↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
44/61

第44話 ひまりの秘密

 翌週。


 私は一人で駅前にいた。


 期末試験が終わった帰りだった。紗奈と琴音は先に帰っている。


 信号を待ちながらスマートフォンを見ていると、向かい側に見覚えのある顔があった。


 黒いコート。


 先週、ひまりと話していた女の子。


 真琴だった。


 ひまりがあんな顔をするのを、私は初めて見た。


 いつもみたいに笑おうとして、それでも笑えなくて。


 前の学校のことを聞いても、ひまりは何も話してくれない。


 でも、あの子は知っている。


 そう思った。


 信号が青になる。


 人の流れに混じって、私たちは互いに歩き出した。


 すれ違う。


 そのまま通り過ぎるつもりだった。


 数歩進んでから、足を止めた。


「……あの。」


 振り返る。


 真琴も振り返った。


「何?」


「あの、夏川ひまりの……。」


 真琴の表情が変わった。


「友達?」


「はい。」


 少し迷ってから言う。


「藤沢美咲っていいます。」


「……そう。」


「この前、一緒にいた。」


「覚えてる。」


「ちょっと聞きたいことがあって。」


「私に?」


「はい。」


 真琴は私を見た。


 私は一度、視線を落とした。


「ひまり、前の学校のこと話してくれないんです。」


「……。」


「転校した理由も。」


 真琴は何も言わなかった。


「無理に聞きたいわけじゃないんですけど。」


「じゃあ聞かない方がいいよ。」


 顔を上げる。


「本人が言わないなら。」


「でも。」


「あなた、夏川の友達なんでしょ?」


「はい。」


「なら本人に聞けば。」


「聞きました。」


「何て?」


「言えないって。」


「じゃあ、それが答えじゃない?」


 何も言えなかった。


 真琴はそのまま私の横を通り過ぎようとした。


「待って。」


 呼び止める。


 真琴が振り返った。


「私、ひまりのこと、ちゃんと知りたいんです。」


「ちゃんと?」


「はい。」


「……そう。」


 少しの沈黙。


「じゃあ一つだけ聞くけど。」


「はい。」


「今の学校でも、夏川って人気ある?」


「え?」


「友達多くて、いつも人に囲まれてる?」


 戸惑いながら頷いた。


「……多いと思います。」


「そう。」


「何で?」


 真琴は答えなかった。


「最近、何かあった?」


「何かって?」


「友達関係。」


 いくつかの場面が浮かんだ。


 夜の電話。


 私が差し出した手。


 秋月くんの名前を呼んだひまり。


 三つに分かれた机。


「ちょっとだけ。」


「どんな?」


「それは……。」


「誰か一人が離れたり。」


 真琴を見る。


「グループが分かれたり。」


「何で分かるんですか?」


 真琴は答えなかった。


 代わりに、ひどく嫌そうな顔をした。


「……またなの?」


「え?」


 意味が分からなかった。


「またって、どういう意味ですか。」


 駅前を行き交う人の間で、私たちだけが立ち止まっていた。


「ひまり、前にも誰かと喧嘩したんですか?」


「喧嘩。」


 真琴が小さく繰り返した。


「そういうふうに聞いてるんだ。」


「え?」


「夏川から。」


「何も聞いてません。だから知りたいんです。」


 真琴は私を見た。


 さっきまでより、その目が冷たく見えた。


「知らない方がいいと思うけど。」


「何でですか。」


「今、仲いいんでしょ?」


「……はい。」


「なら、そのままでいれば。」


 そのままでいられないから聞いている。


 仲が悪いわけじゃない。


 ひまりは今でも私に話しかけてくる。朝になれば笑って挨拶をするし、授業で分からないところがあれば聞いてくる。


 私だって、本当はそれが嬉しかった。


 昼休みにひまりがこちらへ来れば、少しだけほっとする。放課後に「一緒に帰る?」と聞かれれば、断る理由なんてない。


 それなのに最近は、そんな気持ちをそのまま見せるのが嫌だった。


 また私から誘って、また秋月くんの方へ行かれたら。


 また心配して、肝心なことだけ私には話してもらえなかったら。


 そう考えると、「一緒に食べよう」の一言すら、自分からは言えなくなった。


 だから「好きなところで食べれば」と言った。


 「来たいときに来れば」とも言った。


 本当は、来てほしかった。


 それなのに、私の知らないひまりが増えていた。


 夜のひまり。


 秋月くんにだけ見せるひまり。


 そして、前の学校にいたひまり。


「……私、ひまりに聞いたんです。」


「前の学校で何があったのって。」


「うん。」


「言えないって言われました。」


「そう。」


「でも秋月くんには、言えないことも言えるみたいで。」


 真琴が眉を寄せた。


「秋月?」


「クラスの男子です。」


「その人には昔のこと話してるの?」


「それは分かりません。」


「じゃあ、話してないかもしれないじゃん。」


「そうですけど。」


 自分でも、何を言いたいのか分からなくなった。


 知りたい。


 ただ、それだけだったはずなのに。


「私、ずっと心配してたんです。」


 真琴は黙っている。


「ひまり、たまに急におかしくなるから。息できなくなったり、何か怖がったり。」


「……今も?」


「知ってるんですか?」


 真琴は答えなかった。


「前からなんですか?」


「私が知ってる頃は、なかった。」


「じゃあ、前の学校で何かあったんですよね。」


 真琴が目を逸らした。


 それだけで十分だった。


「何があったんですか。」


「本人に聞いて。」


「言ってくれないから聞いてるんです。」


 少し強い声になった。


 真琴が私を見る。


「本当に知りたい?」


「はい。」


「知ったあとも友達でいられる?」


 すぐには答えられなかった。


 その間を、真琴は見逃さなかった。


「ほら。」


「……分からないです。」


「なら聞かない方がいい。」


「でも、知らないままも嫌です。」


 真琴はしばらく黙っていた。


 やがてスマートフォンを取り出した。


「今日、時間ないから。」


「え?」


「連絡先。」


 慌てて自分のスマートフォンを出す。


「いいんですか?」


「よくない。」


 真琴は淡々と言った。


「本当は話したくない。」


「……はい。」


「でも。」


 少しだけ間があった。


「また同じことになってるなら、知らないふりするのも嫌だから。」


「同じこと?」


「今日は帰る。」


 それ以上は教えてくれなかった。


 その夜、私は何度も真琴とのトーク画面を開いた。


 まだ何も送っていない。


 向こうからも来ない。


 ――また同じことになってるなら。


 何が。


 ひまりと誰かが喧嘩すること?


 友達のグループが分かれること?


