第8話―7 いざ武道場へ
こんな自分よりも大きな空手部エースの突然の挑戦にも顔色ひとつ変えないそれは、まさに以前省吾が口にした "常在戦場" の態度だった。つまりいつもどおり、通常営業の有明省吾である。
しかしいまの円の曇った眼ではそんなことは知ったこっちゃない。おうおうさすがは全日本チャンプさま、ずいぶん自信がおありなようで、と皮肉な気持ちで眺めた。先ほどその全日本チャンプの顔色を一瞬変えたのが自分であることには気づいていない。
「いいね、それいまからやるの?僕たちも見物に行ってもいい?」とこちらも通常営業の弥幸が楽しそうに尋ねた。
「えっ !? 」「えっ !? 」と円と凛子がほぼ同時に驚きの声をあげる。
「いやだってほら、空手部で試合するってことはさ、有明くんアウェイなわけじゃん?そんなところに僕らの仲間をひとりで行かせられないでしょ」そんなの当然だという口ぶり。
さすが弥幸である。省吾と円の間にある些細なわだかまりを笑顔でぶっ飛ばしてきた。円としては正直空手部なんて怖そうなところへ行きたくはないのだが(おそらく凛子もそうだろう)、こう言われてしまえばたしかにそんな気もしてくる。いまも変わらず省吾は円のたったひとりの友人なのだ。
「アウェイって言ってもまだ部活の時間じゃないからそんなに部員はおらんと思うがな」村上も笑みを見せて訂正した。「まあ喧嘩じゃないからあまり荒っぽくもならんと思うが、お前らが見に来たいなら好きにしたらいいよ」
「よし、決まりだ!」弥幸は威勢よく立ち上がる。「みんな応援に行こう⋯⋯あっ、でも村上くん、履修の相談はいいの?」
「いい、いい、そんなのまた今度で」村上は苦笑する。そしてなぜか声をひそめて弥幸に問うた。「そんなことより、今日は英依さんは来とらんの?」
「ん?英依さん?どうだろうね、彼女はガイダンスとか来ないんじゃないかなあ」
「ああ、そうか⋯⋯」村上はハァと息をついた。
村上のあとに続いて、全員で武道場へ向かう。円にとっては初めての場所だった。というかそもそもそういう場所が存在していること自体知らなかった。もっと虎の穴的な血と汗の臭いが充満した場所を想像していたのだが、ぜんぜん普通の体育館といった様相だ。
「ここ初めてですけど、けっこうキレイなんですね〜」凛子もホッとしたのか隣の弥幸に話しかけている。
「そういえば僕だってここに来るのは初めてだよ。一般の学生には縁のない場所だよねえ」弥幸も興奮しているようだ。
先頭の村上に倣って、一礼してから中へ。村上の言ったとおり部員はまばらで、隅の方で自主練?しているのが数人いるだけだ。応援団の数としてはイーブンといったところだろう。
「道着はあるか?ないなら部の備品のがあるがの」村上はクルッと向き直ると省吾に問いかけた。
「あります」省吾は簡潔に答える。
「それはよかった。備品の道着は汚いからのう。ひどいハンデを背負わせるとこやった」村上はそう言ってガハハと豪快に笑った。「ならあっちが更衣室だからいっしょに着替えにいこうか。弥幸たちはそっちの隅で待っとってくれ」
武道場の一隅を占拠したオカ研 with 円は慣れない環境に萎縮することなく、ワイワイ話しながら省吾たちが出てくるのを待った。これもすべて弥幸の物怖じしない性格があってこそであるが、円も凛子もここにきて謎の高揚感を覚えていた。
ほどなくして白い空手着に着替えたふたりが現れた。円にとって省吾のその姿はもはや日常だが、空手着が並ぶ絵面は珍しかった。しかし村上はデカい。遠目からも明らかな体格差が見て取れた。
オカ研たちの目前まで戻ってきたふたりは、少し離れて準備運動をしながら話している。
「ルールはどうする?」村上が片足立ちで足首を念入りにグリグリ回しながら尋ねた。「硬式空手の防具もあるし、寸止め、フルコン、俺もなんでもやってきたからな。なんならボクシンググローブとかオープンフィンガーグローブもあるぞ。まあさすがにレスリングはあまりやっとらんで、MMAルールは困るがの」
「オープンフィンガーグローブでいいならそれがいいです」と省吾。こちらは準備運動は程々に、まっすぐ立って村上を見ている。
「ならそれで行くか。もし寝技の状態になったらそこでブレイクな。あとは "己のプライドがルール" でええか?」そう言ってニヤッと笑う。
省吾も少し片方の口角を持ち上げ、「はい」と返した。そして自分の荷物からマイオープンフィンガーグローブを取り出し装着する。その様子を目にして村上はなぜか嬉しそうだ。
試合場の中央で対峙する省吾と村上。部室で円が想像した龍虎相搏つの構図がまさにいま、実現しようとしていた。




