〈 16の春 scene 10 〉希求
夏休みの直前に行われた三者面談は、綾さんに来てもらった。
仕事のこともあるけど、父さんだと、まず話し合うところから始めないといけなかったから…
それで綾さんに電話をかけて面談の話をした。
「…そういう訳なんだけど、頼める?」
綾さんはしばらく黙っていたので、やっぱりダメかな、と思った時だった。
「行きます!蒼さん、ありがとう!」
聞いたことのないくらい、元気な綾さんの返事が返ってきた。
「ごめんなさい、ちょっと、びっくりしすぎて…。
でも嬉しいです」
「よかった。急だったから」
ふだんはどちらかと言えば、あまり感情を表に出さない綾さんが、あんなに嬉しそうな声を出すなんて…
─まあ、これも親孝行、みたいなもの…?
少しずつでも前に進めてることが、俺自身もとても嬉しかった。
事前の希望調査票には教師になることを書いた。志望大学は見学をしてから決めるつもりだった。
「教師か。小学校か?」
田島先生は、俺の資料を見ながら聞いた。
「いえ、まだそこまでは…」
「そうか。中学・高校なら教科によっては教育学部以外でも取得できるぞ。小学校が一番大変だからな」
「そうなんですね…」
まだイメージがわかなかったが、小学校を志望しておいた方が、いいのかな…と思った。
─というより、俺が何をしたいのかを決めるのが先かもしれないな…
「蒼さんは、小さい子の方が合ってる気がします」
綾さんが遠慮しながらも意見を言ってくれた。
「そう?」
「なんなら保育士でもいいかも…」
─保育士か。想像できないなあ…
「そうだな。そんな気はするな、確かに」
田島先生も声を揃えた。
「俺は…末っ子だし、大きくなってからも小さい子と遊んだりもしたことないんだけど」
「おまえ自体が子どもみたいなもんだけどな」
からかってるのかと思ったが、先生は真面目な顔で言った。
「向き不向きってやっぱりあるからな。おまえは子どもの目線で考えられるやつだと思う」
「子どもの、目線…?」
「子どもの気持ちに寄り添えるってことだよ。指導することは勿論必要だが、共感する力もないとな」
俺は、いつも航に助けられてきた。人の気持ちに寄り添ってるのは、航だよね…?
「それって俺より航のことじゃないですか」
「おまえもできてるよ」
「え?」
「ひとつのことに囚われると、全体が見えなくなってしまうのが欠点だが、その資質は十分あると思う」
先生がこんなに俺を褒めるのを初めて聞いた。
─いつものダメ出しは何なんだよ…
褒められて悪い気はしないけど、複雑な気持ちだった。
「通学は、どうするんだ?」
「航のお兄さんが住んでるマンションに、また三人で住む予定なんです。お兄さんが引っ越してしまう可能性は、あるかもしれませんけど」
「そこから通える範囲ってことか。まあ、都内か、せいぜい東京寄りのところだな」
「夏休みにいくつか見学してみる予定です」
「期末はだいぶ頑張ったな。このままなら心配はいらないだろう」
出生のことは、受け止めきれてはないけど『今の俺』を必要としてくれる航がいると思うと、心強かった。
そして何よりもメンタルが安定したせいか、あんなふうに落ち込むことはなくなっていた。
「そういや、バスケ部に入ったんだってな。やっと充実してきたんじゃないか?」
「またバスケ部に?」
綾さんが驚いた。
「うん、同級生に誘われてね」
「そうですか、よかった。あのケガをした時の蒼さんも痛々しくて見てるのつらかったから…」
─心配ばかりさせてるんだな、俺は
「あの頃みたいな体育会系じゃなくてさ、同好会みたいなノリだけど、楽しくやってるよ」
「ご飯は、ちゃんと食べてますか」
「大丈夫、食べてるよ。小学生じゃないんだから…」
和やかに面談は終わった。
綾さんを昇降口で見送って寮に戻ると、ロビーのテーブル席で田島先生と航が話していた。
「しかし、綾さんはキレイな人だな」
