第5話 「人が好き」な女の子
月曜日の朝、ひまりは何事もなかったように教室へ入ってきた。
「おはよー!」
その一声だけで、教室の空気が少し明るくなる。
「夏川、おはよう。」
「もう平気?」
「うん、大丈夫!」
何人かが安心したように笑う。
ひまりもいつもの調子で机へ鞄を置くと、美咲がすぐ隣へやって来た。
「ほんとに無理してない?」
「してないって。」
「顔色見せて。」
「何それ。」
美咲はひまりの頬を両手で挟み、じっと顔を覗き込む。
「……うん、今日は元気そう。」
「だから元気だって。」
「よし。」
二人は顔を見合わせて笑う。
その様子を見ていた周りの女子も、「過保護すぎ」と笑っていた。
遼は自分の席へ座りながら、そのやり取りを眺める。
美咲は本当に心配しているらしい。
昨日の話し方は少し軽く聞こえたが、それは慣れているだけで、突き放しているわけではないのだと分かった。
一時間目が終わると、ひまりはいつものように教室を歩き回り、誰かと話しては笑い、また別の席へ移っていく。
その姿だけ見れば、ごく普通の女子高生だった。
「すげえな。」
榊が感心したように呟く。
「何が。」
「転校してまだ三週間くらいだろ。もうクラス全員と喋ってるじゃん。」
「そうだな。」
「俺なんか一年かかったぞ。」
「一年でも早い方じゃない?」
「そうか?」
「たぶん。」
榊は照れ臭そうに笑う。
そのとき、教室の前からひまりの声が聞こえた。
「榊くーん!」
「え、俺?」
「プリント回して!」
「はいはい。」
榊は苦笑しながら立ち上がる。
「ほら。」
遼へ小声で言う。
「こういうとこなんだよ。」
確かにそうだった。
誰にでも頼める。
誰とでも笑える。
だから自然と人が集まってくる。
遼には、それが少し眩しく見えた。
昼休みになると、美咲がひまりの机を軽く叩いた。
「購買行こ。」
「パン?」
「焼きそばパン残ってるかな。」
「競争じゃん。」
「負けない。」
二人は笑いながら教室を飛び出していく。
遼も少し遅れて購買へ向かうため席を立った。
廊下へ出ると、前の方から「急げ急げ!」という二人の笑い声が聞こえてくる。
その声を追いかけるように歩いていると、階段の踊り場でひまりたちの姿が見えた。
「もう売り切れだったら美咲のせいだからね。」
「まだ始まって一分だよ?」
「油断すると終わるって。」
「ひまりの食への執念すご。」
二人は笑いながら階段を駆け下りていく。
その光景を見ていると、昨日まで保健室へ運ばれていた人物と同じ人間だとは思えなかった。
少なくとも、今は。
ただ、笑っている普通の女子高生にしか見えなかった。
昼休みを終えた午後も、ひまりは変わらなかった。
授業中は真面目にノートを取り、休み時間になれば誰かと話し、笑い声の中心にいる。昨日まで保健室へ運ばれていたことなど、本人も周囲も少しずつ忘れ始めているようだった。
遼も、その様子を何度か目で追ってしまう自分に気付いていた。
可愛いから。
それもある。
明るいから。
それもある。
ただ、それだけではない気がした。
何かを考えかけるたび、「考えすぎか」と自分で打ち消す。答えの出ないことを考えるのは好きではなかった。
放課後、担任が文化祭実行委員を決めると言い出した。
「立候補いるか?」
教室が静かになる。
誰も手を挙げない。
面倒なのだろう。
遼もそう思った。
「はい!」
元気よく手が挙がる。
ひまりだった。
「やりまーす。」
「助かる。」
担任はほっとしたように笑う。
「あと一人。」
再び静かになる。
「男子一人欲しいんだけど。」
誰も動かない。
「榊。」
「え、俺?」
「頼む。」
「いやいやいや。」
榊は必死に首を振る。
「俺そういうの向いてないです。」
「じゃあ秋月。」
突然名前を呼ばれた。
「俺?」
「お前暇そうだし。」
「理由になってないですよ。」
教室が少し笑う。
「じゃあ多数決で。」
「それもっと嫌です。」
結局、男子は別の生徒が引き受けることになった。 ひまりは「よろしくね」と笑いながらその男子へ声を掛けている。
「夏川ってすごいよな。」
帰り支度をしながら榊が言った。
「ああいうの普通立候補しないだろ。」
「目立つの好きなんじゃない。」
「いや、目立ちたいっていうか。」
榊は少し考える。
「人と関わるのが好きなんだろうな。」
遼はその言葉に妙に納得した。
確かにひまりは、人が好きなのだ。
だから誰とでも笑う。
誰とでも話す。
誰とでも同じ距離まで近付いていく。
その日の帰りも、美咲と並んで校門を出る姿が見えた。
何か話している。
美咲が笑う。
ひまりも笑う。
その光景だけ切り取れば、ごく普通の高校生の日常だった。だからこそ、遼は昼休みの集合写真を思い出す。笑っていた人が、突然笑わなくなった。あれだけは、どうしても頭から離れなかった。




