第17話―1 ぶらりひとり旅
バスを降りると冷たい風が顔を撫で、そのあと微かに硫黄のニオイがした。
ここは "鄙びた" という形容詞がいかにもよく似合う小さな温泉地。その一応は玄関口といったところだろうか。人通りはないが、営業中らしき暖簾や看板が出た店が見える。すぐ目の前の道路の向かい側には土産物の看板がぶら下がった小さな商店があった。
少し話が聞けるかと、ガタガタするアルミサッシの引き戸を開く。なかは土産物だけでなく、生活用品や食品も販売しているようだ。雑多な品々が並んでいる。
「ごめんくださ〜い」誰もいなかったので声をかける。
何度か呼びかけると奥から横に大柄な中年女性が大儀そうに現れた。
「すいません。道をお聞きしたいのですが、千歳楼という宿へはどう行ったらいいでしょうか」目的地までの道は地図でだいたい把握していたが、話の枕として尋ねた。
女性は顔を上げ、それでようやく目が合った。するとなぜか目をまん丸に見開き、口をポカンとあけたまま静止する。
「あの⋯⋯千歳楼へは⋯⋯」どうしたのだろうと不審に思いながらも、もう一度繰り返した。
「ああ、はいはい、ごめんなさい。お兄さんがあんまり男前だから」女性はそのようなお世辞で誤魔化した。「ええと、千歳楼ね、この前の道をアッチへ進むと川が見えてくるから、そこの橋を渡った先ね。看板が出てるからすぐわかるわよ」
手振りを交えて詳しく教えてくれた。最初不機嫌そうに見えたのは気のせいだったのだろう。とても親切な人のようだ。これならもっと話が聞けるかもしれない。
「ちょっと変なことをお聞きしますが、ここの温泉地っていろいろ怖い噂話がありますよね?そういうのって本当なんでしょうか?」
この温泉地にやってきたのはなにも観光をするためではない。もちろん温泉に入るのは少し楽しみではあるけど、それよりも重要な任務があってのことだ。怪奇現象が頻発すると、ごく狭い範囲で話題になっている温泉地への潜入調査。僕はそれを、ホラー作家である叔母から依頼されたのである。
MAYOIという筆名で活動する叔母は、知る人ぞ知るという程度の商業作家だが、近頃スランプに陥っていた。ここ数ヶ月、あまり筆が進まないらしい。予定していた書き下ろし小説も発売延期していた。それでなんとかインスピレーションを得たいと、仲間内で話にのぼった温泉地を調べる気になったのだという。
自分で足を運べば気分転換にもなって丁度よさそうなものだが、叔母はかなり徹底した出不精である。切羽詰まっているはずの今回でも、足は向かないらしい。それで僕に調査を依頼してきたのだ。これまでもこの様な依頼はこなしてきた。心霊関係は僕の趣味であるし、けっこうな額の報酬も出るので、アルバイトの代わりである。
だけど今回は一度断ったのだ。とても興味深い話だったが、大学の文化祭が差し迫ってきていた。所属する超常現象研究会では毎年恒例の展示がある。使い回しも多いとはいえ、サークルの会長でもある僕が、まさか他のことにかまけている余裕はない。
作業の途中の雑談でこのことをネタにしたのがいけなかった。いや、個人的にはありがたいことなのだけど、思いもよらぬ旅に出発することとなった。話を聞いた部員の神谷さんが、それはぜひ行くべきだと熱心に口説いたのだ。
叔母の小説の大ファンである彼女はスランプであるという部分にヒドく心を痛めたらしい。MAYOI先生のためになるのであれば、それはなにを差し置いてでも実行すべきである。それが彼女の主張だった。本当ならば自分が行きたいところではあるが⋯⋯
「クソっこんなときに限って短期バイトなんか入れちまった!」神谷さんはそう嘆くと頭を抱えた。
「僕だってそんな面白そうなとこ興味あるけどね、いまは時期が悪いよ。展示の準備進めないと⋯⋯」
「はあ?なに言ってんすか?こんなしょうもない展示と、MAYOI先生の新作と、比べられるわけないでしょう。こんなのは有明くんがガンガンやってくれますから、ねッ、だよねッ!先輩はさっさと旅の支度をしなさいよ!」
急に話を振られた有明くんは困った顔をしながらもこちらを見て頷いた。
「あ、それじゃ〜私がいっしょにいきましょ〜か〜?」と同じく部員のコリンちゃん。
「なにナメたことぬかしてんだゴルァ!おめえは作業が残ってんだろうが、口じゃなくて手を動かせ!」神谷さんはそんなキツい口調の冗談を飛ばしている。
さすがに女子の後輩とふたり旅というわけにもいかず、僕もそれは丁重にお断りした。とにかくそういうわけで、その翌日、新幹線や電車、バスを乗り継いでここまでやってきたのだ。ちなみにこの、公共の交通機関を利用したのも叔母さんのリクエストである。その道程の映像とレポートも欲しいそうだ。
話は戻る。僕の問いかけに土産物屋の女性は一瞬表情を凍りつかせた。それから周囲を窺うみたいに目をキョロキョロ動かし、カウンターから身を乗り出すように顔を近づけると、声を低めてこう言った。
「体裁悪いからあんまり言いたくないんだけどね⋯⋯出るよ、ホントに⋯⋯特にその千歳楼⋯⋯」