「何ですか、急に。オヤジみたいですよ」
「いや、似てるなあと思ってさ、おまえと」
「…そう、ですか?」
今まで一緒に過ごしてても、誰にも言われたことがなかった。自分では父さん似だと思っていたくらいだ。
「僕も二人が並んでるのをあんまり見たことなかったけど、さっき話してるのを見たら、『あ』って思った」
航も不思議そうに言った。
「…親子だってわかったからじゃないの?」
「いや、そっくりと言うよりは、ふとした仕草とか、感じが似てるんだよ。特に目とか」
「ふーん…」
今さら綾さんに似てるって言われても、何だかくすぐったい感じだった。
「明日は渡部の番だな。お兄さんが来るって?」
「はい。すみません、二人とも忙しいのもあって…」
「気にするな。優等生の顔を、ありがたく拝ませてもらうよ。城西高校をトップで卒業、青葉大医学部か。
絵に書いたようなエリートコースだな」
「ホント、それです。誰でもよくわかる、みたいな」
田島先生がどんな人かわかってきたから気にならないけど、言葉だけ聞いてたら、航にとっては嫌味にもなりかねない。だけど航は、むしろ楽しそうにやり取りを交わしていた。
「僕には青葉は無理ですから。背伸びしなくても入れるところで頑張ります」
「結局どこで学ぼうが、大事なのは自分のやる気だからな。それさえあれば大丈夫だ。しかし、お前たちも大変だな。よくグレないな」
「俺は、航がいたから…」
俺はちらっと航を見た。航も俺の方を見て笑った。
「僕も蒼と兄のおかげです。それに去年の夏に出会った人に励ましてもらったのもあります」
「その人が医者だったって?」
「はい。その人みたいになりたくて。単純ですよね」
「まあ、いいじゃないか。何がきっかけになるかわかんないもんだよな」
「先生は、何で教師になったんですか?」
航が聞いた。俺も聞きたいと思っていた。
「…もう、若い頃のことなんて忘れたなあ」
先生はごまかすというよりも、言葉を選んでいるみたいだった。背もたれに寄りかかって、遠い目をした先生は、いつもと違う、俺たちの知らない顔をしていた。
「…救えなかった人がいたんだ。もう二度と誰にもそんな辛い思いをさせたくないと思ったから、かな。遺す方も、遺される方も」
「そうだったんですか…」
俺はかろうじて言ったけど、航は何かを知っているみたいだった。
「…同い年の従弟だった。高校1年の時にな」
こんなに弱気な先生を見たのは初めてだった。それに先生が、そんな姿を俺たちに見せたことも驚きだった。
そして、不意に思い出した。
─あの、ジャスミンの花は…
「いや、悪い。いい大人が弱気になって」
残っていたコーヒーを飲み干すと、先生は立ち上がった。
「不思議なんだよな。そんなにしっかりしてるわけじゃないのに、どっちかって言うとまだ子どもなのにさ、お前たちといるとほっとするっていうか、つい本音が出るんだよな」
俺と航は顔を見合わせた。
「こんな話、生徒にしたことないし。俺のアキレス腱だぞ」
先生は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「…星野も言ってたよ。耳のこと、興味を示したのは桧山が初めてだって。それで自分のことをおまえに話そうと思ったそうだ。あいつも最初はおまえみたいに一人で抱えてたからな」
─そうだったのか。諒介は俺を信じてくれたってこと
「だから、ただの興味本位なのか、手助けしてやりたいと思って言ってるのか、何となくわかるんだろう」
『俺だって、相手の役に立つこともあるからさ』
諒介の得意気な笑顔と、先日の3×3を思い出していた。俺はもう、諒介に助けてもらったよな…
「あの…っ」
校舎に戻ろうとした先生に、俺は思いきって声をかけた。
「ジャスミンの花、きっと毎年喜んでると思いますよ」
先生は驚いた顔で振り向いたが、何も言わずに微笑んで俺の頭を軽くポンとたたくと、そのまま歩いていった。




