第48話 それも知らない
二十八日、美咲たちは予定通り三人で出かけた。
映画を見て、昼を食べて、駅ビルを回った。特別なことをしたわけではない。琴音が欲しがっていた服を見て、紗奈が試着を勧められて断れなくなって、美咲がそれを笑った。夕方にはカフェに入り、三人で撮った写真をそれぞれSNSに載せた。
ひまりから反応が来たのは十分もしないうちだった。
『いいなー!』
琴音がそれに気付いた。
「あ、ひまり。」
「何?」
「写真。」
美咲もスマートフォンを見る。ひまりは琴音の投稿にも、紗奈の投稿にも反応していた。
『楽しそう』
『紗奈それ買ったの?笑』
『次私も行きたい!』
いつものひまりだった。
「今度は四人で行く?」
琴音が言った。
美咲はすぐには答えなかった。
「……まあ。」
「ひまり、前も行きたいって言ってたし。」
「うん。」
紗奈がストローをくわえたまま、美咲を見る。
「でも今回、ひまりが自分で行かないって言ったんでしょ?」
「そう。」
「じゃあ別に、美咲が気にすることじゃなくない?」
「気にしてないよ。」
「ならいいけど。」
琴音がひまりへ返信する。
『今度行こー!』
すぐに既読がついた。
『行く!!』
美咲はそのやり取りを見ていた。別に嫌ではなかった。次は四人で行けばいいと思った。ひまりが来たいなら来ればいい。自分から拒むつもりなんてなかった。
ただ、自分から誘いたいとも思わなかった。
冬休みが終わっても、その距離はほとんど変わらなかった。
「ひまり、これ提出今日だよ。」
「え、嘘。」
「黒板に書いてあるじゃん。」
「見てなかった。」
「早くやりなよ。」
「琴音様、見せて。」
「嫌だよ。」
「お願いします。」
「自分でやって。」
「冷たい!」
ひまりが笑いながら琴音の腕を掴む。琴音も笑っていた。少し離れたところで紗奈も「それ昨日やるやつでしょ」と呆れている。
美咲はその様子を見ながら、自分のノートを鞄へしまった。
仲が悪いわけではない。
それは今も同じだった。
ひまりは琴音とも紗奈とも普通に話す。美咲とも話す。四人で笑うことだってある。それなのに昼休みになると、ひまりは遼と榊のところへ行った。
誰も呼ばなくなったからだった。
そして、ひまりも来なくなった。
ある日の昼休み、琴音が弁当を広げながら言った。
「今日さ、帰りゲーセン寄らない?」
「いいよ。」
紗奈が答える。
「美咲は?」
「行く。」
「ひまりはどうする?」
琴音が何気なく言った。
三人の視線が、少し離れたところへ向く。ひまりは遼の机に肘をついて何か話していた。遼が嫌そうな顔をして、ひまりが笑っている。榊は横でパンを食べていた。
美咲はしばらく見てから、弁当へ視線を戻した。
「いいんじゃない?」
「誘わなくて?」
「秋月くんたちといるし。」
「放課後は別じゃない?」
「行きたかったら来るでしょ。」
琴音が少し黙った。
紗奈が箸を動かしながら言う。
「……まあ、毎回こっちから聞くのも変じゃない?」
「だよね。」
美咲は答えた。
琴音も「そっか」と言った。
それで話は終わった。
放課後、三人が鞄を持って教室を出ようとすると、ひまりが気付いた。
「帰るの?」
「うん。」
「三人で?」
「ゲーセン寄る。」
琴音が答える。
「え、いいな。」
「ひまりも来る?」
琴音が聞いた。
美咲は何も言わなかった。
ひまりは一瞬だけ三人を見た。
「……いいの?」
「別にいいよ。」
琴音が答える。
「でも秋月くんと帰るんじゃないの?」
美咲が言った。
ひまりが美咲を見る。
「今日は約束してないよ。」
「そうなんだ。」
「うん。」
少しだけ沈黙した。
「じゃあ行こうよ。」
琴音が言った。
「うん。」
ひまりは笑った。
