第68話 大賢者の家系
二人は神託書院の厳かな別室に案内され、館長との対面の席に座る。その部屋は、重厚な木製の家具に囲まれ、静寂が支配する神秘的な空間だった。壮麗な装飾が施された壁には、古の知識を示す巻物や何かの魔法陣の図が描かれていた。
仁は持ち込んだ品々を一つずつ丁寧に広げ、館長の前に並べていった。まず取り出したのは、火を自在に出現させるライター。その小さな道具に、館長の目が一瞬光を放った。続いて真那はスマートフォンを取り出し、その黒い画面を指で触れてみせた。館長は興味深そうにそれを見つめ、まるで未知の魔道具を見るような表情を浮かべた。
さらに、二人はボールペンや手帳といった日常的な文房具を並べた。ボールペンの滑らかな書き心地に、館長は感嘆の声を漏らした。紙の手帳には、異世界での旅路を記したメモやスケッチが書き込まれていた。
そして、最後に取り出したのは羽曽部食品で作った特製のブーボハムだった。異世界の食材を使い、彼らの技術で加工されたこの食品は、異国の地でも彼らの誇りとする一品だ。館長はその香りを嗅ぎ、少しばかり興味深げに鼻をひくつかせた。
「これらが、私たちの元の世界から持ち込んだ物です」
館長は一つ一つの品物を丁寧に手に取り、慎重に観察した。その目には知識欲と好奇心が満ち溢れていた。
「なんと、まさか私がこんな場面に立ち会えるとは・・・」
館長はそれぞれの品を珍し気に手に取って見ている。一通り見終わったら椅子に深く腰かけ、二人の話を聞く体制を取った。それを確認して仁が話を切り出す。
「先ほど100年前の話に出た妙な道具と言うのは私たちの世界にある拳銃という武器です。館長の話は作り話とかでなく、本当にあった話だと確信しました」
仁は丁寧に館長に話をする。そして話の詳細を最後まで聞かせて欲しいとお願いをした。真那は忘れないようにとスマートフォンで音声データを残す準備をする。
「祖父から聞いた内容を憶えている限り説明しよう。また、なぜ元の世界に戻れなかったのか。祖父は2つの原因があると言っていた」
館長の話を要約するとこうだった。
元の世界に帰る際には、転移してきた敷地ごと囲む大きな魔法陣を地面に書く必要があり、その魔法陣に使用する文字の正確性や位置関係、また膨大な数の文字を消えないように地面に掘り残さなければならない。
あとは魔法陣に屈託のない[テレッド(真っ赤な鉱石)]を3つ配置する。魔法陣を起動させる為には最低30センチ以上の大きいテレッドが必要となる。そして最後は魔法力を持っている人間が30分間の詠唱を魔法陣の中で唱え、それが終わった後に魔法陣が作動し帰還する。
「2つある原因の内、一つは当時の落ち人が用意したテレッドに十分な大きさのものが揃っておらずパワー不足じゃと言っておった。もう一つの原因は、当時の<落ち人>に魔法力を持っている者がおらず、祖父が自ら魔法陣の中で詠唱したことも原因ではないかと言っておった」
この辺は仁と真那が慈愛に聞いた話と共通性がある。慈愛は落ち人を元の世界に戻すのにコブシ大のテレッドが必要と言っていた。共通性があるからこそ、館長の話には信ぴょう性ある。
館長の祖父である[大賢者]が魔法陣の中にいたということは一緒に行こうとしていたのか。仁はその辺も聞いてみた。
当時の<落ち人>に魔法力、要はスキル持ちが居なかった為、自らがデルカニアに帰れない覚悟をして館長の祖父は詠唱を行ったとの事であった。
しかし転移は失敗に終わり、島ごと海中に引きずり込まれるように沈んでしまった。この大賢者だけは元々この世界の出身であった為なのかは不明だが、引きずり込まれるような力の影響はなく、海に漂流しながらも無事生還することができた。
「今の話にある魔法力を持っている人が必要という点においては、私が魔法力を持っているので問題ありません」
真那は自分の胸に手を当てて答えた。
残りは魔法陣の図面と詠唱する文章か。これらは何か文献が残っているのか。
「魔法陣も詠唱も記述されている書物は何もない。大賢者の家系に伝わる財産みたいなものじゃからな」
館長は静かに言った。その言葉には深い歴史と秘密が感じられた。
「どうしても必要なんです!何とか手掛かりはありませんか?」
仁の瞳には必死の思いが込められていた。少しばかり希望の光が見えてきたのだ。ここで灯り始めた希望の光を消すわけにはいかなかった。
館長は一瞬思案するように目を閉じた後、穏やかに微笑んで答えた。
「書物はないが、全てはこの中に蓄積されておるよ」
そう言いながら自身の頭に人差し指を当てた。全ての情報が館長の記憶の中にあるということだった。彼の膨大な知識と経験が、その脳内に詰め込まれていたのだ。
