第65話 給料と旅立ちたい従業員
真那の希望通り[シルバーローズ・ホテル]では理想的な部屋が確保されていた。部屋に足を踏み入れると、優雅な雰囲気が漂っていた。広々とした空間には二つの個室があり、それぞれにふかふかのベッドが備えられている。
最初の個室には、柔らかなカーテンが揺れている窓があり、そこからは美しい庭園の景色が広がっている。ベッドは上質なシルクの様なシーツで覆われており、その上にはふわふわの枕が置かれている。真那はこの部屋を自分のプライベートなスペースとして仁に承諾を得た。疲れた体をこの快適なベッドに預け、心地よい眠りにつくことができるだろう。
もう一つの個室には、暖かい色調のカーペットが敷かれている。シンプルで上品なデザインの家具が配置され、快適な読書やくつろぎの時間を過ごすことができる空間となっている。自動的にここは仁の部屋となったが、その雰囲気に仁も満足していた。
真那は部屋の中央に置かれた共有スペースを見つめながら、感激の言葉を口にした。
「ここなら慈愛との通信も気兼ねなくできるね!」
その言葉に仁もノリノリで通販番組の様な口調で質問した。
「いいね!いいね!でもこのお部屋。お高いんでしょ~?」
「フフ、そうなんですよ、1泊で5000ルーンでした。レイクサイドと比べると約2倍ですが、街の大きさによってだいぶ相場も変わってきていると思います」
イーサンにはリーズナブルなお値段でと言って頼んだから決して高いわけではないだろうと仁は思ったが、その通りでありウィスドムホールの宿屋では平均ぐらいの値段であった。しかし、いずれお金も尽きてしまう心配が仁にはあった。
取り合えず1泊分はイーサンの先払いで奢って貰った形となったが、ここウィスドムホールは元々の目的地で、情報収集の為、何日も滞在する事になるだろう。
「お金が無くなって引き返すにも面倒だし時間も掛かる。情報を集めながらお金を稼ぐ方法を考えなくちゃいけないな」
「羽曽部食品の経営が始まれば給料出るのにね」
そうだった。俺らは会社員。ちゃんと異世界での経営が成立すれば給料が出る筈だと仁は考えた。それまで今の手持ちが持つかわからないが、最悪はギルド登録してお金を稼がなきゃならなくなるかもしれない。
「夜、慈愛に相談してみようか。今後の事も含めて」
2日間の馬車旅で疲れたのか、今日は街の探索はせずに食事まで各々の部屋で休むことに決めた。
◇◇◇
シルバーローズ・ホテルで用意された食事を済ませ、慈愛との通信に入る。
まずはレイクサイドで購入した香辛料が無事に届いたと報告を受けた。慈愛に以前用意してもらったブーボ肉の一部は冷凍保存されており、それらを用いて開発課で色々な商品の提案をしているそうだ。
そして畑の作物も順調に育っている事と、川には魚が現れ、釣り部隊も結成したと聞いた。
次に、仁と真那からはウィスドムホールまで馬車で来た事、夜にグリムウルフの襲撃があった事を話し、最後にお金の相談をした。
「うむ、冒険者ギルドの登録はあまりオススメできないのぉ。何かとギルドに行動を制限される事もある。討伐の緊急招集とかな。そもそもお主たちは<落ち人>じゃ。素性がバレでもしたら厄介な事になるしの」
「給料貰えないと野垂れ死んでしまうよ」
ボソッと仁が愚痴を言うと、慈愛は険しい顔を向けた。
「もう前借りで二人には給料を渡したからしばらくは出んぞ」
出発前に貰ったお金は給料だと聞いて「え!?」という顔を二人はした。慈愛は世の中そんなに甘くないぞと付け加えた。
「仁、そして真那、よく聞くのじゃ。宿に泊まるお金がなければ野宿をする、腹が減ったら狩りをして食べる。ここはそういう世界なのじゃ。元の世界の常識は通用しない。しかしそんな世界でも二人の力量なら問題ないと思っておるぞ」
確かにまだ甘えていたかもしれない。
普通に宿があれば泊まるのが当たり前と考えて、食事も自炊などほとんどしていない。半分以上は外食をしていた。
それに二人が代表して旅をしているからと言って、他の羽曽部食品の従業員が何もしていないわけはない。二人に期待をしながら日々の生活や起業に向けての準備をしている。慈愛の後ろには仁と真那を見守る多くの瞳が向けられていた。
何となく重い空気のまま通信は終え、仁はフーっとため息をつく。
仁はこれからの相談をしようと真那をそのまま共有スペースに残した。二人は木製の丸テーブルに向かい合わせに座り、仁が話し始める。
「明日の情報収集について、元の世界に帰る方法を図書館で調べるのは予定通りだけど、冒険者ギルドにも行こうと思う」
「でも慈愛がオススメしないって?」
「いや、登録する訳ではない。素材の買取であれば登録してなくても出来るとイーサンは言っていた。ギルドカードが無い場合の支払い方法が不明なのでそれも確認するが、まずはどんな素材が買い取り対象なのか調べようと思う」
「うん、そうですね。須沖課長の考えに付いていきます!」
