第79話 契約書
納品する約束の日、仁と真那は[エピックバザール・ウィスドムホール3号店]の前で待機していた。時刻は11:30。約束の時間まで残り30分しかなかったが、未だに仁たちの元にブーボハムは到着していない。
店長が不気味な笑みを浮かべながら二人に近づいてくる。
「ちゃんと約束は守ってもらうぞ。今後はずっと半値で卸してもらうからな!」
仁は冷静に店長に振り向き、毅然とした口調で答えた。
「まだ時間は30分あります。予定の数分前には間に合う筈です」
店長は鼻で笑い、さらに口角を上げて言い放った。
「ふん、無理に決まっている。あのハムは時間と手間を掛けて作られた物だ。長くこの業界に携わっている私にはそれぐらいわかるよ」
店長の勝利宣言は確信に満ちていた。その言葉に、仁と真那は黙って空を見上げる。時計の針は無情にも進み、残りは10分を切った。
「んん~空を眺めて自分たちのバカさ加減でも反省してるのか?私の勝ちだ!ウィスドムホールに大量の商品を積んだ馬車が門を通過したという情報は来ていない!今から門を通過してもここまで来るのに10分以上は掛かる!」
店長の言葉を無視し、一心不乱に空を見上げていた仁と真那の表情が一瞬で変化した。
待ち望んでいた何かを発見し、二人は同時に店長へ顔を向けた。
「馬車で運ぶなんて言ってませんよ。空路ですよ。お待たせしました。商品が来たようです」
「な!なんだと!!」
その場に大きく風が吹きつけ、太陽の光を背にして空から黒い影が近づいてきた。ウィスドムホールの街を行き交う人々もその影に気づき、何事かと歩みを止めて見上げた。次第にその影が予想以上に巨大で、怪鳥の姿をしていることが明らかになると、彼らは悲鳴に近い叫び声をあげた。
その騒ぎに意を解さず、仁と真那の元へ懸命に荷物を運んできたのは、お守りを首からぶら下げたプテラノドンであった。砂埃を巻き上げながら慎重に店の前へ降り立つと、プテラノドンの身体には大きなバッグがぶら下がっており、その中には箱詰めされた商品がぎっしりと詰まっている。
仁と真那は走り寄り、プテラノドンにお礼を言いながら商品の確認を急いで始めた。1万個のブーボハムがきちんと揃っていることを確認すると、二人は満面の笑みを浮かべて店長に向き直った。
「さぁ、約束のブーボハム1万個です!」
店長は目を見開き、驚きの表情を浮かべた。ウィスドムホールの人々も突然現れたプテラノドンに驚いていたが、おとなしく従っているその姿を見て、徐々にざわめきも収まっていった。
その時、プテラノドンの背中からセイジがヒョイッと顔を出した。
「仁さん、真那さん、遅くなってごめんね。少し寄り道してたんだ」
寄り道だって?ハラハラさせる奴だなと心の中で呟きながらも、仁は深く息を吐いてセイジにお礼を言った。
「ギリギリセーフだよ。ありがとう、セイジ」
店長は口をあんぐりと開けたまま、プテラノドンが運んできたブーボハムを見つめていた。その表情は次第に冷静さを取り戻し、無理だと思っていた約束を果たされた現実を受け入れるしかなかった。
だが・・・、店長はそんな表情から何かを思いついたような顔に変化し仁と真那に話しかける。
「1万個?何の事です?私が頼んだのは100個ですよ。そんなぁ、1万個なんて一つの店舗で頼む筈がないでしょう?」
店長は突然シラを切り始めた。仁は約束した筈ですと歩み寄るが、店長は依然としてそんな話をした覚えはないと首を横に振る。
「そんなに言うのなら証拠は?契約書でもあるんですか?」
痛いところを突かれ、仁と真那は思わず息を呑んだ。
契約書か・・・。
元の世界では当然のように存在したが、まさか異世界で契約書という言葉が出てくるとは。ここまで来て全てが無駄に終わってしまうのか。
仁は一瞬、途方に暮れるような気持ちになったが、羽曽部食品の皆の顔が一瞬頭を過る。この短い期間でブーボハム1万個の製造は相当な労力であった筈だ。仁は負けじとすぐに気を取り直した。
「しかし、あなたとの約束を守るために製造に携わった人々がどれだけの努力をしたと思っているんですか?私たちの言葉に嘘はありません」
「言葉だけで信じろと言われてもなぁ。証拠がない限り、こちらも商売だからな。無理なものは無理だよ」
冷笑を浮かべて話す店長と仁の間に真那がスッと移動したかと思うと、真那は店長にキツイ視線を送り静かに口を開いた。
「証拠ならありますよ!これです」
