだけだろう、と。
奥さま連中はいま、羨望のまなざしでユキエさんたちのことを盗み見ていた。想像以上のあり得ないイケメンとにこやかに会話するユキエさんのことを。弥幸が来たことで村八分は免れたユキエさんであったが、いま奥さまたちとの間に新たなわだかまりが生まれつつあった。ユキエさんが一箱サービスでおまけしたことも、あとで陰口を叩かれることとなろう。
いよいよバスに乗り込んでこの地を離れる弥幸。その姿をユキエさんは手を振って見送った。奥さまたちももう辛抱たまらず横に並び、今後二度と見られないかもしれない、リリンが生んだ美の極みをその目に焼き付けた。
このとき座敷わらしとカッパとチーコ、それにノボルと文士もやってきていた。やはりこちらも辛抱たまらなかったのだ。男たちはたまたま起きてきたところだったので、気まぐれでついてきた。さらには郵便ポストの女と念仏橋の男も並んでいる。そしてようやくここまで辿り着いた負傷兵たちも、カッパから距離を置いてこのおかしな集まりを見ていた。
あっ、そういえば肖像画と木彫りの熊ってどうなったのかなあ。忘れてたなあ。まあ千歳楼にはそんなものなかったし、きっとユキエさんのガセだろう。それか、もしかしたら今後への伏線なのかも⋯⋯
ともかく弥幸は大勢に見送られて、この地を離れていったのだ。そうそう、そんな彼の隣には、またも席を奪われて歯噛みする幽霊女がいたことは付け加えておかなければなるまい。彼女にだけは歓迎されなかったね。
この地を局地的に騒がせた弥幸のひとり旅。彼が去ったあとは萎むように、元の鄙びた温泉地に戻っていった。しかしその日の夕方、入れ替わるように、また新たな人影がバス停に降り立った。
漆黒のマントに身を包んだ大柄な⋯⋯女?彼女はまっすぐに千歳楼への道を歩む。静かに、だが隠しきれない威圧感を纏って⋯⋯