四人で学校を出た。
最初は普通だった。琴音がずっと喋り、紗奈が突っ込み、美咲も笑った。ひまりもその中に入った。ただ、駅へ着く頃には、ひまりの知らない話が増えていた。
「この前のあれ、結局どうなったの?」
「買わなかった。」
「絶対買うと思った。」
「美咲も買えって言ってたじゃん。」
「だって似合ってたし。」
「何の話?」
ひまりが聞く。
「冬休み。」
「ああ。」
「紗奈が服試着したんだよ。」
「写真ある?」
「あるよ。」
琴音がスマートフォンを出す。
「見たい。」
ひまりも覗き込んだ。
「似合うじゃん。」
「でしょ?」
「買えばよかったのに。」
「高かったの。」
「いくら?」
会話には入れた。
何も問題はなかった。
それでも、ひまりは自分が一つずつ質問しなければならないことに気付いてしまった。
何の話。
いつの話。
誰の話。
以前なら知っていたことを、今は知らない。
ゲームセンターに着くと、琴音がプリクラを撮りたいと言った。
「四人で?」
「せっかくだし。」
「撮ろ撮ろ。」
ひまりも笑った。
狭い機械の中に四人で入る。琴音が中央へ行き、美咲と紗奈がその横へ並んだ。ひまりは一瞬、立つ場所が分からなかった。
「ひまり、こっち。」
琴音が手招きする。
「あ、うん。」
美咲の隣に入る。
画面のカウントが始まる。
三。
二。
一。
ひまりは笑った。
フラッシュが光った。
その瞬間、胸の奥が強く縮んだ。
別の光。
別の教室。
スマートフォンを構えて笑っている誰か。
『撮るよー。』
『待って。』
『何?』
『真琴も入るって。』
ひまりの呼吸が止まった。
「ひまり?」
美咲の声だった。
目の前の画面には四人が映っている。
自分もいる。
美咲も。
紗奈も。
琴音も。
「……大丈夫?」
「うん。」
「顔白くない?」
「平気。」
ひまりは笑った。
「もう一枚だって。」
画面に次のポーズが表示される。
「ほら。」
琴音がひまりの腕を引く。
「もっと寄って。」
「狭いって。」
「入らないから。」
四人の肩が触れた。
フラッシュ。
今度は大丈夫だった。
機械から出ると、ひまりは小さく息を吐いた。
「久しぶりに撮った。」
「この前撮ったじゃん。」
琴音が言ってから、
「あ。」
と声を漏らした。
「ごめん。三人で。」
「いいよ。」
ひまりはすぐに笑った。
「何で謝るの。」
「いや、なんとなく。」
「別にいいって。」
その言葉を口にした瞬間、美咲と目が合った。
美咲は何も言わなかった。
ひまりも何も言わなかった。
その日の夜、四人のグループに琴音がプリクラの画像を送った。
『今日楽しかった!』
紗奈がスタンプを送る。
美咲も送る。
ひまりは少し遅れて、
『また行こ!』
と送った。
琴音からすぐに、
『行こ行こ』
と返ってきた。
それで終わった。
翌日の昼休み。
ひまりはいつものように弁当を持って遼たちのところへ行った。
「昨日ゲーセン行ったんだって?」
榊が聞く。
「何で知ってるの。」
「琴音が朝言ってた。」
「楽しかったよ。」
「へえ。」
「プリクラも撮った。」
「高校生っぽいじゃん。」
「高校生なんだけど。」
ひまりは笑いながら椅子に座る。
遼が言った。
「美咲たちと行ったの?」
「うん。」
「仲直りした?」
ひまりの笑顔が少しだけ止まった。
「……仲直り?」
「最近あんま一緒にいなかったじゃん。」
「喧嘩してないよ。」
「そうなの。」
「普通だよ。」
ひまりは弁当を開ける。
「昨日も四人で遊んだし。」
「じゃあいいじゃん。」
「うん。」
遼はそれ以上聞かなかった。
榊も別の話を始めた。
普通。
ひまりは心の中で、その言葉を繰り返した。
美咲とは普通。
紗奈とも普通。
琴音とも普通。