 それとも。


『今日はありがとうございました』


 送る。


 数分後。


『うん』


 それだけ返ってきた。


 続けて打つ。


『さっきの話、やっぱり聞きたいです』


 既読がついた。


 返事はなかった。


 十分ほど待った。


 画面が光る。


『鈴木真琴って子、知ってる?』


 意味が分からなかった。


 真琴って。


 目の前にいた、あの子のことじゃないのか。


『真琴さんですよね?』


 送った。


 既読がつく。


 しばらくして、返事が来た。


『ごめん』


『真琴は私じゃない』


 画面を見つめる。


 もう一通。


『鈴木真琴って子』


 何を言っているのか分からなかった。


『じゃあ誰なんですか』


 返事はすぐに来た。


『私は水野』


『水野紗季』


「……え?」


 思わず声が出た。


 ベッドから身体を起こす。


 先週の駅前を思い出した。


 ひまりがあの子を見た瞬間。


 顔から笑顔が消えた。


 そして確かに言った。


 ――真琴。


『でも』


『ひまり、真琴って呼んでましたよね』


『うん』


『何でですか』


 少し待った。


『真琴と私、いつも一緒にいたから』


『夏川とも』


『昔は三人でいること多かった』


 三人。


 ひまり。


 水野紗季。


 鈴木真琴。


 知らない名前のはずなのに。


 ひまりがあの日見せた顔だけが、頭から離れなかった。


『鈴木真琴って、誰なんですか』


 返事はすぐに来た。


『中二のときに死んだ子』


 指が止まった。


 続けて、もう一通。


『自殺した』


 私はベッドの上で起き上がった。


 画面を見つめた。


 私が勝手に勘違いしていた。


 ひまりが駅前で呟いた「真琴」は、この人の名前ではなかった。


 あのとき。


 ひまりは水野さんを見て、別の女の子の名前を呼んだ。


 背中が冷たくなる。


 何も打てなかった。


 三人。


 ひまりと、水野さんと、真琴。


『最初は仲良かったよ』


『本当に』


 さらに一通。


『だから余計に嫌だった』


 そこでメッセージは止まった。




 翌朝。


「おはよ、美咲。」


 ひまりはいつもの笑顔だった。


「……おはよ。」


「眠そう。」


「ちょっとね。」


「勉強?」


「うん。」


「偉い。」


 何も知らない。


 私が昨日、水野さんと会ったことも。


 夜に連絡を取ったことも。


 真琴という名前を知ったことも。


「ねえ、ひまり。」


「ん?」


 一瞬、迷った。


「この前会った子。」


 ひまりの笑顔がわずかに固まる。


「水野さん、だよね。」


 完全に止まった。


 ほんの一秒。


 けれど、私には分かった。


「……そうだよ。」


「私、名前聞き間違えてた。」


「そっか。」


「真琴って誰?」


 ひまりの指から、シャープペンシルが落ちた。


 机に当たり、床へ転がる。


「ひまり?」


「……誰から聞いたの。」


「え?」


「水野さん?」


 答えなかった。


「紗季と話したの?」


「昨日、たまたま会った。」


「何で。」


「何でって。」


「何話したの?」


 ひまりの声が変わっていた。


 周りに聞かれないように小さいのに、妙に鋭かった。


「昔のこと。」


「何で。」


「ひまりが教えてくれないから。」


「だからって。」


 ひまりが私を見る。


 その顔から、いつもの笑顔が消えていた。


「何で紗季に聞くの。」


「知りたかったから。」


「私が言いたくないって言ったのに?」


「だって私、ひまりの友達でしょ。」


「関係ないじゃん。」


 胸の奥に、何かが刺さった。


「関係ない?」


「そうじゃなくて。」


「私には関係ないんだ。」


「違う。」


「じゃあ何?」


「美咲。」


「何。」


「その話、学校でしたくない。」


 ひまりが屈んで、床のシャープペンシルを拾った。


 手が震えていた。


 前なら。


 それを見ただけで心配になった。


 大丈夫、と聞いたと思う。


 保健室行く、とか。


