第17話―3 千歳楼へようこそ
「このへんはそこら中に温泉が出てるでしょう?それで有名な温泉街は手前でさ、お客さんもこんな深いところまではやってこないのさ。お兄さんみたいなのは珍しいよ」店員の女性――ユキエさんというらしい。名前で呼んでくれと頼まれた。気さくな人だ――はそう言ってお茶をグビリと飲んだ。「でもオバケとか妖怪の類はこっちにばっかり来るんだからね。困ったもんだよ」
話し始めてからもう小一時間は経っただろうか。その間に僕にも椅子とお茶、そして温泉まんじゅうが振る舞われた。このような町の入り口に店を構えているだけに、人と接する機会も多いのだろう、実に多くの噂話を聞かせてくれた。僕はスマホで撮影しながら、その興味深いお話を伺った
話はそれこそさっき僕が乗ってきた路線バスの車内に出るという女の幽霊の話から始まり、これから向かう橋から飛び降りる男の霊だとか、夜中に静かに行進する軍服姿の集団とか、雪の夜に街灯の下に佇む女等々。
千歳楼、その他温泉宿関連では、自殺した文士の霊。無理心中したアベックの霊。温泉にカッパが住む、座敷わらしがいるなどの妖怪話。階段が十三段になる、壁にかけられた肖像画が笑う、木彫りの熊が歩き出す、といった学校の怪談風のものもあった。
これら多種多様な怪奇現象がすべて事実だとは、さすがの僕も思わない。しかし "怪奇現象が頻発する" という言葉にふさわしい、興味深いことの起こる土地なのは間違いないだろう。僕は話を聞かせてくれたことへの感謝の言葉を述べ、帰りにまた立ち寄ることを約束して店をあとにした。
外に出るともう日が落ちつつあった。山に囲まれた場所だけあって日の入りが早いようだ。夕焼けの名残が周囲を仄かに赤くする。気温も下がって、ピューッと吹いた冷たい北風が頬を打った。僕は身を縮めながらユキエさんに教えてもらった道順をたどっていった。
言葉通り進んでいくとすぐに川と、そこに架かった橋が見えた。橋は石造りの古いものだ。橋の袂には由来だろうか?木の看板が立っている。ただこちらも古く、文字がかすれていてよく読めない。薄暗いのもいけないのだろう、また帰りにでも覚えていたら見てみるとしよう。
話によるとこの橋の上から飛び降りる霊がいるはずだが、そのような気配は感じられなかった。中央まできて、欄干から下を覗いてみる。そう高い橋ではない。ちょうど真下に深くなってそうな淀みがあった。夏になれば子どもたちがここから飛び込んで遊ぶかもしれない。その楽しそうなイメージと男の霊、まったく重ならないのが逆に不気味さを誘う。
橋を渡ってもうしばらく歩くと立て看板が見えた。道路から分かれて少し坂道になってる方へ上っていく。それほど行かないうちに建物が見えてきた。
千歳楼――その名の通り千年、とまではいかないが、それなりに古い旅館ではあるらしい。木造の二階建て。薄暗いなかでも風情ある建物であると見て取れた。広い間口の玄関が客を快く迎えてくれる。小さな黒板に "歓迎 三浦弥幸様" とだけ書いてあった。予約客は僕だけなのだろうか?
「ごめんくださ〜い」と声をかけると、すぐに女将さんらしき女性が出てきた。「どうも、予約していた三浦です」と告げる。
なぜか女将さんの目が一瞬大きく見開かれたような気がした。まあ気のせいだろう。心霊調査だからついつい細かいことまで気になってしまう。僕の背中に霊が⋯⋯とかないよね。
「すいません、少し遅くなってしまいました」
「いえいえ、遠いところをようこそお越しくださいました。どうぞお上がりください」女将さんはスリッパを出してくれた。「お履物はこちらで管理いたしますので、どうぞそのままで」
受付のカウンターで手続きを済ますと二階へ。階段は一応数えたら十四段。これが十三段になるのだろうか?足を踏み外しそうだ。それから、ひとりでは広すぎる気のする部屋に案内された。レイアウトはよくある感じだと思う。
「お夕飯はこちらにお持ちします。お時間は十九時でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
「ではもう少しありますので、ごゆっくりおくつろぎください。温泉もいつでもお入りいただけますので、お好きなときにどうぞ」
女将さんが去ったあと、僕はフゥとひと息ついた。静かでノンビリした時間が流れる。たまにはこういうのもいいものだ。でも――オカ研のみんなの顔が浮かんだ。みんなで来たら楽しいだろうな。




