第80話 反乱者の思惑
無事にブーボハム1万個の納品を終えた羽曽部食品。
徹夜で作業を完遂した従業員たちは、疲労困憊のまま今日の作業開始を午後に設定し、午前中は全員が就寝時間に割り当てられた。
占拠された物流センターの高窓から、若手の従業員である小池がその様子を鋭く観察していた。普段は薪集めや農作業に出て行く従業員が、今日はほとんど外出しないことに彼は疑念を抱いていた。
「何かが変だ・・・」
小池は低く呟いた。静まり返った敷地を見渡しながら、彼は異変の兆候を感じ取っていた。人々の動きが鈍く、普段の喧騒が嘘のように静まり返っている。まるで嵐の前の静けさを思わせるかのように。
その一方で、各部署では、従業員たちが深い眠りについていた。塩漬肉を手でマッサージし、馴染ませるという手作業を続けたその疲労は、体力だけでなく精神も消耗させていた。しかし、彼らの表情には満足感が漂っていた。全員が一丸となって困難を乗り越えた達成感がそこにはあったのだ。
物流センターからその様子を伺っていた小池は、その光景を見て何かを察したかのように眉をひそめた。
「今日は何か特別なことがあったに違いない・・・」
小池は窓から目を離し、仲間たちに報告するためにその場を後にした。そこで一番最初に出会ったのは比嘉であった。
「比嘉係長!なんか様子が変なんです!」
小池はいつもと雰囲気が違う事を比嘉に説明すると、比嘉は頭の中で考えた事を確認するように言葉に出した。
「今日の夜は約束の日だ。羽曽部食品が起業して異世界での生活に支障が出ない程の売り上げを出すかどうか決する日だ。もしかしたらその為に大量に商品を作っているのかもしれない」
比嘉の言葉に小池は俯き、抑えきれない本音をぽつりと呟いた。
「ネリュシギ、美味しかったですよね・・・」
「ああ・・・そうだな」
比嘉も小さく頷き、同意した。彼は最初の頃、農作業員として参加していた。異世界の土地で作物が育つのか半信半疑だったが、結果として無事に育った。彼は心の中で、異世界でも羽曽部食品は商売を始めることができるのではないかと考え始めていた。
「おいお~い!お前ら何コソコソしてるんだ!?」
その声に比嘉と小池は肩をビクッと震わせた。そこには両手をポケットに入れ仁王立ちした神谷が立っていた。
「い、いえ。何も…」
比嘉はすぐに姿勢を正し、神谷へ頭を下げた。
「キサマら~、まさか向こうに戻りたいと考えている訳ではあるまいなぁ~」
神谷が下から覗き込むように鋭い視線で比嘉と小池の顔を見据えた。
緊張に手に汗を握り、小池が思い切って神谷へと発言した。
「こ、この反乱は、やはり間違っているのでは・・・」
その言葉が口から出た瞬間、神谷の足が素早く上がり、小池の腹に靴底が叩きつけられた。思わず小池は腹を抑え地面に膝をつき、呼吸が一時的にできなくなったのか咳をしながら蹲った。
「反乱が間違っているだと?この状況で何を言い出すかと思えば」
神谷の声は冷たい怒りを帯びていた。彼は小池を見下ろし、さらに言葉を続けた。
「我々の立場を忘れるな。我々はここで新しい秩序を築くために戦っているんだ。戻る場所などない!」
比嘉は内心の恐怖を抑えながら、小池を支え起こした。神谷の前では今まで仕事の中でも何も言えずに従うしかなかった。ただ良い返事をし、そつなく業務をこなしていただけだ。
しかし、心の中で彼もまた、小池の言葉に同意していた。異世界での農作業を通じて見つけた希望、それを忘れることはできなかった。
比嘉は小池の苦痛に歪む顔を見て決意を固め、初めて神谷に正面から意見を述べた。
「神谷部長、最初は誰かの気の迷いから始まった不満でした。支給される食料が少ないという不満が募り、やがて自分たちが管轄する物流センターの食料を独占したいという欲望が膨らみました。そして、神谷部長の判断のもと、この反乱が始まったのです。しかし、私たちもここまで事態が大きくなるとは思いもしませんでした。反乱の意思を示して、特別な待遇を受けたかっただけです」
「何が言いたい?キサマらが言い出したことだろう」
神谷は鋭い目で比嘉を睨み返した。
「そうです。だからこそ、神谷部長が私たちの意見に同意し、行動を起こしてくれたことには感謝しています。しかし今は、戻るに戻れない状況に苦しんでいるのではないでしょうか?」
比嘉の言葉に、一瞬、神谷の瞳に影が走った。しかし、その感情を押し殺すように、神谷は冷酷な表情を崩さなかった。
「戻るに戻れない?お前は何を言っている。今さら撤退するなど、考える余地もない」
「神谷部長、私たちはこの反乱を始めたものの、元の平穏な生活を取り戻すことができるなら、それに越したことはないと考えています。今ならまだ、話し合いの余地があるのではないでしょうか。無駄な犠牲を出す前に」
「話し合い?無駄な犠牲?お前たちがその言葉を口にする資格があるのか?ここまで来たからには、最後まで戦い抜く覚悟を持て。それが反乱した我々の責任だ」
神谷の揺るがない意志に対し、比嘉は内心の焦燥を抑えながら、深く息を吸い込んだ。
「そうかもしれません。ですが、投げ込まれたネリシュギを見て考えが変わりました。私たちは未来を見据えて行動すべきです。この異世界で得たものを無駄にしないためにも、もう一度冷静な判断が必要です」
その言葉に、神谷は一瞬言葉を失ったように見えたが、すぐに冷酷な笑みを浮かべて応じた。
「冷静な判断かぁ?お前たちのような甘い考えで、この無秩序とも言える異世界を・・・乗り越えられるとでも思っているのか?」
神谷の言葉には一瞬の戸惑いが見えたが、すぐにその様子はかき消され、いつもの鋭い目つきの神谷へとなっていた。
「フンッ!この間はセイジとか言う異世界人がしゃしゃり出てムキになってしまったが、我らとて何百人もいる従業員を犠牲にするつもりはない。まずは私たちの意志を見せつけ、この会社内で優位に立つつもりだ。そうでもしなきゃ、あの須沖とか言う品質管理の課長が帰還の方法を見つけて来ないだろう」
神谷は一際強い出世欲を持つ男だった。羽曽部食品に身を捧げて駆け回り、遂には部長の座に上り詰め、役員の肩書きを得た。しかし、年齢的にもこれ以上の昇進は見込めない。だからこそ、最後のチャンスとして羽曽部食品のトップに立とうとする執念が、この反乱の背景にはあった。
部下の思いつきから始まった不確かな提案が、この異世界という特異な環境の中で、神谷を反乱のリーダーへと突き動かしたのだ。
「やつらは必ず失敗するだろう。異世界での生活費をそこそこの売り上げで賄おうとするに違いない。だが、売り上げが乏しい中で提示する生活費は間違いなく自分たちの分だろう。『我々の分はどうするんだ?』と問い詰めてやるさ。そして、その時に物流センターの食料を支給する代わりに、羽曽部食品での地位を確固たるものにするのだ」
神谷はその言葉を口にすると、厳しい表情のまま背中を向け、ゆっくりと歩き出した。その背中には、ただの一社員としての野望を超え、全てを手に入れようとする男の決意が滲んでいた。