 水飲む、とか。


 何かできることある、とか。


 でも今は。


 別の言葉が先に出た。


「鈴木真琴。」


 ひまりの動きが止まった。


「知ってるよね。」


「……。」


「死んだ子。」


「美咲。」


「自殺したって聞いた。」


「やめて。」


「ひまりと何があったの?」


「やめて。」


「何で言えないの?」


「やめてって!」


 教室が静かになった。


 私も驚いて黙った。


 何人かがこっちを見ている。


 紗奈。


 琴音。


 榊くん。


 神谷くん。


 それから。


 秋月くん。


 ひまりは肩で息をしていた。


「……ごめん。」


 誰に言ったのか分からなかった。


「ごめん。」


 もう一度。


 ひまりは鞄も持たずに教室を出ていった。


 数秒遅れて、秋月くんが立ち上がる。


「夏川。」


 そのまま教室を出ていった。


 私は止めなかった。


 扉が閉まる。


 まただ。


 そう思った。


 また秋月くんだった。


「……何、今の。」


 琴音が私のところへ来た。


 答えなかった。


「真琴って誰?」


 紗奈も来る。


 閉じた扉を見たまま、私は言った。


「ひまりの……。」


 一度、止まる。


「前の学校の子。」


「死んだって……。」


「うん。」


「何で美咲が知ってるの?」


 二人を見る。


 昨日までなら、話さなかったかもしれない。


 ひまり本人から聞くべきだと思ったかもしれない。


 少なくとも、勝手に話すのは違うと思ったはずだった。


 でも。


 ひまりは今も、私には言わない。


 私が聞けば、言いたくないと言う。


 私が心配すれば、大丈夫と言う。


 それなのに、苦しくなれば。


 また秋月くんが追いかけていく。


「……昨日、水野さんに聞いた。」


「この前の人?」


「うん。」


 琴音が声を落とす。


「何があったの?」


「まだ全部は知らない。」


「じゃあ、真琴って子は?」


「それも。」


 そこまで言って、スマートフォンを握った。


「でも。」


 二人が私を見る。


「たぶん、私たちが思ってたのと全然違う。」


 昼休みになっても、ひまりは戻ってこなかった。


 先生が一度教室に来て、今日は早退したとだけ言った。


 秋月くんは戻っていた。


 いつもの席で榊くんと話している。


 何を話しているのかは聞こえない。


 聞こうとも思わなかった。


「美咲。」


 琴音に呼ばれて振り返る。


「食べよ。」


「うん。」


 紗奈も弁当を持ってきた。


 三人で机を寄せる。


 いつからだったか。


 これが普通になっていた。


 少し前までは、もう一つあった。


 ひまりの机。


 ひまりがこっちで食べる日は四つになって、秋月くんたちのところへ行く日は三つになった。


 今日は最初から、三つだった。


「……ねえ。」


 琴音が小さな声で言った。


「さっきの話。」


「うん。」


「水野さん、他に何か言ってた?」


 私は箸を止めた。


「真琴って子と、水野さんと、ひまり。昔は三人で仲よかったって。」


「三人?」


「うん。」


「じゃあ、その子が死んで……。」


 琴音が言葉を止める。


 紗奈が私を見る。


「それ以上は、まだ分からないんでしょ。」


「うん。」


「なら、まだ何も決めつけない方がいいよ。」


 前にも聞いた言葉だった。


 私は頷いた。


「分かってる。」


 本当に、分かっていた。


 まだ何も知らない。


 真琴がどうして死んだのか。


 ひまりと何があったのか。


 どうしてひまりが今でもあんなふうになるのか。


 何も知らない。


 それなのに。


 朝のひまりの顔が、頭から離れなかった。


 真琴。


 たった一つの名前で、あんな顔をした。


 私はスマートフォンを取り出した。


 水野さんとのトーク画面を開く。


 昨夜の最後のメッセージ。


『だから余計に嫌だった』


 その意味を。


 私はまだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。