第4話 フラバ
その週の金曜日、六時間目は体育だった。
男子はグラウンドでサッカー、女子は体育館でバレーボールと分かれ、九月とは思えない強い日差しの下で授業が始まる。
遼は運動が得意でも苦手でもない。
ボールが来れば蹴る。
守る。
走る。
それだけだった。
「秋月!」
榊のパスが転がってくる。
トラップしようとした瞬間、相手チームに奪われ、そのままゴール前まで運ばれてしまった。
「ナイスアシスト!」
「うるせ」
笑い声が上がる。
試合はそのまま続き、授業終了の笛が鳴る頃には全員汗だくだった。
更衣室で着替えを済ませて教室へ戻る途中、体育館の前を通りかかる。
女子も授業が終わったらしく、ちょうど出てくるところだった。
「あっ、秋月くん!」
ひまりがこちらへ気付いて手を振る。
額には汗が滲み、髪が少し乱れていた。
「サッカー勝った?」
「負けた」
「弱っ」
「そっちは」
「三勝一敗!」
「強いな」
「でしょ」
そう言って笑う。
昨日まで休んでいた人とは思えないくらい元気だった。
そのときだった。
「ひまりー!」
後ろから女子が駆け寄ってくる。
少し日焼けした肌に短めのボブ、活発そうな雰囲気の女子だった。
「置いてくなよー」
「ごめんごめん」
「また男子と喋ってるし」
そう言いながら、ひまりの肩へ腕を回す。
「秋月くんだっけ?」
「うん」
「ひまりがお世話になってまーす」
「いや、別に」
「この子、人懐っこすぎるからさ。変な男に騙されないか心配なんだよね」
「ちょっと、それ失礼」
ひまりが苦笑しながら肩を軽く押す。
二人はそのままじゃれ合い始めた。
見ているだけで、本当に仲がいいことが分かる。
「じゃ、先戻ろ」
「うん」
二人は並んで歩き出す。
数歩進んだところで、その女子が何かを思い出したように振り返った。
「あ、そうだ」
いたずらっぽく笑う。
「今日はフラバしなかったじゃん。」
一瞬だけ、ひまりの笑顔が止まる。
ほんの一瞬だった。
すぐに「もう、それ言わないでよ」と笑い返し、二人はそのまま教室へ戻っていった。
遼は、その言葉だけが耳に残った。
フラバ。
聞いたことのない言葉だった。
「何だ、フラバって」
隣で榊も同じことを思ったらしい。
「さあ」
遼は短く答える。
教室へ戻る廊下を歩きながらも、その三文字だけが頭の中で何度も繰り返されていた。
その日の放課後、部活動へ向かう生徒たちが次々と教室を出ていき、さっきまでの賑やかさが少しずつ落ち着いていく。
遼も帰る支度をしていると、教室の前方から元気な声が聞こえた。
「ひまりー。」
あの女子だった。
「帰ろ。」
「ごめん、美咲。ノートしまうからちょっと待って。」
「はいはい。」
美咲はひまりの机へ寄り掛かると、退屈そうに教室を見回し、そのまま遼と目が合った。
「あ。」
少しだけ考えるような顔をする。
「あ、秋月くんだ。」
「うん。」
「ひまりが話してた。」
「俺のこと?」
「窓ばっか見てる変な人って。」
「ちょっと!」
ひまりが笑いながら美咲の腕を軽く叩く。
「そういう言い方してないから。」
「でも変な人って言ってたじゃん。」
「そこだけ切り取らないで。」
二人は顔を見合わせて笑った。
仲がいい。
転校してまだ二週間も経っていないはずなのに、昔からの友達みたいな空気があった。
「そういえば。」
美咲がふと思い出したようにひまりを見る。
「今日はもう平気なの?」
「平気平気。」
「ほんと?」
「うん。」
「昨日はびっくりしたんだから。」
その言葉に、ひまりは少しだけ困ったような笑顔を浮かべた。
「ごめん。」
「まあ別にいいけどさ。」
美咲は肩をすくめる。
「転校してきてからもう三回目くらい?」
「……そんなにだっけ。」
「そんなに。」
指を折って数え始める。
「先週の保健室と、この前の朝礼と、それで昨日。」
「あー……。」
ひまりは小さく苦笑した。
「覚えてないや。」
「私は覚えてる。」
美咲は笑いながらそう言う。
「急に固まるからさ。最初、本気で倒れるのかと思ったもん。」
「ごめんって。」
「謝んなくていいけど。」
そこまで言うと、美咲は少しだけ真面目な顔になった。
「でも、あんまり無理しないでよ。」
「うん。」
「ちゃんと保健室行くんだよ?」
「分かってる。」
そのやり取りを聞きながら、遼は二人を眺めていた。
昨日だけではなかったらしい。
転校してきてから、少なくとも何度か同じことが起きている。
だから美咲は驚いていない。
心配はしている。
でも、少し慣れている。
その距離感が、遼には少しだけ不思議だった。
「じゃ、帰ろ。」
美咲がひまりの腕を軽く引く。
「寄り道してアイス食べたい。」
「また?」
「いいじゃん。」
「太るよ。」
「ひまりも付き合うんだから一緒。」
「えー。」
二人は笑いながら教室を出ていった。
廊下へ消えていく笑い声を聞きながら、遼は鞄を肩へ掛ける。
美咲の言葉が頭の中に残っていた。
転校してきてから、三回。
それは決して珍しい出来事ではない。
少なくとも、ひまりにとっては。




