第44話 風呂の完成
異世界に転移して18日目。
工場の設備課は以前より構想中であった風呂の制作を開始していた。
なるべく電気を使わずに風呂を皆に提供したい。そう考えた設備課の面々は、まず浴槽の代わりにと工場設備であるボイル槽を使用することに決めた。
このボイル槽というのは、3メートル四方のステンレス鋼製で作られ耐久性があり、外観は巨大な四角い桶のようで、底部には加熱装置が設置されている。この熱媒体を使用して加熱をおこない槽内の水を沸騰させ、食品の加熱調理や殺菌が行われる。
しかし、熱媒体に使われる蒸気はボイラーと言う設備を使用して蒸気を作り出し送り込まなければならない。そのボイラーを動かすにも電気はもちろん燃料が必要になる。
熱媒体はやはり薪を集め、自然の燃料を使ってお湯を沸かすことに決めた。同時に複数のドラム缶でお湯を沸かし、それを順番に槽へと流し込んでいくという手法だ。
ボイル槽は不要な装置を全て取り除かれ、外の車庫へと運び出された。車庫の後ろ斜め上には5本のドラム缶が設置され、これらを手動で斜めに倒すための装置を手作りで設置した。この装置はてこの原理を利用しており、ドラム缶を簡単に傾けられる。さらに、その先には三角錐状の器具を設置し、お湯を効率的に回収できるようにした。配管を通じて浴槽にお湯が流れ込む仕組みである。
このシステムによって、複数の人が同時に入浴できる銭湯のような環境が整えられた。5~6人がまとめて入ることができ、次々と沸かしたドラム缶のお湯を継ぎ足していけば、温度も適切に保たれる。
このお湯の継ぎ足し方法は、現代社会の貧しい国で採用されている手法でもあった。複数人が同じ浴槽を使うと不衛生になりがちだが、配管を通じてお湯を浴槽の下部から継ぎ足し、上部からオーバーフローさせることで、一定の清潔さを保つことができる。
さらに、この車庫内に浴槽が収納されているため、シャッターを閉めればプライバシーの問題もクリアされる。
お湯を沸かすための人手は必要だが、男性が十分にいるため、交代でこの作業を担当することにした。女性たちは薪拾いを担当する事となり、日々の作業は「ドラム缶隊」と「薪拾いチーム」に分けて行われるようになった。
こうして、着々と風呂の製造が進められ、ついに完成の時を迎えたのだった。
◇◇◇
夕暮れが迫る中、大会議室では慈愛が異世界のことを仁と真那に話していた。壁には低く落ちた陽光が長い影を伸ばし、二人は慈愛の言葉に耳を傾けていた。
「まず、目指す場所は[レイクサイド]じゃ」
その名を聞いて、仁と真那は互いに顔を見合わせた。
この森から最も近い街であり、以前にクワやシャベルを調達した場所でもある。その街は東に向かい、湖が見えたら近くにあるという。
「道中はなるべく野宿は避けることじゃ。簡易的な結界を真那が覚えれば別じゃが、寝ている時に襲われる可能性があり危険じゃ」
真那は真剣な面持ちで頷いた。彼女の魔法の力が、これからの旅で重要な役割を果たすことは明らかだった。
「次に向かうのは[ウィスドムホール]という街じゃ」
慈愛の声に一瞬の静寂が落ちる。ウィスドムホールはこの世界でも屈指の大都市で、世界中の知識が集まると言われている場所だ。そこには巨大な図書館があり、調べ事には最適な環境が整っている。
「この街で元の世界に帰る方法を探すのじゃ。そして、そこから先は自分たちで考え、行動してもらおう」
慈愛の言葉は厳粛であり、二人にとっては指針でありながらも、今後の冒険へのプレッシャーを感じさせるものだった。
そんな話をしていると大会議室をノックする音が聞こえる。ノックしたのは工場QCの豊川ちはやだった。
ちはやの顔を見た瞬間、真那の胸が一瞬ドキッと高鳴った。彼女は自分がスキルを持っていると信じ、いつか旅に出るものだと思い込んでいたからだ。しかし、その役割を選ばれたのは自分自身。ちはやの願望を唯一知っていた真那は、少しばかり気まずさを感じていた。