真那がバッグからスマートフォンを取り出し操作をしてアプリを起動させる。スマートフォンからは何やら音声が再生され始めた。
それは、他ならぬ店長の声であった。
<「では、明日の正午までに1万個持ってきてください」>
<「それが出来なければ半値で納品できるだけ納品しろ。断るならエピックバザールの本部に連絡して、各街で販売できないようにしてやる」>
<「必ず明日の正午までに耳を揃えて1万個持って来てください。それが出来なければ、今後の取引は全て半値で行わさせて頂きますよ」>
なんと真那は納品を受注した際のやり取りを全て録音していたのだ。仁も驚きながら真那の真剣な横顔を見つめていた。
音声データには、しっかりと店長とわかる声で鮮明に録音がされ、それには動かぬ証拠として、店長の声で1万個を発注する言葉や、脅し文句がしっかりと録音されていた。
「これは相手の声を記録するマジックアイテムです。これが契約書の代わりです」
真那はあえて現代社会から持ち込んだスマートフォンをマジックアイテムと称して説明した。
「くっ・・・そ、そんなものは作りものだ!私は知らない!」
それでも店長はオドオドしながらも食い下がり続けた。セイジは一瞬黙考し、意を決したように「それじゃ隠し玉を投入するよ」と静かに告げた。その言葉と共に、プテラノドンから一人の人物が降り立った。
プテラノドンの翼に隠れていたのは、初老の男性だった。
黒いスーツを纏い、その姿勢はまっすぐで威厳に満ちている。顔立ちは穏やかだが、その眼差しには厳しさが宿っていた。店長はその姿を見て、驚愕の表情を浮かべる。
「エリア管理者のゴトーさん!なぜここに!」
店長の驚きは隠しきれなかった。[ゴトー]という名のこの老人は、エピックバザールの地域店舗を統括する重役であり、現場に姿を現すことは滅多にない。セイジが彼の存在を知り、今回の事態を解決するために同伴したのである。それは、セイジのこれまでの功績がもたらした人脈のなせる業でもあった。
ゴトーは仁と真那に歩み寄り、深々と頭を下げた。
「お二人には我が3号店が多大なるご迷惑をお掛けしてしまいました。このブーボハム1万個はエピックバザールグループが責任を持って買い取りましょう。本当に申し訳ないことをしてしまいました」
仁と真那は礼儀正しいゴトーに敬意を示し、深々と頭を下げた。先ほどまで真剣な眼差しであった真那も「こちらこそ、よろしくお願いいたします」と穏やかに応じた。
ゴトーは再度二人に頭を下げた後、店長の方に向き直った。彼の眼差しは冷たく、しかし感情を抑えたものであった。
「あなたには3号店の店長を外れていただく。今後は販売員として一からやり直しなさい」
厳しいゴトーの言葉に店長は観念し、その場に崩れ落ちた。
仁と真那はセイジの用意周到さと先読みをした行動力に感心していた。今回、セイジがゴトーを連れて来ていなければ、ここまですんなり話は決着しなかっただろう。さすが、大賢者の家系である頭脳と言ったところか。
『あ、仁。テレッド!』
真那が思い出したように仁に耳打ちした。仁はゴトーへと歩み寄り、約束の詳細を説明した。ゴトーは心置きなく「好きな物をどうぞ」と仁に回答し、それを聞いて確認した真那は店内へ向かい約束したオブジェを1個持ち出してきた。
それは、あの埃まみれのテレッドらしきオブジェだ。
「さて、仁さん、真那さん帰るよ~もう徹夜で眠くって」
「あっ、ちょっと待ってくれ!」
仁と真那は、これを慈愛に渡してくれと店からもらった埃まみれのテレッドをセイジに渡す。本物かどうか見て欲しいと付け加えてお願いした。
プテラノドンにもお礼を言って気を付けて帰れよと声を掛ける。プテラノドンの首から下げたお守りに気付いた仁は「ちゃんと付けてくれているのか」と嬉しく感じた。一番最初の出会いは衝撃的で恐怖を感じたが、今はプテラノドンに愛着が湧いてくる。
帰り際、セイジは「今晩は神谷グループとの決着もあるから夜の通信を楽しみにしていてよ」と言って飛び立っていった。
そうだ、残る問題はまだあったのだ。
神谷率いる反乱グループとの勝負。
約束通り売り上げにも問題ないし起業にも成功したと言えよう。しかし、まだもう一波乱あるかもしれない。
その後、飛び立ったプテラノドンの姿が見えなくなるまで見送った仁と真那は、ゴトーと"元"店長と共に1万個のブーボハムを店内に運び入れる作業を手伝い、エピックバザール・ウィスドムホール3号店を後にした。