昨日は四人で遊んだ。
写真も撮った。
誰も自分を避けていない。
誰も悪口を言っていない。
何も起きていない。
教室の前で、美咲たちが笑った。
ひまりはそちらを見なかった。
数日後、放課後に美咲たちが教室を出ていくのが見えた。
誰もひまりを誘わなかった。
ひまりも何も言わなかった。
次の日も。
その次も。
たまに琴音が誘った。
ひまりもたまに一緒に行った。
四人でいる日は、普通に楽しかった。
だから余計に、何が変わったのか分からなかった。
美咲は無視しない。
紗奈も笑ってくれる。
琴音は今まで通り話しかけてくる。
ただ、三人だけで決まっていることが少しずつ増えていった。
ひまりが知らないだけだった。
それだけだった。
ある朝、教室へ入ると、美咲たちが三人で話していた。
「おはよ。」
「おはよ。」
琴音が返す。
「おはよう。」
紗奈も。
美咲も顔を上げた。
「おはよ。」
ひまりは自分の席へ行った。
鞄を置く。
後ろから三人の会話が聞こえる。
「で、日曜何時?」
「十一時でよくない?」
「予約十一時半だよ。」
「じゃあ十時半。」
ひまりは教科書を取り出した。
聞かなかった。
何の予定なのか。
どこへ行くのか。
自分も行っていいのか。
聞かなかった。
少しして、琴音がひまりの席へ来た。
「ひまり、英語やった?」
「やってない。」
「今日当たるよ。」
「マジ?」
「マジ。」
「見せて。」
「自分でやりなって。」
「お願い。」
「しょうがないなあ。」
琴音が笑う。
ひまりも笑った。
やっぱり普通だった。
その日の昼、美咲が箸を止めた。
「最近さ。」
「何?」
琴音が聞く。
「ひまり、何も聞かなくなったね。」
紗奈が美咲を見る。
「予定とか?」
「うん。」
「前は聞いてたよね。」
「聞かれたら答えるけど。」
美咲は言った。
「自分から聞かないなら、別にいいんじゃない。」
琴音は少し困ったような顔をした。
「でも、ちょっと気にしてるんじゃない?」
「何を?」
「三人で出かけたりするの。」
「だったら言えばいいじゃん。」
美咲の声は普通だった。
「この前だって一緒に行ったし。」
「まあね。」
「誘ったら来る。誘わなかったら来ない。それだけでしょ。」
紗奈がしばらく黙っていた。
「……美咲。」
「何?」
「まだ真琴って子のこと、気にしてる?」
美咲の箸が止まった。
「気にするでしょ。」
「水野さん、その後何か言ってた?」
「少し。」
「何て?」
美咲はすぐには答えなかった。
教室の反対側を見る。
ひまりが遼の弁当を覗き込んでいる。
「それ何?」
「春巻き。」
「一個ちょうだい。」
「嫌だ。」
「ケチ。」
「自分の食えよ。」
笑っていた。
何も知らないみたいに。
美咲は視線を戻した。
「……真琴って子も。」
二人が美咲を見る。
「最初は、ひまりと仲よかったんだって。」
琴音の表情が変わった。
「それから?」
「ひまりが、その子と話さなくなった。」
「何で?」
「喧嘩したから。」
「それで?」
美咲は少し黙った。
「周りも、話さなくなった。」
琴音が箸を置いた。
「それって……。」
「ひまりが無視しろって言ったわけじゃないよ。」
「じゃあ。」
「何も言わなかったんだって。」
美咲は自分でも、なぜその言葉が引っかかったのか分からなかった。
何も言わない。
誘わない。
来たいなら来ればいい。
自分から聞かないなら、それでいい。
美咲は顔を上げた。
少し離れたところで、ひまりが笑っていた。
目が合った。
ひまりが笑ったまま、小さく手を振る。
美咲は一瞬遅れて、手を振り返した。
「……美咲?」
紗奈に呼ばれる。
「何でもない。」
美咲は弁当へ視線を落とした。
気付かなかったことにした。