真那は真面目な顔で「仁」ではなく「須沖課長」と呼んだ。仁が真剣な顔をして相談してきたからであろう。真那にとっても意見を押し付けられるだけでなく、ちゃんと相談をしてくれたことに敬意を払って答えたのだ。先ほど仁の腹を肘で突いた時とは別人のようであった。
二人はこういう時の波長がよく合う。真剣な時はお互いが真剣になり、ふざけている時はお互いでふざける。この組み合わせがいつもカチッとハマることで、二人は昔から上司と部下の間柄でも気が合いやすいのであった。
◇◇◇
場所は変わり羽曽部食品の本社棟にある大会議室、仁と真那との通信も終わり、それを後ろで見ていた従業員が大会議室をあとにする。
慈愛は今もこの大会議室で寝泊まりをしていた。既に会社に置いてあった資料室の本も読み漁ってソファー周りに散らかっており、今では読むものもなくなって機械のマニュアルなんかも読んでるぐらいであった。
一通り従業員が退出したかと思っていたが、3人の若い男の従業員が残っていた。それに慈愛が気付き、視線を送った。
「石原、川橋、植野と言ったか。何用じゃ?」
慈愛は3人の名前を憶えていた。この3人の名だけでない。従業員全員の名前を覚えているのであった。それは会社の顧問となった慈愛にとっての礼儀であり、また人対人で接するに必要なことだと考えていた。
顧問になるまでは名前など覚える気も更々なかったが、顧問となってからは作業の巡回をしながら全員の名前を覚えていたのだ。
298名全員の名前を憶えているのは慈愛だけだろう。部署が違えば接することもなく、仁や真那においても顔は知っているが名前を知らない人がほとんどである。
「慈愛顧問!僕ら3人も旅に出て皆の役に立ちたいです!」
この3人、実は羽曽部食品が異世界に転移したばかりの頃、何も考えずに外に飛び出してプテラノドンに発見された工場勤務の3人であった。
「もう一度スキルを見てください!何か旅立つ運命を感じたんです!」
「ん?ゼロじゃ。お主らはスキルを持っておらん。役立つのが目的ならここで役に立つ事だって出来るじゃろ?」
「で・・・でも、今旅に出てる須沖課長より若くて体力もあるし、女性の岡宮さんよりも我々の方が男だし役に立つはずです!」
「そうか、なら適性があるか見てやろう。[GOGO!55!VRセイバー]というゲームをやってもらう」
慈愛は慣れた対応でVRセイバーを起動させて3人に木刀を持たせた。
本来、敵であるスケルトンは本物の武器を持っているが15歳未満の設定にしてあり、武器は本物ではない事を伝えた。
また、本来は一人ずつだが、3人同時でチャレンジしても良いと。全部で10ステージあり全てクリア出来たら3人の希望を譲歩してやろうとも話した。
ウキウキでVRセイバーに挑む3人。
しかし・・・。
ステージ2で3人ともギブアップした。床に息を切らせながらへばっていた。
「ちなみにスキル持ちの須沖仁は本当の刃を相手に無傷でオールクリアした。スキル有る無しとはこういう事じゃ。仮に魔法のスキルレベル1の生まれたばかりの赤ん坊がいるとしよう。殺意を向けたとたんに赤ん坊は自衛のために何かしらの魔法を発動するかもしれん。それが初歩的な炎の魔法だとしてもスキルを持たないお主らは丸焦げじゃ」
あくまで例えとして慈愛は言った。さすがに0歳の赤ん坊が魔法を使うとは考え難いが3人を納得させるために、そう話したのであった。
3人は思い知らされたかのようにガックリしていた。
実はこの3人だけでなかった。
仁と真那が旅立ってから数名が慈愛に同じようなことを持ち掛けて来たのだ。異世界に旅立ち、冒険する事を夢見る従業員は少なからずいる。
「仁と真那だけが特別ではない。ここにいる皆がそれぞれ適材適所で力を発揮するのじゃ」
3人をやれやれと慈愛が宥めていると一人の女性が大会議室に入ってきた。
「あー、こんな所にいた!点呼してもいないんだから!」
その声は工場QCでもあり、真那の同期でもある豊川ちはやだった。
異世界に漂流後の羽曽部食品では、就寝前に必ず点呼を取る決まりがあるのだ。
「豊川か。お疲れじゃ。では3人を連れて寝る準備をするのじゃ。わしもそろそろ寝るぞ」
豊川に連れられ、3人は落ち込みながらも慈愛にお礼を言い、大会議室を去った。
以前、豊川は自身が英雄になることを望んでいた。夢にまで見た異世界での冒険、そしてその末に得られる名誉と栄光。しかし、彼女はスキル持ちとして選ばれなかった。その現実は彼女の胸に深い傷を刻んだ。
仁と真那が旅立ってからというもの、豊川は普段通りの装いをしていた。まるで何事もなかったかのように日常を過ごしていたのだ。それが選ばれなかったことに対して吹っ切れた心情から来るものかどうかは誰にもわからなかった。
先程とは違い静かになった大会議室で、慈愛はネフィリアの杖を置いてソファーに体を預ける。
しかし目を瞑り寝ようとはしない。適当に転がっている機械のマニュアルを手に取り、慈愛は掛かれている文字を目で追っていく。
慈愛はほとんど寝ない。
眠りに抵抗しているように本を読み続ける。それでも眠りに落ちてしまうと魘されながら目を覚ます。
それを昔から繰り返しているのを、ネフィリアは心配そうに見守っていたのだ。