しかし、それは真那の杞憂に過ぎなかった。ちはやはいつも通りの明るい笑顔で大会議室に入ってきた。ちはやは土屋工場長からの命を受け、風呂の完成を三人に伝えに来たのだった。そして、皆が世話になっている慈愛《《顧問》》と、これから旅立つ二人に最初に入ってもらいたいという意向を伝えに来た。
仁が興味深げに尋ねた。
「おお、風呂に入れるなんてありがたいが、豊川さん、何で慈愛が顧問なんだ?」
仁と真那は大会議室に籠って修行していたため、羽曽部食品が異世界で商売を始める計画を知らなかったのだ。その話の流れで、慈愛が企業の経営や戦略に関するアドバイザーになったことも初めて知ることになった。
二人はその話を聞いて驚きつつも、皆がそれぞれの目標に向かって頑張っていることに感銘を受けた。
「まぁ慈愛の顧問はどうでもいいや。んじゃ真那さん、一緒に風呂でも行こうか?」
仁がニヤけた顔で誘うと、真那は目を細めてツッコミを入れた。
「ちょっと~須沖課長~。それ、セクハラですよ~」
ちはやも大笑いし、慈愛も話に乗っかってきた。「顧問の権限で仁の降格を役員会で申請しとく」などと言い出した。仁は「冗談でも変な発言したら人生が変わる怖い世の中になったもんだ」と笑いながら言い訳をし、同じように大笑いした。
大会議室は笑い声に包まれ、しばしの間、修行の重い疲れも忘れることができた。
◇◇◇
夜になり、仁は一番風呂に選ばれ大きな浴槽を独り占めしていた。仁は大の字になって湯船にプカプカと浮かびながら、車庫の天井を見つめていた。
明後日には旅立つのだ。ここにいる皆ともしばらくお別れだ。
ゆっくりと湯船に浸かり、風呂を満喫した仁は、満足そうな顔で湯船から上がり、車庫の外に出ると、お湯沸かし担当のドラム缶隊に手を挙げて感謝の意を示した。
仁が出ると、次は慈愛と真那が二人で風呂のある車庫に入った。
真那は慈愛のプロポーションに釘付けになっていた。普段はひらひらとした服や鉄のプロテクターのような物を身に着けているので、あまり体の線が見えなかったが、慈愛はモデルのようにスラリとした長い手足を持ち、引き締まった体型をしていた。女性なら誰もが憧れる素晴らしいプロポーションだった。真那も細身で小柄、肌は白くてきめ細かく美しいが、慈愛ほどの大人のプロポーションではなかった。
「おや、わしに見とれてるのか?真那だって仁のようなおっさんに好まれそうな体形じゃ」
「ちょ、やめてくださいよ」
真那は恥ずかしそうにして湯舟に隠れるように身を沈めた。
「そういえば真那と初めて会ったとき、わしにかなり鋭い眼光を向けていたの~。仁をからかった時じゃ」
「え、あ、その節はすみません。気にしてました?」
「いや、そんな細かいことは気にせん。でもまさか最初に出会った<落ち人>二人がこの企業の命運を握ることになるとは思いもよらなかったがの」
真那は他の誰でもない、上司でもあり何でも言い合える仲であった仁が旅のパートナーで良かったと感じていた。慈愛は二人ならどんな困難も乗り越えれるだろうと、話を聞いていた真那に湯舟を手でバシャッと笑いながら掛けた。真那も笑顔で湯舟の水面をはじくようにして慈愛に湯を飛ばし返した。
その後、従業員が5名の班決めをして交代で風呂に入る。一度に全員は無理な為、3日に1回の頻度で入ることになった。風呂に入れない2日間は今まで通りお湯で身体を拭くだけとなる。
風呂の時間も30分と決められた。お湯沸かし担当のドラム缶隊も交代で行い、その日の一番最後に入る取り決めとなった。
女性従業員は自分が入る日には薪を集める係を担当する事となる。
水路作りが一段落した今、従業員たちはこうして個々の役割を与えられ、農作業や機械のメンテナンスに励んでいく。
こうして異世界転移した羽曽部食品にも風呂の仕組みが構築され、この異世界サバイバル生活が更に一歩前進した形となった。




