第17話―9 解説其の五
麗しの弥幸さまの視線を感じながら、女将サチコさんは料理を並べていく。お会いしてすぐに板場に指示して用意させた料理。力作であるのはひと目でわかる。さすがウチの板長は腕がいい。しかしなぜにこんなに気合が入っているのだろう?まさか私の気持ちを汲んでくれたのかしら?
もちろんそうではなかった。あのとき板場に駆け込んできた女将を見て、板長は不審に思った。いったいどうしたということか?いつも物静かな女将さんがこんなに興奮して⋯⋯
この板長、五十路手前の独身男だが、女将さんに惚れている。なのでユキエさんが "陰気" と表現した同じものが、彼から見れば "物静か" ということになる。夫を亡くしたあとも健気に旅館を切盛りする、そんなサチコさんを手伝う内に、ゾッコン参ってしまったのだ。
潤んだ瞳に赤い頬、いつもより若返ったように見える女将さん。なにが彼女をそうまで興奮させるのか?それでオーダーが "いまできる最上のものを" だと?今日の客は若い男と聞いているが⋯⋯ハッ、そうか!なるほど合点がいった。きっとその男、ミシュランかなにかの調査員なのだ!さすが女将さん、それを見抜いたってわけか。
信頼は目を曇らせもする。客が若い男であればソイツに懸想して "女" になったと考えるほうがまだしも自然だろうに。板長はそんなこと思いもしない。そうかミシュラン、ついに来やがったか。そうであるなら俺も料理人、この包丁一本で渡世してきた男よ。全身全霊で勝負してやろうじゃあねえかッ!
そうしてできあがったのがいまテーブルに並べられた料理の数々である。本当に見事なものだった。これならばミシュランの調査員だって悪い顔はしないだろう。でも残念!ただの大学生でした!
それら料理に妖怪二匹と幽霊一体も歓声をあげる。
「こりゃスゴイ!アタシもここはけっこう長いけど、こんなお夕食見たことないわ!」カッパはそう言ってペロリと舌なめずり。
「ああ、これは板さん気合入ってるなあ!どうしたんだろう?」途中から加わっていた文士は不思議そうな顔をした。
「だいたい女将がここにいるの変じゃない?仲居たちはどこに⋯⋯」言いかけてピンときた。「はは~ん、なるほどね。この女将、いい歳してこのコにホの字なのよぉ」
「えぇ⋯⋯親子ドンブリはマズいなあ⋯⋯」座敷わらしくんドン引きである。
「ロマンスと母娘による奪い合いか⋯⋯うん、悪くないね」文士はなにか思いついたのかブツブツ言う。
「イヤだ、見て、女将ったら色目なんか使ってる」カッパが指さした。
ちょうど女将さんが飲み物について尋ねたところ。そして続くのは弥幸にお酒を断られ、このあとの目論見が泡と消えた場面だった。座敷わらしは腹を抱えて笑っている。
サチコさんの本来の計画では、お酒のお酌のためという口実で、このあともここに居座るつもりだった。日頃から、もしお客さんにそういうことを頼まれたとしてもキッパリ断るように、と仲居たちに教育しているというのに。今日はもう彼女たちは早上がりにして帰してあるのでやりたい放題である。
一方カッパも少し複雑な表情。下戸なのは困る。お酒の力を借りて、尻子玉をチョロっとひと撫でしようと思っていたのに。さっきお風呂場ではあまりに神々しくて手が出なかった。それでここまでついてきたのだ。
カッパは普段からいい男が温泉にくると尻子玉を撫でるイタズラをしていた。それで客から、なにかに尻を触られたと苦情が来ることもある。まあそれだけなので、害は少ないとも言えた。カッパといえば尻子玉を取るってのが通説なのだから。撫でるだけで満足している彼、もとい彼女は実は優しいカッパなのだ。
あえなく撃沈の女将さん。すべての支度を整えると、ここにいる理由もなくなって、スゴスゴと引き下がった。座敷わらしとカッパと文士はそれを手を振って見送る。と、入れ違いにやってきた者たちがいた。
「おつかれ〜ウワッ、なにこの料理、どうしたの?」先に入ってきた若い女が文士に聞いた。
「なぜかは知らないけど板長が張り切ったようだね」文士が答える。
「スゲ~これいただいちゃってもいいのかなあ」あとから続けて入ってきた若い男はそう言って手を擦る。
「まあ、みんなでつまもうか」文士は寛大な風にそう言うとテーブルについた。
銘々がワイワイガヤガヤ勝手に位置につく。弥幸にはまったく預かり知らぬところだが、そんな感じでお食事会が始まったのであった。