しかし、その次の言葉は重かった。
「書き写すには膨大な量すぎて1年以上は掛かる。無茶な話じゃ」
「無茶を承知でお願いします。書き写すことに専念してもらえませんか?お礼は何でも致します。お願いします!」
仁は心からの願いを込めて言った。その真摯な姿に感化された真那も、頭を深く下げて必死にお願いをした。
館長は二人の熱意に触れ、しばらくの間、沈黙を保った。その沈黙の中には、彼自身の葛藤と考慮が詰まっていた。そして、やがて彼はゆっくりと口を開いた。
「君たちの熱意は理解できた。神託書院の館長の仕事を全て放棄した場合であれば1ヵ月程で書き写す事が出来るかもしれん。しかしそれは現実的に難しい事はわかってくれるかの・・・」
確かに、今ある職務を全て放棄して取り掛かるには、館長にとって見返りが無さすぎる話であった。
「もう少し、主らの事情を聞いても良いか?ところでそのハムも食べてみたい」
館長の話が一段落すると、仁は手際よくブーボハムを切り分け始めた。その間、真那はこれまでの経緯を詳細に説明した。総勢298名の従業員が会社ごと異世界に転移してしまったこと、この異世界で298名が生活するには新たに起業する必要があること。そして、その間に帰還の方法を探すべく、唯一のスキル持ちである仁と真那の二人が旅に出ていることを。
館長は真那の話に耳を傾けながら、興味深そうにブーボハムに手を伸ばした。一口頬張ると、その豊かな風味に目を見張り、驚きの声を漏らした。
「これは実に美味だ。確かに、この味を引き出したハムならば、売れるだろう」
その言葉を聞いた仁と真那の顔に、一瞬安堵の色が広がった。しかし、次の瞬間、館長は続けた。
「だが、問題はそれを販売するための流通網や、それに対応できる人材だ。異世界で商売を始めるとなると、それ相応の準備が必要になるな」
「その点については、既にいくつかの計画を立てています」
仁が口を開き、続けて今の考えを説明した。
「まず、現地の市場調査を行い需要を確認しました。そして、私たちのハムを取り扱ってくれる店舗や、流通を担うパートナーを探しています」
「なるほど。その上で、製品の運送手段や、現地の法律に対応するための知識も必要だな」
すると突然、バタンと扉が開く音が響き渡った。驚いたことに、入ってきたのは先ほど仁とぶつかったセイジだった。
「じいちゃん、配達してきたよ!あれ、ブーボのおじさん?」
「ブーボのおじさん」という言葉が悪口にも聞こえ始めた仁だったが、それ以上にセイジが館長の孫だという事実に驚いた。配達も仕事というよりは、家族の手伝いの一環のようだった。
セイジの姿を見た館長は何かを閃いたようにポンっと手を叩いた。
「良いことを思いついたぞ。1ヵ月で写本を仕上げる代わりに、孫を羽曽部食品で働かせてくれ」
「え、セイジ君をですか?働かせるのは良いですが、この世界にも学校とかあるのではないですか?」
真那はセイジを見て心配そうに質問した。
館長は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「この子は既に大学まで飛び級して卒業しておるよ。大賢者の血を引く家系じゃから、頭の出来が少し違うのだ」
驚いた仁と真那は顔を見合わせた。セイジの若さに反して、その知識と才能が既に認められていることに感銘を受けた。
館長は孫セイジを自慢げに紹介しながら語り続けた。
これまで、セイジは数々の商人や店舗へ助言を行い、事業の成功を手助けしてきたという。今で言うところのコンサルティング的な役割だ。レイクサイドでも、セイジはただ一人、ブーボハムを食べてその品質を断言し、適正な値段設定を提案していた。そのため、館長の話も決して大げさではなく、真実味を帯びていた。
この申し出は仁と真那にとって願ってもないものだった。異世界でのノウハウや流通の確保にセイジの力を借りれば、羽曽部食品はすぐにでも製造を開始できるだろう。まさに一石二鳥の提案である。しかし、すべてはセイジの気持ち次第だ。
仁はセイジに対して、館長に話したこれまでの経緯を丁寧に説明した。子供だからと侮らず、対等な立場で話すことで、セイジの理解と協力を得ようと心掛けた。
「<落ち人>たちの起業か!面白そうだね、やるよ俺!」
セイジの返事は、仁と真那にとって驚異的な成果だった。彼らが探し求めていた元の世界への帰還方法が見つかっただけでなく、羽曽部食品の製造開始への道も明るく照らされたのだ。
セイジは仁と真那に近づき、力強く手を差し固い握手を交わした。その握手は、ただの形式的なものではなく、困難を共に乗り越えるという固い約束の証でもあった。




